見出し画像

雑感録

福岡なるほどフシギ発見~その25~ 黒田登場、福岡誕生!

 
天守閣があろうとなかろうと
すごい城には違いない


福岡城跡(国指定史跡)
1601年(江戸時代初期)築城開始、1607年完成

こんばんは。
今週のミステリーハンター・加藤キヨマサです。
いちお、築城の名手という評判をいただいております。
築城の名手といえば、黒田官兵衛(くろだかんべえ)殿もその一人。
戦国武将好きに人気の高い秀吉様の参謀で、官兵衛は通称、本名は孝高(よしたか)。
もともとは播州(兵庫)の大名・小寺氏の家臣だったそうで、ワシが初陣を飾った長篠の戦いの後に主を信長様に臣従させ、居城の姫路城を秀吉様に提供したと聞き及んでおります。
1580年(安土桃山時代中期)、荒木村重の謀反で小寺氏も信長に離反したのをきっかけに信長様の家臣となり、秀吉様の与力(直接の家臣ではなく、主家などから貸し与えられた兵)となっています。
以後、竹中半兵衛(重治)殿とともに、秀吉様の参謀“W兵衛ちゃん”として活躍されました。

1587年、秀吉様の九州征伐後に豊前(北九州東部~大分西北部)6郡12万5千石を与えられ中津城を居城としています。
この、功労の割に少ないといわれた恩賞は、秀吉様が官兵衛殿の実力を怖れていたためとなどと言われ、その後、秀吉様が近習に「次に天下を取るのは官兵衛だろう」と語ったという話を伝え聞いたため、官兵衛は二心なきことを示すために1589年、44歳で嫡男・長政殿に家督を譲ったのだと言われてますが、この辺は後世の創作が多いようです。
如水」を名乗られたのはこの時からという人もいますが、実際には秀吉様の側近として引き続き第一線で活躍しておられ、実際には朝鮮出兵の最中の話です。

関ヶ原の戦いでは、7月に石田三成が毛利輝元を総大将に担いで挙兵すると、ワシ同様、三成を快く思ってなかった黒田親子は東軍に参加。
家康の養女を正室としていた長政殿は家康に従い、福島正則を東軍につくよう説得したり、小早川秀秋・吉川広家らの裏切りを根回ししたりしています。
一方、自国にいた如水殿は主力を長政殿に預けていたため、金をばらまいて浪人や百姓をかき集め9千人ほどの即席軍を作り、関ヶ原本戦の約1週間前、9月9に挙兵。
ワシが西軍の小西行長領(肥後南部)を攻め落としている間、如水殿は豊後の大友領、豊前の毛利領など次々攻め落としています。

ワシはいざという時に秀頼様をお迎えし、家康に潰されない力を蓄えるために、堅牢な熊本城を造り、領土を拡げたのですが、如水殿は関ヶ原で東西両軍が消耗している間に九州を押さえ、どちらが勝っても疲弊したところを九州から攻め上がって天下を取るつもりだったなどと言われています。
関ヶ原本戦が長政殿の活躍でたった1日で終わってしまったために当てが外れたととか、関ヶ原の勝利に家康が長政殿の手をとって感謝したという話に「空いた左手は何をしていた(なぜ空いた手で家康を刺さなかったか)」と怒ったとかいう話もあるほどで、とにかく如水殿の野心を語る逸話は事欠かないのですが、実際のところはこれも創作でしょう。
確かに天才的な軍略と大局を見る目は持っていた優れた武将ではありましたが、ならばなおさら如水殿はそんなことは考えていなかったようです。
ただ、勇猛ながらいまひとつ器の小さい長政殿には不満だったようです。
長政殿も偉大な父君にはプレッシャーがあったようで、いささかファザコンの気があったように見受けられましたなあ。
うわははははは。

チャラチャチャ~
<CM>


さて、長政殿は関ヶ原の恩賞で筑前52万3千石を拝領。
如水殿も太閤町割の前に博多を下見して目をつけていたことと思われますから、これは願ったり叶ったりだったことでしょう。
長政殿は当初名島城に入りますが、手狭だったために、1601年(江戸時代初期)、博多の西側、かつて鴻臚館のあった福崎の丘(ただし当時はそこに鴻臚館があったとは知られていないはず)で新しい城の建築に着手し、1607年に完成しています。

この城がまあ大したもので、別名「石城」とよばれるくらい見事かつ複雑な石垣が積まれ、城門は10余り、櫓(やぐら)は大小あわせて47、広さ(史跡指定部分)は福岡ドーム(建築面積)7個分弱(ワシが生きている頃は福岡ドームの場所はまだ海でしたが)。
さらに凄いのは、東は那珂川(御笠川でもいいんじゃないかという気がするが)、西は樋井川を外堀に見立て、川沿いに寺院を集中させて、福岡を一種の城塞都市に仕立て上げたこと。
城の内外や堀の底まで、敵の侵入を防ぐさまざまな仕掛けが施されています。
天守閣はあったのなかったのといろいろ言われておりますが、はて、ワシが訪ねたときはどうじゃったかの?
とにかく、ワシの熊本城は攻められれば3、4日で落ちるでしょうが(それは謙遜し過ぎじゃない?)、この城なら30日、40日は大丈夫でしょう。
なお、今さらワシが言うまでもないことですが、「福岡」の名前は黒田家中興の地、備前福岡に因んで改名したとのことです。
ちなみにワシも「隈本」を「熊本」と改名したが、本当は「本」にしたかったんじゃがのお。
まあ、息子を「虎熊」と名付けたからよしとするか。
うわはははは。


城内のほとんどの案内板に描かれている福岡城絵図。



福岡城の西の入口だった下之橋御門(下の橋大手門)と(伝)潮見櫓。これらと多門櫓(国指定重要文化財)、祈念櫓は春の「さくらまつり」のときに内部を見学することができる(内部見学は今年初めて実施したらしいけど、来年もあると思います)。詳しくはこちらで。
メインゲートの上之橋あたり。堀には巨大化した蓮がうじゃうじゃうじゃ…。
鴻臚館展示館の横にある、三の丸と二の丸をつなぐ東御門の跡。昔はお綱門と呼ばれ、柱に触れただけでうなされたり病になったりすると言われてたそうだが、その訳を話すと長くなるので詳しくはこちらで。城下町から上之橋御門(上の橋大手門)を入ってこの門を通り本丸へと向かうのが福岡城のメインルートだったらしい。
二の丸跡は梅園になっていて、2月頃には紅白の梅が咲き乱れる
二の丸から本丸に上がるところにあった本丸表御門は黒田家の菩提寺である崇福寺に移設され、山門となっている。


福岡城本丸之図。


本丸広場と井戸の跡。
本丸南西部にあり、大天守へと登る鉄御門(くろがねごもん)跡。ここから先は立ち入りが厳しく制限されていたそうで、とても狭い。
埋門(うずみもん)跡。有事には内側から塞げるようになっているらしい。この上にも櫓があったそうで、この右上に天守台跡がある。
いちばんてっぺんの天守台跡。確かに礎石らしきものがあるが、天守閣はあったのやらなかったのやら。

天守台から北西側の眺め。これだけ見晴らしがよければ別に天守閣はいらないような気もするが…。


福岡の花見のメッカ、福岡城の本丸広場。右手の高いところが天守台跡。
※この写真のみ提供:福岡市(フォトギャラリー「まるごと福岡・博多」より)

東御門のほぼ反対側にある多門櫓。この右側にも櫓がずっと続いている。

福岡城築城にあたっては、名島城の資材が多く使われている。写真は名島城から移築してきた、その名もズバリ名島門で、現在は道路を挟んで大濠公園側に立っている。石垣の石も、名島城をはじめ、近隣の廃城やら元寇防塁やら古墳の石室やらからごっそり運んできたらしい。
如水が隠居所としていた三の丸の御鷹屋敷跡は、ボタン・シャクナゲ園になっている。如水は太宰府天満宮の再興にも力を入れていたようで、太宰府で2年ほど隠棲していたこともあるらしい。


この名城、一部では如水殿も築城に関わったといわれますが、中津城築城や名護屋城の普請で長政殿に城づくりのノウハウを伝えていた如水殿は、たぶん全てを長政殿に任せたんじゃないでしょうか。
その如水殿は、城の完成を見ることなく、1604年に亡くなっています。

明治になると、城跡には県庁が置かれ、その後陸軍が駐屯し、第2次大戦後には第3回国体の会場として運動公園が整備され、さらに平和台球場も造られました。
むちゃくちゃやられてるような気がしますが、石垣の間にテニスコートがあったり忽然とサッカー・ラグビー場が現れて、それはそれで面白いんですけどね。
1987年には平和台球場の地下から鴻臚館の遺跡が発見され、おそらく日本で唯一の史跡in史跡になっています。

福岡城の話は次回も続きます。
それではみなさん、ご機嫌よう。
うわはははは。

※かつては福岡城跡の明治通りを挟んだお向かいに株式会社しんわの本社ビルがあって、そこには天守閣を加えた福岡城の復元模型があったといろんなものに紹介されてるんですが、肝心の株式会社しんわ本社が縮小移転してしまったようです。
復元模型はいったいどこに行ってしまったのでしょう?
ご存知の方がいらっしゃったらお知らせください。

2011/1/22追記
誰も教えてくれないので(涙)、自分で調べてみました。
しんわ本社ビルは新日本製薬というところに売却されたのですが、その新日本製薬オフィスタワーとなったビルの1階ロビーにそのまま展示されていました(上のリンクの福岡市のサイトもすでに書き換えられていました)。

2012/10/20追記
2012年4月にこの模型を展示するために造られた(?)『福岡城むかし探訪館』に移されました。

数奇屋建築の設計や歴史的建築物の復元・改修を手がける早川正夫とかいう建築家が1997(平成9)年に製作した福岡城のジオラマ。江戸時代後期の様子を1/400スケールで再現したものだそうで、おまけで「幻の天守閣」も作られています(白い部分)。いちお念のために言っておくと、天守閣は本当に会ったとしても1627年までに取り壊しているはずなので、江戸時代後期には存在してません。


福岡城跡
 大きな地図で見る
福岡市中央区城内
駐車場:舞鶴公園駐車場(有料)あり

寄り道スポット
●舞鶴公園駐車場出口横のホットドッグ屋さん

いつも舞鶴公園駐車場出口横に出ているワゴン車のホットドッグ屋さん。観光客だけでなく、トレーニング帰りの学生やタクシーの運ちゃんにも人気のよう。ホットドッグのパンに手作り風(本当に手作りかどうかは不明)のハンバーグを2個挟んだ“ハンバーガー”は結構なボリューム。フランクフルトを挟んだホットドッグは、フランクフルトが太いせいか、焼くのに時間がかかりますとのこと。

ハンバーガー250円とホットドッグ(粗挽きウインナー)300円。



つづく

←ひとつ前へ--CONTENTSへ

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「なるほど」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事