戦前の日本をかばうような「自虐史観批判」をしている人が、北朝鮮を批判している。戦前の日本をかばって「自衛のため」とか「アジア解放のため」とか「欧米にも罪あり」と言うなら、今の北朝鮮もかばってあげなよ。って感じがするな。彼らは彼らなりに「自衛のため」「欧米の侵略を怖れて」、やってるわけだからね。
まあ、僕は何回か書いたように「貧困のため」だと思うがね。ドルの偽造も、武器技術や麻薬の輸出もみんな「外貨つまりドル」が欲しいためで、貧困がかれらを犯罪行動にかりたてているわけさ。
「悪」について本格的に考えた思想家は日本では「親鸞だけ」という説がある。それはともかく、日本は「善と悪」の問題についてはっきり分けて考えてきたことはなかった。分ける必要はないと考えたんだ。それは当然な話で、「人間にはいい面も悪い面もある」というのは日本人には常識感覚として身についていた。善悪一如とか難しい言葉使ってもいいけどさ。
善と悪というのはゾロアスター教あたりから流れ出て、キリスト教、イスラム教に入っていった。善と悪、天国と地獄。地獄なんて概念も初期仏教にはなかった。二元論の影響を受けて仏教にも導入された。
わかりやすかった。からだろうね。善悪一如なんて説いても民衆にはわからない。悪いことをすると地獄に堕ちるよ、のほうがよほどわかりやすい。北朝鮮は悪だ、って一方的な断言が民衆にわかりやすいようにね。
さて、単純に北朝鮮を「悪」とすると、善はどこなの?
アメリカはクリントン時代にスーダンの首都にいきなりミサイルを撃ち込んでいる。宣戦布告もなしに。軍事拠点だと思って打ち込んだら、ミルクと薬の工場だった。国内からも非難をあびた。ものずごい「ならずもの国家」でしょ。国土に打ち込んで、たぶん人も死んでいる。日本海に落とした北朝鮮なんてかわいいもんだ。
こんなとんでもないことしてる国(アメリカ)が善のわけないし、その弟分の日本が善のわけもない。
国際関係で「善」となるのは勝利者にすぎない、っていう「自虐史観否定論者」は今こそ北朝鮮を擁護すべきだが、してんのかな?
じゃあどうすれば、なんて各国首脳でも困ってる問題に僕が明確な解決案をもつわけもない。僕はただ「善と悪」なんて単純な二元論で物事は片付かないとここでは言いたいだけ。
北朝鮮内部から竜馬や西郷や桂や高杉や大久保のごとき志士が出でて、「維新」を起こしてくれることが一番なんだが、「明治維新は世界史の奇跡」らしいから、そうすっといくわけない。ちなみに志士といったが、彼らが志士であったのは幕末までで、明治以降の桂や大久保は政治的リアリストであって、狂的な面はほとんどない。台湾に出兵したぐらいが大久保の「現実飛躍」かな。でもそれもきちんと後始末している。本当は金体制化での改革解放が一番の「ソフトランディング」であろう。混乱も少ないし。
それにしても北朝鮮の人民の命とか食糧問題とか、なんでもっと話題にならないのか?ほとんどの問題はそこに根源があるのに。
各国が知恵のかぎりを絞って、しぼりつづけて、時間をかけて一定の解決を考えるほかない。この際、テロの温床である「世界の貧困」について常任理事国が腹をすえて考えることも必要だろう。北朝鮮の飢えた子供を救おう!(って誰も言わないのかな?)