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富山県氷見町の火災―昭和13年

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 1938年(昭和13年)9月7日付の大阪毎日新聞(夕刊)は、「火勢猛烈、ついに千五百戸焼ける」の見出しで富山県氷見町の火災を報じている。9月6日午前0時20分頃、富山県氷見郡氷見町下伊勢町の履物店から出火、折からの南東の烈風に煽られ、火はたちまちのうちに燃え広がった。高岡、伏木、新湊等県下各地から消防組が氷見町に駆けつけ必死に消火活動をするが、火勢は治まらない。火は約5時間後に鎮火した。高砂町、地蔵町、川原町と燃え広がり約1500戸を焼き払った。町役場、警察署、郵便局、南上小学校、図書館、高岡銀行支店、光源寺、光禅寺などが灰燼に帰した。なお、冒頭に記載した大阪毎日新聞は、1943年(昭和18年)に東京日日新聞と合併、現在の毎日新聞である。
 氷見町は、氷見郡第一の町。戦後の1952年(昭和27年)になって隣村を合併、市制をとり氷見市となる。富山県の西部、能登半島の付け根に位置している。 “氷見“の名称は古くからあり、万葉の時代にまで遡ることができる。奈良時代の官僚で歌人として知られている大伴家持。万葉集に500首近い歌を残し、その編纂関係者とみられているが、氷見を詠んだ歌がある。これは、746年(天平18年)越中守として京都から赴任するにあたり氷見を通った際の作品だ。氷見は、古来漁業が盛んな町として知られており、町内の上庄川河口には氷見漁港がある。沿岸漁業がさかんな地域で、イワシ(春)、マグロ(夏)、ブリ(冬)と多大の漁獲をあげてきた。一方、商工業も発達しており、火災発生当時の人口は1万4千、戸数は約3400戸というから、町の半数近くの戸数が焼失したという計算になる。前記大阪毎日新聞(夕刊)によると、損害額は200万円とあるが、別な資料(『昭和災害史事典』1995年、日外アソシエーツ)では、被害総額は1000万円、死者5名、負傷者258名となっている。
 氷見町の火災に関して、当時の保険業界紙の報道をみてみよう。9月13日付の「保険資料」(保険資料社発行の週刊保険業界紙)では、「富山県氷見町 損害約50万円」の見出しのもと、「去る4日、台風中に出火し焼失1500戸に及んだ富山県氷見町の火災保険損害は、目下調査中であるが、損害額約50万円と見られている」(読みやすさを考慮して、文章の一部を修正した)と報じている。この“損害額約50万円”というのは火災保険金の支払い見込額の意味である。同紙では、公有物件の付保状況を例示していた。南上小学校は4万8000円で全損、町役場は2万円で全損等である。同じく翌週9月20日付の「保険資料」紙でも氷見町火災の記事がある。この火災に関して、損害保険会社28社が引き受けを行っており、契約件数503件(共同保険による重複を除くと480件)、火災保険の支払見込金額は約92万4600円と、前週の報道から2倍近くに増加している。金沢地方委員会の協議を終え、9月20日に全社一斉に保険金支払を開始した。この時点の報道では、氷見火災の被害総額は約450~460万円。被害総額の見方にもよろうが、前出『昭和災害史事典』の1000万円とは倍の開きがある。どちらの数字が正しいのか。いまや確認の術はないといってよかろう。
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