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趣味の話など

たけるんの青春デンデケデケデケ…就職編

2006-07-28 | 私のバンド歴
1992年
・就職で仙台から四国の田舎町に引っ越すことになる。かなりショック
 でした。
・バンド活動も絶望視していましたが、上司の紹介で会社の軽音楽部
 に入る。
 この軽音楽部の実態が、実は演歌+ハワイアンバンドであったことに
 驚く。
・軽音楽部では、既にパートが埋まっていたので、パーカッションをやら
 される。(まるでレコードデビュー時のリンゴ・スターみたいですね)
・マルチプレーヤーであったため、のちにパートの穴埋め要員として重宝
 される。最も需要があったのはKb担当としてでした。
・会社や地元の行事、赤の他人の結婚式(笑)、カラオケ愛好会(バンマス
 がカラオケの先生をやっていた)などなどで、不本意なジャンルおよび
 パートながら、ライブの数としては学生時代よりもこなしました。
 田舎は田舎なりにバンドの需要があるみたいです(笑)

1993年春~秋
・地元を舞台にした映画「青春デンデケデケデケ」を見て、大いに感動し、
 バンド活動を再開させようと奮起する。何とも単純な動機です。
 ちなみに、私のHNは、その主人公の名前「たけよし」が変化したもの
 です(笑)
・実は会社の軽音楽部に入った当初、バンマスから「ベンチャーズをやって
 みないか」と言われ五線譜(!)も渡されていたのですが、当時ビートルズ
 原理主義だった私は、ベンチャーズはロックちゃう、これだからオッサンは…
 と内心反発しておりました(笑) まさかそれから一年も経たぬうちに、掌を
 返したようにベンチャーズにはまることになるとは。
・軽音楽部のステージの一部として、ベンチャーズの曲を演奏させて貰う。
 私のパートはなぜかLead Gtで、難曲と言われる「キャラバン」も何とか
 コピーしました。
・その年の夏、会社のグラウンドで行なわれた「納涼祭」では、初めて
 屋外で何百人ものお客さんの前で演奏し、出来はともかく、大変気持ち
 の良い演奏ができました。
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