いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

青べかと七五三飾り その1・伝馬舟

2007-06-12 23:20:39 | 散策
「青べか」が浦安の代名詞になったのは、山本周五郎が昭和3年頃の浦安に住む人達との交流を短編にし、それを「青べか物語」として小説にして発表(昭和35年)されて、翌々年、映画化(東京映画:昭和37年6月封切)されてからだろう。

小説では、浦安は浦粕(うらかす)、行徳(ぎょうとく)は徳行、高梨さんは高品などに変えられ、町の習慣や人々の交流が、物書きの観察力で見極められ、人情味豊かな暖かい心で描かれている。
「繁あね」「芦の中に一夜」「留めさんと女」は、元気印の好きな短編だ。

映画は、川島雄三:監督、脚本:新藤兼人、先生:森繁久弥、芳爺(よしじい):東野英治郎、わに久:加藤武、五郎ちゃん:フランキー堺などが演じている。

強烈な個性をスクリーン狭しと、観客にぷんぷん臭わせていた芳爺は、浦安の町が持っている個性、風俗・習慣、人との絆を集約した象徴的な存在のように思う。

小説は、先生と芳爺との出会いから始まっている。また、牧野富太郎(植物学者)を取材した折に「雑木林」と表現した。「どんな花にも、どんな木にもみな名前がある。雑木林というのは人間の作った勝手な言葉である」と咎められ、周五郎は若い頃から植物の名前を積極的に覚える努力をしたという逸話があるようだ。

浦安郷土博物館で、郷土史を研究している方と青べかなどについて話をする機会があった。『周五郎が愛した「青べかの町」』というパンフレットを紹介された。

映画は浦安町民には不評で、封切4日目に上映が中止になった、と記述されたコラムがあり、浦安に実在する人物、事件を題材にしているから評判が悪く、誇張しすぎている、嘘が多い、と、町民からの批判の声が強い、と結ばれている。

「赤ひげ診療譚」を完成した2年後、小説「青べか物語」は発表されている。
30数年前に文芸春秋に連載した短編をまとめた「青べか物語」が完成された小説である、と周五郎は宣言している。

元気印は、牧野富太郎の心で「青べか物語」を読むと、周五郎の本心に触れることが出来ると思っている。

郷土史研究家は興味ある話をしてくれた。
周五郎が描いた芳爺や世間話好きな人達が、今の浦安にもいる。青べかは「べか舟」ではなく人糞を運ぶ「伝馬舟(てんません)」であったと、言われている。など、など。

懐かしい浦安のまちを再現した展示場でべか舟は、客を乗せていたが、伝馬舟は、郷土博物館に作られた川の片隅に係船されていた。(写真)

浦粕に住み着いた先生が芳爺のたくらみで買わされた「青べか」が「伝馬舟」であったことは、噂好きの住民達、「青べか」を悪餓鬼から守った「長」も一言も触れていない。
先生は、大枚を払って船大工に修理をさせ、舟釣りを楽しみ、読書で昼寝をしている間に沖へ流されているくらいだ。

浦安の誰もが「青べか」に愛着を持った先生には知らせないようにしていたのかもしれない。先生だけが知らなかった。

七五三飾りは、その2で紹介する予定です。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 姥ヶ池のドブさらい | トップ | 青べかと七五三飾り その2... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

散策」カテゴリの最新記事