読書と著作

読書の記録と著作の概要

国際交通安全学会編『「交通」が結ぶ文明と文化 ―歴史に学び、未来を語る―』

2007-04-23 21:19:18 | Weblog
 本書は「人間社会にとって交通とはなにか」という問題のもと、政治社会・科学技術の多数の専門家が、学際的アプローチを行い出来上がった労作である。副題「歴史に学び、未来を語る」が示すように、交通の歴史に関して、月並みでない深い掘り下げを行なう。これが、本書の特色である。道路、馬車、鉄道、海運、自動車といった様々なキーワードが学際的に飛び交う。そんな本書の内容を包括的に限られた紙幅で紹介することはできない。そこで、損害保険に関連する2つの章を取り上げてみることにする。東京大学教授安達裕之氏による第3章「和船の発達と日本文化」と、交通史研究家で文学博士の齋藤俊彦しによる第4章「車の文化史」である。
 第3章では古代から近世に至る和船の発達を追う。本書113ページにある挿図「江戸後期の海運網」を見ると、鎖国により海外との交通が殆ど途絶えた代わりに、江戸時代には強力な統一政権のもと、国内水運が素晴らしい発展を遂げたことが分かる。水運の発達するうえで、重要名役割を果たした幕府の法令があった。寛永13年(1636年)公布の海難救助と海難処理に関する法令、寛永15年(1638年)に改定された武家諸法度の大船禁止条項である。寛永13年令は3か条からなる。遭難船の救助を義務付け、遭難船の荷物の取りあげを命じ報酬を規定し、打荷をした遭難船は着いた港の役人が取り調べ、残り荷を記した証文を出し、不正があれば厳罰に処すと定められた。天正16年(1588年)豊臣政権下で海賊停止令は、既に発令されているが、寛永13年は偽装海難を禁じる全国令であり、幕末に至るまで幕府の基本法として受け継がれた。水運が盛んになると、付随して様々な犯罪行為が出てくる。これを防止するために法律が制定された。すると、その抜け道を考えて新たな犯罪行為がなされる。そのような実態が簡潔に解説されていて興味深い。
 第4章は、『くるまたちの社会史』(1997年、中公新書)の著者が語る人力車、自転車、乗合馬車、馬車鉄道といった“くるま”に関する薀蓄。特にお得意分野の人力車には力が入る。162ページからは、自動車にテーマが移る。日本に最初に自動車が来たのは1898年(明治31年)。フランス人テブネが持ち込んだパナール社(フランス)製の石油自動車であった。この車が、銀座を走った光景はフランス人の画家ビゴーにより描かれている。当時の「東京朝日新聞」、「時事新報」、「報知新聞」、「ジャパンタイムズ」等でも報じられた。このことについては、齋藤俊彦氏の前掲書『くるまたちの社会史』でも詳しく説明され、また他の文献でも引用・言及されている。にもかかわらず、自動車保険の解説書等で、自動車の歴史に触れる際、“大昔の定説”を孫引きして、別なことを書いて平気な著者がいる。恥ずかしいことだ。
                    (2006年、技報堂出版、2200円+税)

『三菱銀行史』を散歩する

2007-04-22 09:40:54 | Weblog
1954年(昭和29年)8月15日に発行された『三菱銀行史』。この社史は700ページを超える大著、表紙は革張り。半世紀余を経た今日、革は粉を吹き、うっかり背広に接触しようものなら、茶色い粉末が付着する。社史は分厚くて重い。邪魔になる。時には不潔だ。「社史なんて、いったい何の役に立つのか」などと“八つ当たり”もしたくもなる・・・。以上は社史の『マイナス』の部分。しかし、この『三菱銀行史』も読み方によっては、興味深いものがある。『プラス』だってある。まず、個人的なこと。私の母方の祖父桑田鑒(くわた・あきら)が、大正時代末期から昭和のはじめにかけて三菱銀行三宮支店長をしていた。『三菱銀行史』に何か記述はないか。そう思って調べてみたことがあった。一見、無用に思える社史であるが、自分史や家族の歴史を調べるためにも役に立つ。
『三菱銀行史』の巻末には全支店の歴史が簡明に記録されている。神戸市にある三宮支店は1921年(大正11年)10月2日に開業、当初は神戸支店の支店長が三宮支店長を兼務している。その後、1924年(大正13年)10月4日に祖父桑田鑒が支店長に就任している。次の支店長鈴木益三が就任するのが1933年(昭和8年)9月5日。極めて長期間の支店長在任である。その理由は、今となっては確かめようがない。祖父が三宮支店在任期間中の1929年(昭和4年)11月4日、新店舗が完成している。ここに掲げるのは当時の写真である。小さく写っている自動車など、まさにレトロの世界である。この写真をみると、私は堀辰雄の小品「旅の絵」を思い出してしまう。堀辰雄が神戸を訪れたのが1932年(昭和7年)年の12月。港町神戸を描いた魅力的な小品「旅の絵」のなかには、クリスマスの買い物で賑う神戸の町の様々な情景がちりばめられている。ユーハイムの店頭風景など印象に残る。もしかしたら、堀辰雄は新築間もない三菱銀行三宮支店の建物を見ていたかもしれない。そんな想像もしてしまう。
ところで、『三菱銀行史』の256ページには、戦前に神戸支店に勤務経験のある“大西栄三郎談”として興味深いことが記録されている。神戸には外人商社が多く、その影響で、正午から午後1時までは銀行は店舗を完全に閉めてしまっていたそうだ。銀行集会所という施設が近くにあり、各銀行の支店長や土地の有力者たちは、そこで食事をする。その後で、碁を打ったり、玉突きをしたり、商談をしたりといった悠長な時間を過ごしらしい。これも港町神戸ならではのノスタルジックな話だ。社会・風俗史的な観点から興味深い資料として読める。横浜ではどうだったのだろうか。何か資料はないだろうかという疑問が湧いてくる。この点に関しては、今後の課題としておこう。

1929年(昭和4年)に建てられた三菱銀行神戸支店(1945年に改称)は、老朽化のため取り壊され、近代的なビルに姿を変えた。これが1987年(昭和62年)9月7日のこと。同じ場所に金属とガラスのビルが建ち、今は、三菱東京UFJ銀行神戸支店の店舗が入っている。ところで、この新ビルはオープン早々、地元のタウン誌「神戸っ子」1987年9月号で建築家の武田則明から「何の魅力もない建物」と、こっぴどくこき下ろされていた。確かに、そう言われてもやむをえない建物。私も同感だ。この記事は祖父に関係する文書を綴じこんだファイルに入れてあり、本稿を書くに当たり久々に参照し読み直した。




山口弘之著『ロマンと感動 海外鉄道の旅』

2007-04-22 09:36:47 | Weblog
本書の著者である山口弘之氏は、昭和10年の生まれ。岡山県警本部長、皇宮警察本部長等を歴任した元国家公務員(警察官僚)である。公務員を退職してから、時々夫婦で海外旅行を続けている。パック旅行は利用せず、個人旅行に徹してきた。それには理由がある。旅行の目的が、その国の“鉄道に乗る”ことにあるからだ。好みに合ったパック旅行を見つけることは不可能に近い。一方、個人旅行には、パック旅行では得られない“楽しみ”がある。行きたい国・地域を選び旅程を考える。更に航空機、鉄道、ホテル等の手配を行なう。鉄道については、どの駅からどの駅まで、どの列車を選ぶか。どの駅で途中下車するか等の、きめ細かいスケヂュールを組み立てる。面倒かもしれないが「それ自体が楽しい」というものだ。個人旅行で、突発的な出来事(盗難、病気等)が発生したときには、自分で考え自分の責任で行動しなければならない。このことから、著者は治安の悪い国は避け、もっぱら北米と欧州の鉄道旅行に的を絞っている。このあたりは、流石に元警察官僚である。なお、本書の最終ページに近い部分に(346ページ)には、「海外個人旅行術」の項があり、著者の経験を踏まえた薀蓄が開陳されている(346ページ)。この部分に関しては、海外旅行好きの読者にとって参考になるに違いない。

本書ではフランス、スイス、イタリア、カナダ、北欧3国等の鉄道旅行記が納められている。本書を読むことによって、読者は著者夫婦とともに外国の鉄道を利用しつつ、楽しい旅行を追体験することができる。本書はそのような効果を持つ。本書の表紙や巻頭のグラビアページに収録された写真の数々。これらは何れも美しい。表紙はロッキー山麓にあるジャスパー駅に停車中のカナディアン号の勇姿。背景の緑の山、青い空、白い雲が列車を引き立てている。

海外旅行には様々なトラブルや予想外れの事案が時々発生する。まして、個人旅行となると、この点に関しては問題点が“増幅”されてしまう。パック旅行と違って、ベテランの添乗員が助けてくれないからだ。本書では、このようなケースが比較的丁寧に記録されている。これら「負の記録」が、実は本書の特色であり、読者にとって有用な情報となっている。例えば、フランスのホテルで、トラベラーズチェックが使用できないことが多くて困った(23ページ)。イタリアでは、日本で発行されたガイドブックの記述が誤っていたため、スケジュールが狂ってしまった(119ページ)。また、カメラを盗まれたり、置き忘れたりしたときの顛末も丁寧に記録されている。これらの記述は、2度と同じ失敗をしないための著者自身のための記録であることは、もちろんのことである。一方、本書の読者にとっては貴重な情報を提供してくれる。
(2007年、創英社/三省堂、定価1800円+税)


鈴木雅昭著『自動車販売戦争 激戦地・神奈川を斬る』

2007-04-08 23:37:19 | Weblog
本書の著者鈴木雅昭氏は交通毎日新聞社主筆。ベテランの自動車ジャーナリストである。本書はサブタイトルが示すとおり、神奈川県(東京に次ぐ全国第2位の自動車販売市場)の自動車販売店各社の戦後の栄枯盛衰を描いている。ただし、県下全ての自動車販売店を扱っている訳ではない。トヨタ、日産両系列の以下の12社のみを対象としている。ちなみにトヨタ、日産両系列の自動車販売店は、神奈川県のマーケットの約60%を占めている。

神奈川トヨタ自動車
神奈川日産自動車
横浜トヨペット
横浜日産モーター
トヨタカローラ神奈川
トヨタカローラ横浜
日産サニー神奈川
日産サニー湘南
日産プリンス神奈川
ネッツトヨタ横浜
ネッツトヨタ神奈川
トヨタビスタ神奈川・横浜

 自動車販売店の熾烈な争い。これが本書のテーマ。様々な“ドラマ”のなかで突出したケースとしては、トヨタから日産へと系列を変更した日産サニー湘南(現日産サティオ湘南)の例がある。このドラマの主人公の一人は福澤重治氏、横浜トヨペットのサブディーラーである湘南トヨペットを経営していた人物で戦時中は憲兵であった。福澤氏はトヨタから転進、日産サニー湘南を立ち上げた。もう一人は、横浜トヨペットの社長である宮原漢二氏。この二人の“壮絶な角逐”が、日産サニー湘南誕生の背景にある。宮原漢二氏は、かつての自動車メーカーであるオオタ自動車にかかわっていた。宮原氏はオオタ自動車の全国販売店会長をつとめ倒産寸前のオオタ自動車の再建のため、死に物狂いの活躍をした人物である。1955年(昭和30年)前後、トヨエースやダットサントラックの出現、その少し前から始まっていた「月賦販売による資金繰りの悪化」により、多くの三輪トラックメーカーが苦境に立たされた。乗用車を生産していたオオタ自動車も価格競争に破れて倒産した。失意のどん底にいた宮原氏は、トヨタが新しく発売するコロナの販売のために設立された横浜トヨペットの社長として迎えられる。オオタ自動車の名は、戦後生まれの世代では殆ど知られていないであろう。ここでは紙幅の関係で“角逐”の顛末に関しては省略せざるを得ない。
本書を通読して着目するのは、あたかも『平家物語』や『太平記』の武将たちのように活躍する個性的派経営者たちの“闘争心”と“有為変転”である。このような自動車販売店経営者をめぐる歴史群像の物語は、損害保険業界に於いてディーラー担当の営業マンにとっては貴重な参考書となるであろう。
(2006年、神奈川新聞社、2000円+税)


優秀会社史賞を受けた『東京海上百二十五史』

2007-04-08 23:35:22 | Weblog
優秀会社史賞を受けた『東京海上百二十五史』

東京海上保険会社(当初の社名)が開業したのは、1979年(明治12年)8月1日のこと。本店所在地は東京府日本橋区茅場町23番地であった。この東京海上保険会社をルーツとする東京海上火災保険株式会社は、2004年(平成16年)8月に創業125周年を迎えた。それから2ヵ月後、同社は日動火災海上保険株式会社と合併して東京海上日動火災保険株式会社が誕生する。
さて、東京海上火災保険株式会社は、1980年(昭和55年)の創業100年を機に、既に『東京海上火災保険株式会社百年史(上・下)』を刊行している。それから25年。創業125周年に当たって、ここに紹介する『東京海上百二十五史』が刊行された。発行日は2005年10月1日である。この『東京海上百二十五史』は、125年間の通史ではない。直近の25年の歴史に重点に置いて編集された。そのことは、本書の目次やページ構成に如実に現れている。すなわち、年表を除く本文673ページのうち、創業から100年までの叙述は、序章に相当する60ページを占めるに過ぎない。残りの殆どのページは、この25年の歴史に充当されている。目次を一瞥してみよう。

序 章  創業1世紀の軌跡 1879-1979
第1章 地域営業体制の確立 1977-1984
第2章 総合安心サービス産業への飛躍 1985-1989
第3章 新保険業法成立と次代への足固め 1990-1995
第4章 保険自由化時代の到来と業界再編 1996-2001
第5章 125周年の東京海上-新しい時代へ 2002-2004

バブル経済とその崩壊を挟む25年、20世紀最後の20年から21世紀初頭にかけての25年。この期間は、日本の産業界、保険業界にとってまさに激動期・激震期の時期にあたった。「新保険業法成立」、「保険自由化」と「業界再編」といったキーワードが、上記の目次の中に象嵌されており、この25年間の“時代”を物語っている。ただし、この25年の間には、前記のキーワード以外に、もうひとつ重要なキーワードを追加しなければならない。それは「阪神・淡路大震災」というキーワードである。本書では第3章、第3節に「6.阪神・淡路大震災への対応」(325ページから331ページ)の見出しで、この地震に関する諸事項が詳述されている。内容は、震災の概要、東京海上社自身の被害状況、地震発生後の全社的応援体制、車内衛星通信放送(CSN)の活用、地震保険金の支払、応援要因の派遣、震災後の地震保険の普及率の変化等多岐にわたっている。これらは簡潔ながら、大災害発生時の損害保険会社の対応を記録しており、後の世代の社員引き継ぐべき貴重なDNAとなっているといえよう。また、1991年9月の台風19号に際して、広範な被害地域、膨大な被災物件に対する会社を挙げての対応に関する記述(370ページ以下)も貴重な記録である。

最後に、『東京海上百二十五史』は財団法人経営史研究所が主催する第15回「優秀会社史賞」入賞作品となったことを付け加えておかねばならない。この表彰制度は、隔年に実施される。第15回目に当たる今回は、2004年4月から2006年3月までの期間に刊行された社史の187冊が対象となった。その中から2度の選考を経て選考委員会(委員長:関西学院大学宮本又郎教授、委員:経営史専攻の大学教授10名)により3社の社史が優秀会社史賞の栄誉に輝いた。今回は、『東京海上百二十五史』以外に、株式会社ノリタケカンパニーリミテッドが刊行した『ノリタケ100年史』他2点、『阪神電気鉄道百年史』が優秀会社史賞の対象作品となった。第15回『優秀会社史賞選考報告書』(2006年10月発行)所収の講評を参照してみた。『東京海上百二十五史』は、各章の記述は明瞭であり、一次資料はもとより外部資料にもよくあたっている。そのため、叙述の客観性が保たれている。このような点が好感をもって迎えられたようだ。また、損害保険業界固有な専門用語の解説が、適宜なされる等の配慮も評価されていた。

 なお、本表彰制度では、これまで損害保険会社としては『東京海上火災保険株式会社百年史(上・下)』(第3回、1982年)、『住友海上火災保険株式会社百年史』(第10回、1996年)、『大東京火災史』(第14回、2004年)が優秀会社史賞の栄誉に輝いている。