10日、水曜日から一泊二日で、五ヶ瀬町(宮崎県)から椎葉村、諸塚村に出かけてきた。
五ヶ瀬町は、町のキャッチフレーズが「九州島発祥の地」だ。
何でも4億5千年前に海底が隆起して九州島が誕生したと町史にある。その証拠に、町の役場にはクサリサンゴや三葉虫の化石が置いてある。
その五ヶ瀬では、お茶の生産者を訪ねた。40歳を過ぎた青年が、4代続く茶農家を継いでいる。今は、お茶離れらしい。日本茶よりウーロン茶が好まれ、それではいけないとお茶が頑張ったが、世に出たのはペットボトルのお茶ばかり。昔のように、お湯を沸かしておいしいお茶を入れるという習慣が薄れてる。その青年は、お茶の葉にショウガや柚子の香りを付けたり、製法を変えて紅茶の生産にも取り組んでいる。今は、五ヶ瀬特産の釜炒り茶より、紅茶の方が人気だそうだ。
五ヶ瀬を後にして、今度は焼畑農業を継承している椎葉村の椎葉さんを訪ねた。五ヶ瀬から椎葉まで約50分。椎葉さんのお宅は、村の中心街から曲がりくねった道を更に奥に進むこと約50分。ほうほうのてい・・・だ。
焼畑農法のその伝承を守っているのは、椎葉クニコさん。自称「原始ばあちゃん」。今年で85歳になるクニコさんの話しには、大正・昭和・平成の時代が刻まれている。ことに、椎葉村は平家落人の伝説が残ることから、その話しは限りなく昔話、いや神話に近い。
クニコさんの先祖代々の話しも、今も語り継がれている。屋敷の裏にある神社や、池、山桜一本にも当時の出来事が刻まれている。
「へー」「ほうほう」と、夜遅くまでクニコさんの話しに耳を傾けた。まるで♪へいへいほー・・へいへいほーな夜だった。
焼畑農法は、5千5百年前の農業だという。いくつもの山、広い畑、そして人手など、今の時代ではとても続けられない農法だけれど、日本の農業の「種」を残すために、今も続けているという。
そんなクニコさんの家の夜の食卓に並んだのは、山の幸。
山ゼリ・ゲンノショウコウ・クリ・ヨモギなど山菜の天ぷら。
イタドリ・タラノメ・ウド・ミョウガの三杯酢。
山女の塩焼き。
他にも、エゴマの和え物。竹の子の天ぷら。黒豆の煮物。煮しめ。どれも、クニコさんの家の周辺の物ばかりだというおしながきだった。
家は、自分の持ち山の杉の木で建てたという。
数年前、椎葉村は甚大な台風被害を受け、たくさんの集落が孤立した。しかしクニコさんは「電気以外は何の不自由もなかった」と言う。水は山の湧き水を引き、食べ物は昔からほとんど自給自足。文明の電気があるだけに不自由を感じたという。
翌日の諸塚村では、頑張る女性たちを訪ねた。池の窪グリーンパークというロッジの隣にある「まあ夢」というハーブレストラン。高地でできることはないか・・という思案から、村はハーブの栽培に着手した。以前、倒産しそうになったらしいが、踏ん張っている。あんな山奥に・・しかも、あんな高い山の上に・・・。とても素敵なレストランだ。4人程度の女性たちが、畑仕事に、メニュー作りに、そしておいしい料理づくりに勤しんでいる。
これは、「まあ夢」一番人気のカレー「スノーチーズカレー(650円)。他にも、柚子入りのロールケーキは、柚子の香りが爽やかでおすすめ。
これは、野菜嫌いの子どもがきれいな花につられてサラダをパクパク食べてしまったという「季節のハーブサラダ(400円)」。ナスタチウムなど、無農薬のハーブの花がちりばめられている。夢いっぱいのサラダ。
2日目のお昼近くにもなると、そろそろ帰る時間が気になり、まるで呼び戻されるように下界へと降りてきた。
日向市、国道10号を走ると、今までの緑の世界から鉄の世界に飛び込んだようだった。
今日は、ちょっと疲れて朝から部屋でゴロゴロしながらも、あの緑の世界を思い出す。緑の山の中で茶を摘んだり、山道を歩いて食材を採ったり、ハーブを育てたり。こうやって文章にすると、珍しい生活を覗き見したような感じが楽し気だが、そこにはそこの厳しさがあった。
豊かさとは何だろう。私たちの暮らしぶりは、どこか間違ってはいないだろうか。いや、間違わなくては生きていけないような世の中の仕組みでもある。いつも、自分の心の芯を見つめていようと思う。
世界は広い。日本もまだまだ広い。しかし、九州の宮崎もまだまだ広いのだ。
*トップの写真は、五ヶ瀬のお茶畑。無農薬のお茶。