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富良野・美瑛『夏の丘』5 森の神様

道道231号線の行き止まり、天人峡温泉に到着したのは、午前9時20分だった。
大雪山の懐深く、崖の切り立つ渓谷のさらに奥にある天人峡は、柱状節理の岩肌が垂直に切り立ち、清流が音を立てて流れるその渓谷の中に四軒のホテルがあり、道はここで突然に途切れる。

落差270メートルの羽衣の滝にはここから歩くしかないのだが、崩落の恐れありとかで、工事が終了するまで、その歩道も完全通行止めになっていた。

残念だが、羽衣の滝は断念だ。

緑濃い渓谷の中はすでにかなり暑くなってきている。
昨夜ここに泊まったのだろう、外国の観光客を乗せたバスが駐車場を出発していった。
聞こえていたのはドイツ語の会話だったが、北海道に訪れる観光客は国内はもちろんだが、最近は外国からの観光客が増えてきている。



特に多いのは、韓国、中国、台湾など、アジアからの観光客だ。
台湾や香港からの観光客は特に冬の雪景色を楽しみにやってくる。

また、南半球、ニュージーランドやオーストラリアからの観光客も多い。
四季が逆になる北海道は、向こうの真夏にスキーが楽しめ、向こうの真冬に夏を楽しめる。

観光客は北海道の自然を見に来るのであって、テーマパークにくるのではない。
農的な田園風景を見に来るのであって、札幌のビル群を見にくるのではない。

北海道の今後の産業発展を考えるとき、明治以降の開発、資源提供型の発展はもう終わったと見るべきで、今後は、農、林、水産業と、自然に親しむ観光がメインになることははっきりしている。

大規模開発の時代は終わったのだ。
小さく、自然とともに、賢く。
それが21世紀の北海道のテーマだと思う。

さあ、滝が見られないとなれば引き返すのだが、この道道231号線の旧道にあたる林道の脇に、巨大な桂の樹があり、樹齢は推定900年、幹周りが11mもあるといわれている。
美瑛の小学生たちによって「森の神様」と名づけられたというこのカツラの巨木に会うことが、今日の走りの一つの大きな目的でもあった。

さっき来るときに林道の入り口は確認済みである。早速向かうとしよう。
ここからは恒例の語り手交代、樹木レポーターの樹生和人氏(どうせ同じ人なんですけど)にお任せしよう。



カツラの巨木「森の神様」は林野庁が選定した全国の「森の巨人たち100選」に入っている巨木です。
林道の入り口には、かつてはなかった立派な看板が立ち、道道231号からでもわかりやすくなっています。

このあたりはヒグマなど野生動物の生息地で、温泉のホテルを除けば民家も全くないわけですから、人間ではなく、ヒグマたち動物のテリトリーです。

林道は未舗装とはいいながら路面もフラットで走りやすく、500mも走ると森の神様に到着します。

周囲には大きな樹、背の高い樹が立ち、森の深さを思わせるのですが、寒い土地の森だからか、「鬱蒼とした」感じはしません。
こもれびが所々に射し込み、気持ちのいい、明るい森です。

ちょっと広間のようになっているところにゲートがあり、そのゲートは開いていましたが、車両通行禁止のレオのバッテンマークの標識が低いゲートに取り付けられていました。
ここで一旦停止です。

と、同時に、あ、着いたんだ、という感じがしました。
上の写真、すでに森の神様はその一部が写っています。



巨木がある場所とは、その巨木が何百年、樹によっては1000年以上かけて成長することのできる環境が整っていた場所ということです。
数少ない私のの巨樹巡礼の旅ですが、そのどの樹にも共通した、場所の雰囲気というものがありました。

おそらくは、適度に差し込む日差し。その陽射しを可能とする地形。豊かな地下水脈。強風を遮る周りの地形や森などの環境などが、巨樹たちの周りにある共通項なのでしょう。

樹とても、ひとりで大きくなるわけではなく、周囲の環境の助けがあって、奇跡的な好条件の重なりがあって、初めて巨樹となるまで成長し、生きながらえることができるのです。

周囲には人の気配はありません。
林道のゲートの蕎麦にバイクを停め、暑さで熱のこもったジャケットと脊椎パッドを脱ぎ、ポロシャツ一枚になって森の神様の方へ歩いていきました。



「森の神様」です。

信仰を持たない私は宗教的な流儀を持ちません。私なりの挨拶をいつものように樹に捧げ、それからこの樹と対面させてもらいます。

大きい。
高さ、大きさ、幹の太さ、全てが大きい樹です。
そして大きいだけでなく、この樹の周囲には非常に安らかな、なんというか「慈しみの気」のようなものが満ちているように感じられるのです。

ここにいるだけで、何かゆるされていくような、不思議な感じです。



半球状に広がった樹形から、高さよりも広がり、樹冠の大きさが意識されるのですが、高さ自体もかなりある樹です。

主幹の幾本かは老いのためか枯死したり途中で折れたりしたようですが、それでも古い昔の幹も今も天を向き、比較的若い胴吹きやヒコバエの枝が樹冠を大きく周囲に広げていくという、カツラの巨樹の典型的な樹形となっています。

それにしてもこの周囲の空気。しっとりとして、でもじめじめしていなく、木陰になって涼しいが、暗くはないという、このいごこちのいい感じが伝わるでしょうか。



この樹は周囲に柵もなく根方まで近寄ることも、樹に触れることもできます。
そっと近づき、樹冠に入ると、さらにやさしい気につつまれるような感じがしました。
カツラの気は葉が一つ一つかわいいハート型をしているのですが、その葉が適度に光を透過させ、その枝の重なり加減によって、木陰の明るさも非常に微妙で多彩なグラデーションを持ち、それが森の中を抜けるそよとした風によって枝が動くことで、光の加減とともに動くのですから、樹の下にいても、飽きることがありません。
波打ち際で、寄せては返す波をいつまでも見てしまうように、この木洩れ日のシンフォニーは、いつまでも聞き飽きることのない音楽のような感じなのです。



明るく陽の当たっている葉の表に、ヒナタアブが一匹、止まって日向ぼっこをしてました。
そして気づくのは、周囲にほのかに甘いかおりがしていることです。

カツラは、芳香する樹なのです。
樹の中には独特の香りを出すものが少なくありません。木材となってからでも、ヒノキや杉はいい香りがし、しかもそのかおりはリラックス効果を持ちながらも人工の香水や芳香剤のようにきつくなく、嗅ぎつづけていても人を疲れさせることがありません。

カツラは確かによい香りのする樹として紹介されている樹なのですが、私は今までカツラの樹の香りをそれほど意識したことがありませんでした。

しかしこの樹はいいにおいがします。
樹が香るというよりもこの空間全体がやさしいいい香りに包まれているのです。
その香りは、やさしくかすかな、しかしはっきりとした香りです。
ほんのり甘い感じのにおいで、しかしその甘さは、べとつくようなことのない、今までにかいだことのない香りでした。



再度枝の広がりを樹の真下から見てみます。
「森の神様」という愛称は、美瑛町の小学生たちがつけた名前らしいのですが、この樹自体が森のような、そんな大きな樹冠を持っています。

子どもたちはこの大きな樹に、例えばアニメのトトロのような、森と人間が隣り合わせで、時々交差して生きている東北の農村的な宮崎駿の世界を投影したのかもしれません。

しかし、この樹とこの森の持つ清涼さは、もう少し北国的でしょう。

トトロに出てくる森の神や精、妖怪?たちは人間的な愛嬌があり、意地悪な言い方をすれば、人間に媚びているところがあります。ネコバスなどはわかりやすい例で、昭和20~30年代へのノスタルジーを、まるで具現化したような、実は大人の欲した田舎のあり方をなぞるような世界です。

しかし、この樹の周りの空気は、人間に媚びていません。人間がいようがいまいが、この空間はこの空間として、心地よい、安らかな空気を作り、樹を育て、生き物たちを引き寄せているのでしょう。

非常に手の込んだ、不自然さを消そうとしたCG。生活背景や生身の感情を消し去った、ひたすらにこやかな店員サン達の笑顔。
それはその場では私たちを癒すように見えて、実は少しずつ私たちを疲労の向こうへと追い込んで行き、私たちは、怒りやイライラを気づくこともできないまま溜め込んで行きます。



ゲームはリアルになればなるほど、その偽物性を背負い込んでいくでしょう。
接客マニュアルは身につけるほどに、笑顔の向こうに鎧を感じさせてしまうでしょう。
私たちはもう、そういうものたちに疲れ果てているのではないでしょうか。

文明人である私は、純粋な自然の中ではもはや生きていくことはできません。
文明を否定することもできません。

しかし、僕らはどうして海を見たくなるのか、どうして夕焼けを恋しがるのか、
そのことを考えて、そのことを忘れないようにして、文明のあり方を考えていく、
そういうことはできるような気がします。

美瑛の山深く、森の中のカツラの巨木、「森の神様」。
そのカツラの巨木と周囲の森を見て私が考えたことは、こんなことでした。



森の神様に別れの挨拶を告げ、GPZに跨ったら、再び、忠別川を下って忠別ダムを過ぎ、そのまま旭川方向へは下らずに、丘をいくつか越えて、美瑛の丘陵地帯に入りましょう。
丘巡りの始まりです。
では、ここから先は再びツーリングレポーターの樹生和人さん(文体が違うだけで私なんですけどね)にバトンを返しましょう。  (つづく)
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