朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

弥勒寺とサテク妃

2012年07月13日 | 階伯(ケベク)

「三国遺事」の武王とソンファ姫との一件(いわゆる「ソドンヨ」説話)を記録した項目中に、弥勒寺というお寺の建立の由来に関する記述がある。

ある日、王が夫人をつれて獅子寺に参る途中、竜華山の下の大きい池のほとりにくると、弥勒仏三尊が池の中から出てきたので、車を停めて敬礼した。夫人が王にむかって「ここに大きい寺を建ててください。私の願いでございます」というと、王はそれに応じた。知命法師のところへ行って、池を埋め立てることを相談すると、神秘な力で一夜のうちに山を崩して池を埋め平地にしてしまった。弥勒三像と会殿・塔・廊廡(ろうぶ:表御殿に付属した長い建物)を各々三ヵ所に建て、寺名を弥勒寺(国史には王興寺といっている)といった。真平王がいろいろな工人を送ってきて助けてくれた。
(「三国遺事」朝日新聞社版より)

この弥勒寺(Mireuksa)の仏塔から、つい最近(2009年)国宝級の出土品が見つかったということなのだが、金の板(gold plate)に弥勒寺建立の由来を示す文字が刻まれていたということである。

Mireuksa

関連する部分を抜き出してみる。

我百濟王后佐平沙乇積女種善因於曠劫受勝報於今生撫育萬民棟梁三寶故能謹捨淨財造立伽藍以己亥年正月卄九日奉迎舍利

このままではよくわからないので、ラフに英訳されたものをさらにラフに和訳してみると・・・

我が百済の王妃、佐平沙乇積(サテクチョクトク)の娘
生涯を通じて善行を広め
現世で受けたカルマ(業)により
民衆を導いた
仏法の教えをよく擁護し
その浄財で寺院を建立し
639年正月29日に
この仏舎利を奉納した

曠劫:仏語。きわめて長い年月。
棟梁:仏法を守り広める重要な地位。また、その人。
三寶:仏語。仏と、仏の教えである法と、その教えを奉じる僧の三つの宝。仏・法・僧。
伽藍:大きな寺・寺院の建物。
舍利:仏や聖者の遺骨。特に釈迦(しゃか)の遺骨をさし、塔に納めて供養する。仏舎利。

 

つまりサテク妃は仏教を広めることにご熱心だったということらしい。オ・ヨンス演じるドラマ中のサテク妃とはかなりイメージが異なる。

サテク・チョクトク(沙宅積徳)の名前が出てくるので彼もまた間違いなく実在した人物であり、サテク妃の父親であるというのも事実ということになる。

しかしまあ、この出土品は超一級のもので、7世紀当時の記録がそのまま現代によみがえったということでその重要性は計り知れない。「三国史記」や「三国遺事」が12世紀に入って編纂されたもので、改竄の可能性が極めて高いこととは好対照である。

しかし、そうなってくると「三国遺事」に記述されているソンファの願いによる弥勒寺建立という話とは辻褄が合わないわけで、ますますソンファ姫の実在性は疑わしいということになってしまうわけだ。

やはりソンファ姫は架空の人物なのだろうか?


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