バイクライフ・バイクツーリングの魅力を北海道から。
聖地巡礼-バイクライディングin北海道-
ラーメンナイト(3)
注意:この物語はフィクションです。現実のあらゆる個人、団体とは関係ありません。
また、公道では必ず安全運転に努めて下さい。
時速100kmは秒速約27.8m。
時速100キロで走るバイクの上では、ライダーは風速28mの暴風にさらされている。
北海道襟裳岬にある風の館では風速25mを体感できるが、風の轟音で話はできず、体は風上に向かって斜めに立たねばならない。きちんと着ていない衣服ははぎとられる恐れもある。
風速50mといえば、猛烈な台風で看板が落ち、木々がなぎ倒され、屋根の瓦が飛ぶ、そんな風だ。
時速180キロで走行するとき、ライダーは風速50メートルの嵐の中にいることになる。
山陽自動車道を、田山のCB750と圭子のチェンタウロは縦に並んで疾走していた。
2台とも風よけのカウルを持たないタイプ。風圧は容赦なくライダーを襲う。
田山も圭子も上体を前傾させ、低く構えてスロットルを開けていく。
すでに午後10時をまわり、交通量は少ない。長距離の大型トラックが多く、ワンボックスもいる。乗用車もいるが、まばらだ。
「圭子のやつ、突っつきやがって…。もう少し我慢しやがれ」
後ろの圭子が速く走りたがっている。田山は微妙に速度を上下し、落とすときに背中でプレッシャーをかける。
「安全運転だぞ、圭子!」
闇の中、圭子のチェンタウロのヘッドライトが白く輝く。
ロービームだから目は射ないが、ヘッドライトの明るさはノーマルの比ではない。
その光の揺れ、自分との距離で、圭子の走りが田山には体感できる。
圭子はもっと速く走りたがっている。
たしかに、いつもより少し遅いペースを、あえて田山は作っていた。
逸る気持ちのまま飛ばしては、危険なゾーンに知らずに飛び込むからだ。
前の視界が開け、完全に先行車の姿が消えると、田山はCB750を加速させていく。
そのタイミングに遅れずに圭子もついてくる。車間を一定に保ち、遅れない。つまり、もっと行けと言っているのだ。
CB750はさらに加速していく。
4気筒エンジンの咆哮が次第に金属的になってゆき、風切音がそれさえも切り裂こうとする。
路面を流れる白線の勢いと、通過していく照明灯の流れ方が、速度を教える。
視野が狭まってきた。速度はさらに上がる。
後ろのライトの輝きが喜びの表情に変わってきた。
「これがモトグッチだ…!」
田山は思う。回すほどに、疾るほどに、エンジンの振動は消え、どしっと安定し、路面に押さえつけられたような安定を見せ、そのくせ、ロール方向には実に軽快に動く。
疾れば疾るほど、飛ばせば飛ばすほどに生き生きと走るのがモトグッチだ。時速何キロ出たとか、そういう数字にしか、そしてその速さそのものよりもその数字を人に話すことでしか満足できない似非野郎には、グッチは似合わない。
CBの限界速度が近づいてきた。
と、遥か前方に赤いテールライトが見えた。
それがみるみる近づいてくる。
田山はゆっくり減速していく。
高速道路を飛ばすとき、田山が気をつけていることがあった。
それは追い越す相手を動揺させないということである。
夜中であれば後方から迫るヘッドライトに気が付かない可能性は、日中よりもかなり低くなるが、それでも予想外の速度で追い抜かれると、ドライバーが驚くことがある。高速道路で予期せぬことに突然出会うのは、誰にとってもリスクのある、恐ろしいことだ。
驚いたドライバーが急にハンドルを来ったりすると、何らかの事故を誘発するかもしれない。そうでなくても、徒に相手の心拍数を上げるような真似はしない方が、
行く行くはお互いのためだ。
命を乗せて走っているバイクでは、無用のリスクは低いに越したことはない。
アクセルを少し戻しただけでも、空気抵抗で車速は落ちていく。その落ちるのに任せながら、徐々に減速しつつ前方の車に近づく。チェンタウロも緩やかに減速してきている。
圭子もいつもの冷静さを取り戻してきたか…、と田山は思う。
自転車が通過していくような速度差で、先行車を追い抜く。
2台で追い抜いたら、そこから少しずつ、また車速を上げていく。
長い時間をかけて、再びさっきのような速度に到達する。
後ろのヘッドライトはスピードに喜んで、しかし、さっきよりは落ち着いた光の揺れになっている。
距離を示す緑の看板が、「ゆっくり早送りをしているように」、現れては消える。
先行車が見えるたびに速度を落とし、抜いたら上げる。
しばらく先行車が合わられない時には、時間を見計らって速度を徐々に下げ、しばらく巡航する。チェンタウロの呼吸を見計らって、また上げていく。その上げ方も、毎回少しずつ変える…。
高速走行で危険なことの一つに速度感覚の慣れがある。
人間はそれが30キロでも120キロでも、200キロでも、一定時間以上同じ速度で走り続けると、その速度に慣れ、感覚が麻痺していく。
過ぎた緊張は早い疲労を呼び危険だが、自分が置かれている運動エネルギーを実感できなくなって高速で長時間ただだらだらと走るのは、さらに危険だ。
車の流れが一定の速さで流れている場合でも麻痺は起こるが、流れに乗っていれば相対的な速度差が少ないので、危険はやや相殺される。しかし、それでも何かあった時にはその速度なりの運動エネルギーが襲い掛かってくることに変わりはない。
まして、空いた道で飛ばすときには、自分の出している速度を、メーターではなく、身体の危機センサーでしっかり感じていた方がいい。
田山は、そのため、巡航速度を長時間固定しない。
緊張しすぎず、しかし、弛緩せず、覚醒状態に自分をマシンを置くためだ。
運動エネルギーの増減と速度の変化、エンジンの反応、サスの動き、風圧の変化、そうした「新鮮な空気」を、常に自分に送り続けるのが、田山の流儀だ。
そうした走りを丁寧にすることで、自意識の中の余計な部分が風に洗われていく。
田山は勝手に、それをバイクの「走行濾過効果」と呼んでいた。
ミラーに映るチェンタウロンのヘッドライトは、宮島SAに飛び込んで来た時の、また、宮島SAから出たばかりの時の、どこか余裕のない切り詰められたような感じの空気を、大分脱してきていた。
車線変更も、加減速も、圭子とチェンタウロとの呼吸がだんだん合いつつある。
「圭子、大分ほぐれてきたな…、もう大丈夫か」
田山は少し引っ張った後、右手を上げ、左ウィンカーを2回点滅させて圭子にサインを送る。
圭子から一回のパッシングが返る。
田山がわずかに左に進路を寄せると、チェンタウロがCB750の横をすり抜けて、前へ出ていく。
ちょうどすり抜けるとき、圭子が左手を上げて先頭交代の挨拶をしていった。
この速度で手を上げるだけも風圧で胸筋をかなり使うのだが、整形外科医の圭子は手術でかなり力を使うときもあるとかで、筋力もある程度鍛えている。
CB750の強化されたヘッドライトの中に、チェンタウロと圭子の後ろ姿が映る。
きれいだよなあ…。
田山は毎回感心してしまうのだった。
圭子とチェンタウロは、後姿も本当に美しい。
CBの光の円の中を、チェンタウロは離れていく。
田山はライトをすぐにローに切り替える。
後姿は安定し、高速道路をまさにのびのびと走っているようだった。
まだ先は長い。二人のナイトランは、まだ続く。
山陽自動車道は、やがて中国自動車道と合流する。
(つづく)
また、公道では必ず安全運転に努めて下さい。
時速100kmは秒速約27.8m。
時速100キロで走るバイクの上では、ライダーは風速28mの暴風にさらされている。
北海道襟裳岬にある風の館では風速25mを体感できるが、風の轟音で話はできず、体は風上に向かって斜めに立たねばならない。きちんと着ていない衣服ははぎとられる恐れもある。
風速50mといえば、猛烈な台風で看板が落ち、木々がなぎ倒され、屋根の瓦が飛ぶ、そんな風だ。
時速180キロで走行するとき、ライダーは風速50メートルの嵐の中にいることになる。
山陽自動車道を、田山のCB750と圭子のチェンタウロは縦に並んで疾走していた。
2台とも風よけのカウルを持たないタイプ。風圧は容赦なくライダーを襲う。
田山も圭子も上体を前傾させ、低く構えてスロットルを開けていく。
すでに午後10時をまわり、交通量は少ない。長距離の大型トラックが多く、ワンボックスもいる。乗用車もいるが、まばらだ。
「圭子のやつ、突っつきやがって…。もう少し我慢しやがれ」
後ろの圭子が速く走りたがっている。田山は微妙に速度を上下し、落とすときに背中でプレッシャーをかける。
「安全運転だぞ、圭子!」
闇の中、圭子のチェンタウロのヘッドライトが白く輝く。
ロービームだから目は射ないが、ヘッドライトの明るさはノーマルの比ではない。
その光の揺れ、自分との距離で、圭子の走りが田山には体感できる。
圭子はもっと速く走りたがっている。
たしかに、いつもより少し遅いペースを、あえて田山は作っていた。
逸る気持ちのまま飛ばしては、危険なゾーンに知らずに飛び込むからだ。
前の視界が開け、完全に先行車の姿が消えると、田山はCB750を加速させていく。
そのタイミングに遅れずに圭子もついてくる。車間を一定に保ち、遅れない。つまり、もっと行けと言っているのだ。
CB750はさらに加速していく。
4気筒エンジンの咆哮が次第に金属的になってゆき、風切音がそれさえも切り裂こうとする。
路面を流れる白線の勢いと、通過していく照明灯の流れ方が、速度を教える。
視野が狭まってきた。速度はさらに上がる。
後ろのライトの輝きが喜びの表情に変わってきた。
「これがモトグッチだ…!」
田山は思う。回すほどに、疾るほどに、エンジンの振動は消え、どしっと安定し、路面に押さえつけられたような安定を見せ、そのくせ、ロール方向には実に軽快に動く。
疾れば疾るほど、飛ばせば飛ばすほどに生き生きと走るのがモトグッチだ。時速何キロ出たとか、そういう数字にしか、そしてその速さそのものよりもその数字を人に話すことでしか満足できない似非野郎には、グッチは似合わない。
CBの限界速度が近づいてきた。
と、遥か前方に赤いテールライトが見えた。
それがみるみる近づいてくる。
田山はゆっくり減速していく。
高速道路を飛ばすとき、田山が気をつけていることがあった。
それは追い越す相手を動揺させないということである。
夜中であれば後方から迫るヘッドライトに気が付かない可能性は、日中よりもかなり低くなるが、それでも予想外の速度で追い抜かれると、ドライバーが驚くことがある。高速道路で予期せぬことに突然出会うのは、誰にとってもリスクのある、恐ろしいことだ。
驚いたドライバーが急にハンドルを来ったりすると、何らかの事故を誘発するかもしれない。そうでなくても、徒に相手の心拍数を上げるような真似はしない方が、
行く行くはお互いのためだ。
命を乗せて走っているバイクでは、無用のリスクは低いに越したことはない。
アクセルを少し戻しただけでも、空気抵抗で車速は落ちていく。その落ちるのに任せながら、徐々に減速しつつ前方の車に近づく。チェンタウロも緩やかに減速してきている。
圭子もいつもの冷静さを取り戻してきたか…、と田山は思う。
自転車が通過していくような速度差で、先行車を追い抜く。
2台で追い抜いたら、そこから少しずつ、また車速を上げていく。
長い時間をかけて、再びさっきのような速度に到達する。
後ろのヘッドライトはスピードに喜んで、しかし、さっきよりは落ち着いた光の揺れになっている。
距離を示す緑の看板が、「ゆっくり早送りをしているように」、現れては消える。
先行車が見えるたびに速度を落とし、抜いたら上げる。
しばらく先行車が合わられない時には、時間を見計らって速度を徐々に下げ、しばらく巡航する。チェンタウロの呼吸を見計らって、また上げていく。その上げ方も、毎回少しずつ変える…。
高速走行で危険なことの一つに速度感覚の慣れがある。
人間はそれが30キロでも120キロでも、200キロでも、一定時間以上同じ速度で走り続けると、その速度に慣れ、感覚が麻痺していく。
過ぎた緊張は早い疲労を呼び危険だが、自分が置かれている運動エネルギーを実感できなくなって高速で長時間ただだらだらと走るのは、さらに危険だ。
車の流れが一定の速さで流れている場合でも麻痺は起こるが、流れに乗っていれば相対的な速度差が少ないので、危険はやや相殺される。しかし、それでも何かあった時にはその速度なりの運動エネルギーが襲い掛かってくることに変わりはない。
まして、空いた道で飛ばすときには、自分の出している速度を、メーターではなく、身体の危機センサーでしっかり感じていた方がいい。
田山は、そのため、巡航速度を長時間固定しない。
緊張しすぎず、しかし、弛緩せず、覚醒状態に自分をマシンを置くためだ。
運動エネルギーの増減と速度の変化、エンジンの反応、サスの動き、風圧の変化、そうした「新鮮な空気」を、常に自分に送り続けるのが、田山の流儀だ。
そうした走りを丁寧にすることで、自意識の中の余計な部分が風に洗われていく。
田山は勝手に、それをバイクの「走行濾過効果」と呼んでいた。
ミラーに映るチェンタウロンのヘッドライトは、宮島SAに飛び込んで来た時の、また、宮島SAから出たばかりの時の、どこか余裕のない切り詰められたような感じの空気を、大分脱してきていた。
車線変更も、加減速も、圭子とチェンタウロとの呼吸がだんだん合いつつある。
「圭子、大分ほぐれてきたな…、もう大丈夫か」
田山は少し引っ張った後、右手を上げ、左ウィンカーを2回点滅させて圭子にサインを送る。
圭子から一回のパッシングが返る。
田山がわずかに左に進路を寄せると、チェンタウロがCB750の横をすり抜けて、前へ出ていく。
ちょうどすり抜けるとき、圭子が左手を上げて先頭交代の挨拶をしていった。
この速度で手を上げるだけも風圧で胸筋をかなり使うのだが、整形外科医の圭子は手術でかなり力を使うときもあるとかで、筋力もある程度鍛えている。
CB750の強化されたヘッドライトの中に、チェンタウロと圭子の後ろ姿が映る。
きれいだよなあ…。
田山は毎回感心してしまうのだった。
圭子とチェンタウロは、後姿も本当に美しい。
CBの光の円の中を、チェンタウロは離れていく。
田山はライトをすぐにローに切り替える。
後姿は安定し、高速道路をまさにのびのびと走っているようだった。
まだ先は長い。二人のナイトランは、まだ続く。
山陽自動車道は、やがて中国自動車道と合流する。
(つづく)
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ドライバーの見えない車ですら、人によっては車の雰囲気が変わることがあります。
僕は後ろを走るのが大好きです^^
免許を手にした時から思っていますが、車もバイクも走っている自分の姿と愛車を見られないのはとっても残念なことです(笑
ライダーの後ろ姿は、魅力的です。
車から見てもつい見続けてしまうほどに魅力的ですが、一番魅力的に見えるのは、その直後を自分もバイクで走りながら先行車のライダーを見ているときでしょう。
この共有感と不思議な距離感は、バイク独特のものだと思います。
私も走りながら先行するライダーをみるのは大好きです。
そして、自分の走る姿を見たいという願望は、ライダーに宿命的なものだと思います。
モトグッチ、いいエンジンですよね。
一度借りて乗り、しびれました。
続き、楽しみです。
よく次々話が出来ますね。
感心してます。
ありがとうございます。
今週からまた忙しくなってしまって、なかなか記事の続きが書けないでいます。
が、この週末は少し書きたいなと思います。
話は浮かぶときはぶわっと浮かんできて、
浮かばないときは、まったく浮かびません。
ひねり出すというより、なんか浮かんでくる感じなんですが、忙しすぎると浮かぶ途中で消えてしまって、自分ではどうにもできないので、困ったりもしています。
次回、中国自動車道をさらに西へ走ります。