べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

さくらぐみ、うんどうかい

2013年10月10日 | 山鹿をさるく
 山鹿市役所裏から市役所の駐車場へ。以前、山鹿市立山鹿幼稚園があった場所です。

 建物は取り壊され、移転した新しい幼稚園も見えます。この高台からは、阿蘇(あそ)方向へ山鹿市菊鹿(きっか)や不動岩(ふどうがん)、山すそには広々とした稲田(いなだ)が広がります。

 台風もすぎ、稲穂(いなほ)が色づきます

稲刈りあとの田んぼで遊ぶ|山鹿の秋から冬

寒くなりました、冬がやってきます|山鹿をさるく


 駐車場の砂利を踏みながら思い出します。木造平屋の水色の園舎。昭和モダン。シンプルでいて、屋根の装飾がしゃれてました。砂場と水飲み場。園舎高台から運動場へと降りる、大きなすべり台。おもかげなくなったなあ。なんも残ってないからな…あ!

 運動場へと下(くだ)る坂道が残ってる

 桜の木が植えられて、運動会のときは出番を待つ園児たちがここに待機してたんだよ。運動場いっぱいの園児や先生。ゴザに座って総出で応援する家族。すんだ青空にはためく万国旗(ばんこくき)…


 昭和41年から平成12年まで、10月10日が「体育の日」でした。1964(昭和39)年に東京オリンピック開会式があった日だからです。今でもほとんどの運動会で万国旗が使われるのは、多くの日本人がオリンピック開催とともに世界のひとたちと仲良くなれると感じたから。


 海外から来るたくさんの選手団のため、冷凍食品が開発され市販もされます。そのため家庭での冷蔵庫の買い替えが進みます。なぜでしょう?

 オリンピックのような大きなイベントは、私たちの暮らしも変えていきます。いいことも悪いことも起こります。2020(平成32)年の東京オリンピックでは、ぼくらの暮らしのどう変わっていくのでしょうか。(塾長)


山鹿をさるく

50年続く、貸本屋

かつて、山鹿高校がありました

山鹿市役所、その裏に

さよなら、山鹿市役所

山鹿のラーメン、熊本のラーメン|山鹿をさるく

玉三郎公演中、八千代座|山鹿をさるく


>東京オリンピック開催(かいさい)を契機(けいき)に競技施設(しせつ)や日本国内の交通網(もう)の整備に多額の建設投資(とうし)がおこなわれ、競技や施設を見る旅行需要(じゅよう)が喚起(かんき)され、カラー放送を見るためのテレビ購入(こうにゅう)の飛躍(ひやく)的増加などの消費(しょうひ)も増えたため、日本経済(けいざい)に「オリンピック景気(けいき)」といわれる好景気(こうけいき)をもたらした。テレビ購入者が増えたため「テレビ番組」の視聴者(しちょうしゃ)も多くなった。そのため、娯楽性(ごらくせ)の高い「バラエティ番組」が増えたといわれる。


>オリンピック組織委員会が、代々木選手村の整備期間中及び大会期間中の警備に際しては警察官の人員不足を考慮して、民間警備会社『日本警備保障』(現在のセコム)に警備の依頼を行った。この民間警備会社による警備が無事に終了したことを機に、日本の社会に民間警備が認知されるようになっていく。

>東京オリンピックで初めてコンピュータによるリアルタイムでの記録管理が行なわれたことも、地味ではあるが特筆すべき事項である。(中略)本システムの成功は、日本においてリアルタイムシステムが普及する大きな契機となり、同プロジェクトのメンバーはその後三井銀行の第一次オンラインシステム、マツダの生産管理システムなど多くのリアルタイムシステムを手がけていくことになる。

東京オリンピック(ウィキペディア・パソコンむけ


2020年東京五輪の経済効果を1984年以降の開催国から見る
財政規律と国民意識変化が経済効果を最大化する(WEDGE INFINITY・パソコンむけ

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