1933年9月30日 スパイM配下の中村、西代らは、決行前に料亭「今文」で饗宴。
SABU監督の『蟹工船』がシカゴ映画祭で上映されます。
http://www.chicagofilmfestival.com/films_and_schedule/daily.php?date=2009-10-19
ニューヨークでは、もう上映されました。
映画は、原作とはちがうとはいえ、海外にこうして紹介される機会が増えたことはよろこばしいことだ。
映画「時代を撃て・多喜二」(池田博穂監督 2004)は、とうとうこうした国際舞台に立つことはなかった。
それが残念だ。
このところ新しい仕事で出歩いている。
運動不足だったので、こたえる。
ブログ投稿は、以前にセットした予約投稿です。
来年3月まで、予約を埋め込んであるので。
こんな調子でも、日々プログは更新されます。
コメントに反応できないままになってしまいますが、閲覧はしいいますのでご安心を。
ではお休みなさい。
金子洋文 かねこ・ようぶん 明治27(1894)・4・8~昭和60(1985)・3・21
小説家、劇作家。秋田生れ。本名吉太郎。大正2年秋田県立秋田工業機械科卒。同10年、小牧近江、今野賢三らと『種蒔く人』を創刊。「地獄」(大正12)により文壇に認められた。一方、『文芸戦線』系の劇作家、演出家としても活躍。戦後一時期、社会党の代議士となったが、一貫して新派、新国劇の発展に尽した。『洗濯屋と詩人』(昭和2)他、著書多数。
小説家、劇作家。秋田生れ。本名吉太郎。大正2年秋田県立秋田工業機械科卒。同10年、小牧近江、今野賢三らと『種蒔く人』を創刊。「地獄」(大正12)により文壇に認められた。一方、『文芸戦線』系の劇作家、演出家としても活躍。戦後一時期、社会党の代議士となったが、一貫して新派、新国劇の発展に尽した。『洗濯屋と詩人』(昭和2)他、著書多数。
第4回あだち多喜二のつどい
■日時=10月12日(体育の日)12時50分から
■場所=足立区エルソフィアにて第4回あだち多喜二のつどいが開催されます。
●記念講演
■講師=土井大助(詩人 著書『よみがえれ小林多喜二』本の泉社)
演題「時代の先駆者・小林多喜二」
■映画「「いのちの記憶 小林多喜二29年の人生」(80分)上映
いのちの記憶3分
■朗読=「多喜二の母、セキ」
■西伊興在住の丸山征四郎作曲「組曲『蟹工船』」(足立ピースフラワー合唱団が演奏)。
■資料代=1000円
問い合わせなどは、主催の「あだち多喜二のつどい実行委員会」
連絡先 足立区西伊興3―10―4 嶋圭方
03―3897―2565
郵便局振込口座 00100―7―391278
ヒューマンドキュメンタリー「いのちの記憶 小林多喜二29年の人生」内容は以下の通り。
●出演 河東けい(女優) / 三浦光世(三浦綾子記念文学館館長)
ノーマ・フィールド(シカゴ大学教授)
倉田稔(小樽商科大学名誉教授) / 浜林正夫(一橋大学名誉教授)
井本三夫(元茨城大学教授) / 佐高信 ほか
構成・守分寿男(映像プロデューサー・演出家、元北海道放送常務)
プロデューサー・松田耕二(北海道放送編成制作局)
●みどころ
作家・小林多喜二が生きた時代を、映像や資料を基に綿密に考察し、彼をとりまく家族や友人、多喜二が心を寄せた女性たちの生き様を描くドキュメンタリー。
三浦綾子原作の「母」の芝居を縦糸として進行します。現在、多喜二がどう捉えられているのか、そして今の時代を多喜二ならどう見るかなど、著名人や多喜二を知る関係者のインタビュー、中国で行われた多喜二シンポジウムの様子なども紹介しながら掘り起こしていきます。
「蟹工船」など多くの作品を世に問い、プロレタリア文学者、理論家という多彩な面をもちながらも、わずか二十九年の短い人生を終えた小林多喜二。多喜二の人間としての面にスポットを当てます。激しく右傾化していく時代と誠実に対峙し、その時代と激突して志なかばで死んだ人間としての多喜二や、恋に悩み、家族や社会的な弱者に対する暖かく優しい目を持ち続けた多喜二をリベラルな視点から描きます。わずか二十九年で切断された多喜二の人生は、生きたくても生きることが出来なかった彼の無念の思いとともに、その後の激動の時代を逆に照射し続けてきました。生誕105年、死後75年を経て、その人生が再び新しく見直されています。長い歳月を超えて、その人生が、今、鋭く突きつけてくる問いとは何なのでしょうか?
一人の若者のひたむきな人生の軌跡を、北の風土の特性と共に描きながら、死後、多喜二の人生が辿った運命を探り、時代ごとに彼が問いかけてきたものを見つめていきます。
■日時=10月12日(体育の日)12時50分から
■場所=足立区エルソフィアにて第4回あだち多喜二のつどいが開催されます。
●記念講演
■講師=土井大助(詩人 著書『よみがえれ小林多喜二』本の泉社)
演題「時代の先駆者・小林多喜二」
■映画「「いのちの記憶 小林多喜二29年の人生」(80分)上映
いのちの記憶3分
■朗読=「多喜二の母、セキ」
■西伊興在住の丸山征四郎作曲「組曲『蟹工船』」(足立ピースフラワー合唱団が演奏)。
■資料代=1000円
問い合わせなどは、主催の「あだち多喜二のつどい実行委員会」
連絡先 足立区西伊興3―10―4 嶋圭方
03―3897―2565
郵便局振込口座 00100―7―391278
ヒューマンドキュメンタリー「いのちの記憶 小林多喜二29年の人生」内容は以下の通り。
●出演 河東けい(女優) / 三浦光世(三浦綾子記念文学館館長)
ノーマ・フィールド(シカゴ大学教授)
倉田稔(小樽商科大学名誉教授) / 浜林正夫(一橋大学名誉教授)
井本三夫(元茨城大学教授) / 佐高信 ほか
構成・守分寿男(映像プロデューサー・演出家、元北海道放送常務)
プロデューサー・松田耕二(北海道放送編成制作局)
●みどころ
作家・小林多喜二が生きた時代を、映像や資料を基に綿密に考察し、彼をとりまく家族や友人、多喜二が心を寄せた女性たちの生き様を描くドキュメンタリー。
三浦綾子原作の「母」の芝居を縦糸として進行します。現在、多喜二がどう捉えられているのか、そして今の時代を多喜二ならどう見るかなど、著名人や多喜二を知る関係者のインタビュー、中国で行われた多喜二シンポジウムの様子なども紹介しながら掘り起こしていきます。
「蟹工船」など多くの作品を世に問い、プロレタリア文学者、理論家という多彩な面をもちながらも、わずか二十九年の短い人生を終えた小林多喜二。多喜二の人間としての面にスポットを当てます。激しく右傾化していく時代と誠実に対峙し、その時代と激突して志なかばで死んだ人間としての多喜二や、恋に悩み、家族や社会的な弱者に対する暖かく優しい目を持ち続けた多喜二をリベラルな視点から描きます。わずか二十九年で切断された多喜二の人生は、生きたくても生きることが出来なかった彼の無念の思いとともに、その後の激動の時代を逆に照射し続けてきました。生誕105年、死後75年を経て、その人生が再び新しく見直されています。長い歳月を超えて、その人生が、今、鋭く突きつけてくる問いとは何なのでしょうか?
一人の若者のひたむきな人生の軌跡を、北の風土の特性と共に描きながら、死後、多喜二の人生が辿った運命を探り、時代ごとに彼が問いかけてきたものを見つめていきます。
Paul Simon & Art Garfunkel The Sound Of Silence Live
高校の文化祭でこの曲をやったなぁ。
どへただったけどね。
いい度胸でした。
オリジナルは大変美しいです。
秋の夜長に、ゆっくりと耳を傾けてください。
佐藤
高校の文化祭でこの曲をやったなぁ。
どへただったけどね。
いい度胸でした。
オリジナルは大変美しいです。
秋の夜長に、ゆっくりと耳を傾けてください。
佐藤
インフルで東京都「流行注意報」 患者急増、大半は新型
2009年9月25日21時2分
東京都は25日、インフルエンザ患者数が急増しているとして、「流行注意報」を発令した。患者の大半は新型インフルといい、都は「今後4週間以内に大流行する可能性がある」と注意を呼びかけている。
都によると、14~20日の1週間で、調査対象の270医療機関から計2773人の患者の報告があった。前週より1079人多く、1機関あたりの患者数も5.9人から10.27人に急増。7月下旬以降に報告された患者のうち、新型インフルの感染者は97%に上るという。
都は、学校などでの集団感染の拡大が患者増加の原因とみている。
2009年9月25日21時2分
東京都は25日、インフルエンザ患者数が急増しているとして、「流行注意報」を発令した。患者の大半は新型インフルといい、都は「今後4週間以内に大流行する可能性がある」と注意を呼びかけている。
都によると、14~20日の1週間で、調査対象の270医療機関から計2773人の患者の報告があった。前週より1079人多く、1機関あたりの患者数も5.9人から10.27人に急増。7月下旬以降に報告された患者のうち、新型インフルの感染者は97%に上るという。
都は、学校などでの集団感染の拡大が患者増加の原因とみている。
Takiji Sai, part one
英語で紹介する2009年小樽多喜二祭。
英語で紹介する2009年小樽多喜二祭。
本多延三郎は、明治40年、父池田吉太郎と母本田テツの長男として函館(相生町)で生れる。
父吉太郎は延三郎が4歳の時に他界する。
大正9年、函館商業学校に入学、弁論部に所属する。14年卒業後、昭和2年20歳のとき、弁論部の先輩だった劇作家八木隆一郎を頼って上京する。
翌年、村山知義が主宰する左翼劇場に、研究生として入団。同期生に小沢栄太郎、松本克平、1年先輩に滝沢修らがいた。
劇作家志望だったが、小道具係をしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★中野重治『愛しき者へ』に、多喜二との交渉の情報がある。
また、河野さくらの思い出が記録された『文化評論』にも証言がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和9年、同劇場は解散し、新協劇団に入団する。
日本プロレタリアート劇場同盟書記長も務め、治安維持法で「ご用」になって3回、通算3年半を獄中で暮らす。この間2本の戯曲を書き、後年、学生だった井上ひさしがこれを読んでいた。
昭和23年、劇団民芸の前身「民衆芸術劇場」の経営部を手伝ったが、小沢栄太郎の誘いで俳優座経営部へ移る。俳優座の俳優以外に、民衆芸術劇場が解散したため滝沢修、宇野重吉のマネージャーも一時やっていた。
昭和24年、延三郎の発案で新劇団の映画出演への窓口を一本化した新劇協同社を設立。無声映画からトーキーへ変わった以降の映画界では、セリフをきちんと話せる新劇俳優が求められ、そのマネージメントを同社が独占した。アイデアは良かったものの内実は自転車操業の赤字続きで1年余りで解散、家を担保に借金をし負債を整理する。その後、五月舎時代には自宅を担保にする緊急手段を何度も使わざるを得なかった。
延三郎は新劇協同社時代の借金を整理しながら「もう、こんなばかばかしいことはやめた」と本心で思ったそうだ。そこへ俳優の岡田英次、木村功、金子信雄らが訪ねてきて新しい劇団を作ってほしいと説得される。
昭和27年、「青年俳優クラブ」を設立する。翌々年、「劇団青俳」に名称を変更、倉橋健を柱に、文学座の若手演出家だった木村光一、無名時代の清水邦夫や、安部公房らと仕事をする。俳優も新たに西村晃らが入る。劇団研究所1期生には蜷川幸雄もいた。社長として青俳には20年いたが、45年劇団内部の葛藤から身をひく。
延三郎は青俳時代に、東映の嘱託プロデューサーとして30数本の映画を手がけ、今井正監督の「米」など、ある年のブルーリボン賞1、2位を占めたこともあった。また、同監督の「武士道残酷物語」はベルリン映画祭で邦画初の最高賞の金熊賞を受賞した。
昭和46年5月、芝居が好きで仕方のなかった延三郎は、青俳から身をひいてすぐ、演劇プロデュースの五月舎をスタートさせた。井上ひさし、水上勉の戯曲を中心に、木村光一が演出した。その舞台成果は目を見張るものがあり、毎年のように演劇賞をもらい、延三郎自身も昭和51年に日本新劇経営製作者協会賞を受賞。56年には、紀伊国屋演劇賞特別賞を受賞した。
平成7年3月18日、日本の演劇・映画プロデューサーの草分けとして活躍した本田延三郎は心筋梗塞のため東京都狛江市の慈恵医大第三病院で死去、享年87歳であった。
________________________________________
本文/「ステップアップ」vol.162(2002.9)より
参考資料/「父の贈り物」青木笙子著
父吉太郎は延三郎が4歳の時に他界する。
大正9年、函館商業学校に入学、弁論部に所属する。14年卒業後、昭和2年20歳のとき、弁論部の先輩だった劇作家八木隆一郎を頼って上京する。
翌年、村山知義が主宰する左翼劇場に、研究生として入団。同期生に小沢栄太郎、松本克平、1年先輩に滝沢修らがいた。
劇作家志望だったが、小道具係をしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★中野重治『愛しき者へ』に、多喜二との交渉の情報がある。
また、河野さくらの思い出が記録された『文化評論』にも証言がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和9年、同劇場は解散し、新協劇団に入団する。
日本プロレタリアート劇場同盟書記長も務め、治安維持法で「ご用」になって3回、通算3年半を獄中で暮らす。この間2本の戯曲を書き、後年、学生だった井上ひさしがこれを読んでいた。
昭和23年、劇団民芸の前身「民衆芸術劇場」の経営部を手伝ったが、小沢栄太郎の誘いで俳優座経営部へ移る。俳優座の俳優以外に、民衆芸術劇場が解散したため滝沢修、宇野重吉のマネージャーも一時やっていた。
昭和24年、延三郎の発案で新劇団の映画出演への窓口を一本化した新劇協同社を設立。無声映画からトーキーへ変わった以降の映画界では、セリフをきちんと話せる新劇俳優が求められ、そのマネージメントを同社が独占した。アイデアは良かったものの内実は自転車操業の赤字続きで1年余りで解散、家を担保に借金をし負債を整理する。その後、五月舎時代には自宅を担保にする緊急手段を何度も使わざるを得なかった。
延三郎は新劇協同社時代の借金を整理しながら「もう、こんなばかばかしいことはやめた」と本心で思ったそうだ。そこへ俳優の岡田英次、木村功、金子信雄らが訪ねてきて新しい劇団を作ってほしいと説得される。
昭和27年、「青年俳優クラブ」を設立する。翌々年、「劇団青俳」に名称を変更、倉橋健を柱に、文学座の若手演出家だった木村光一、無名時代の清水邦夫や、安部公房らと仕事をする。俳優も新たに西村晃らが入る。劇団研究所1期生には蜷川幸雄もいた。社長として青俳には20年いたが、45年劇団内部の葛藤から身をひく。
延三郎は青俳時代に、東映の嘱託プロデューサーとして30数本の映画を手がけ、今井正監督の「米」など、ある年のブルーリボン賞1、2位を占めたこともあった。また、同監督の「武士道残酷物語」はベルリン映画祭で邦画初の最高賞の金熊賞を受賞した。
昭和46年5月、芝居が好きで仕方のなかった延三郎は、青俳から身をひいてすぐ、演劇プロデュースの五月舎をスタートさせた。井上ひさし、水上勉の戯曲を中心に、木村光一が演出した。その舞台成果は目を見張るものがあり、毎年のように演劇賞をもらい、延三郎自身も昭和51年に日本新劇経営製作者協会賞を受賞。56年には、紀伊国屋演劇賞特別賞を受賞した。
平成7年3月18日、日本の演劇・映画プロデューサーの草分けとして活躍した本田延三郎は心筋梗塞のため東京都狛江市の慈恵医大第三病院で死去、享年87歳であった。
________________________________________
本文/「ステップアップ」vol.162(2002.9)より
参考資料/「父の贈り物」青木笙子著
作品論では、ブームの呼び水となった新書サイズの『私たちはいかに「蟹工船」を読んだか』(遊行社2008)をはじめ、昨年9月英国・オックスフォード大学で開催の多喜二シンポジウムの記録『多喜二の視点から見た身体・地域・教育』(小樽商科大学出版会・紀伊國屋書店2009)、『いま中国によみがえる小林多喜二の文学』(東銀座出版社2007)、『「文学」としての小林多喜二』(至文堂2006)、『小林多喜二と「蟹工船」』( 河出書房新社2008)、『読本・秋田と小林多喜二』(同刊行会2001)などが最新の研究成果を多彩にまとめていて圧巻。
新刊では荻野富士夫『多喜二の時代から見えてくるもの』(新日本出版社2009)、不破哲三『小林多喜二―時代への挑戦』(新日本出版社 2008)、浜林正夫『「蟹工船」の社会史』(学習の友社2009) などが注目される。
●多喜二の生きざまを知る
多喜二の評伝では、今話題のノーマ・フィールド著『小林多喜二―21世紀にどう読むか』(岩波新書2009)が筆頭だが、一巻にまとめられ再刊の手塚英孝『小林多喜二』(新日本出版社2008)や、大冊の倉田稔『小林多喜二伝』(論創社2003)、多喜二の地下活動を支えた森熊(旧姓伊藤)ふじ子の遺句集を抄録した夫の政治漫画家・森熊猛自伝『マンガ100年見て、聞いて』(東銀座出版社2005)。
松本清張『新装版昭和史発掘4』(文春文庫2005)、澤地久枝『完本昭和史のおんな』(文藝春秋2003)、藤田廣登『小林多喜二とその盟友たち』(学習の友社2007)、くらせ・みきお『小林多喜二を売った男―スパイ三舩留吉と特高警察』(白順社2004)、『新潮日本文学アルバ28小林多喜二』(新潮1985)、ドキュメンタリーではないが三浦綾子『母』(角川文庫1996)なども興味深いものがある。
文学散歩ガイドは『小樽小林多喜二を歩く』(新日本出版社2003)に続き、作家同盟書記長、反帝同盟執行委員、共産党中央部員として活躍の地をめぐる『ガイドブック小林多喜二の東京1930~1933』(学習の友社2008) 、生地大館の『小林多喜二生誕の地を歩く』(国賠同盟大館鹿角支部2008)もそろっている。
●耳目総動員の映画・朗読DVD/CD
映画では、今夏新宿・テアトルほか全国ロードショーを予定の『蟹工船』(SABU監督、松田龍平主演)が話題を集め、半世紀を超えて上映されている山村聰監督版(北星1953)は2007年にDVDが発売され、いまだ全国で視聴されている。朗読CD/DVDは北海道出身の強みの若山弦蔵『蟹工船』(新潮 2008)、『30分でわかるシリーズ―蟹工船』(DVD 2009)、『文学のしずく第4巻 蟹工船』(中経出版 2007)。
音楽CDは、ケイ・シュガー『多喜二へのレクイエム』(オフィスhare2006)、新作映画「蟹工船」のインスパイア・アルバムも今夏キューン・レコードから予定されている。
多喜二の作品集はといえば、初期作品を集めた『老いた体操教師―瀧子其他』(講談社文芸文庫2007)、祥伝社新書編集部が独断で選んだ『小林多喜二名作集 ―近代日本の貧困―』(2008)、『小林多喜二名作ライブラリー』(新日本出版社全4巻)がおすすめ。
多喜二がなぜ「蟹工船」を書き、また社会主義者となったのか――その青春、人生の歩みに興味を持たれた方には、多喜二の生涯をドキュメンタリー映画DVD がある。
生誕100年記念製作の池田博穂監督『時代(とき)を撃て・多喜二』(共同企画ヴォーロ2004)、2008年芸術祭大賞受賞の守分寿男脚本『いのちの記憶―小林多喜二・29年の人生』(ソニーミュージック2008)の2種があり、それぞれ力作。今井正監督の映画『小林多喜二』(山本圭主演 1973)は、VHS/DVD化へ動きだすだろうか。