武産通信

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伊勢・出雲の同年遷宮

2013年01月14日 | Weblog
 ことしは伊勢神宮と出雲大社の遷宮が同時にあります。
 伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度で、62回目となる今回の予算は550億円。また出雲大社の修造遷宮は60年に一度で、今回の予算は80億円という。そろって遷宮が行われるのは昭和28年以来、60年ぶりである。

 伊勢神宮の式年遷宮の制度は、今から約1300年前に第40代天武天皇が定め、次の第41代持統天皇の代に皇大神宮の第1回目の遷宮が行われた。以来長い歴史の間、戦国時代に一時中断はあったが、20年に一度繰り返されて、この平成25年に第62回目の遷宮が行われる。
 遷宮とは、新しい宮を造って大御神にお遷(うつ)りを願うことで、式年とは定められた年を意味する。神宮には内宮(ないくう)・外宮(げくう)ともそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、20年ごとに同じ形の社殿を交互に新しく造り替えられる。また大御神の御装束、神宝も新しくされる。
 伊勢神宮は『常若(とこわか)の思想』で、神宮にとって最も重要な神事は、新しく収穫された米を天照大神に捧げ感謝して、来年の収穫を祈願する「神嘗祭(かんなめさい)」である。その神事を、社殿を20年に一度新しくして執り行うのが式年遷宮である。(伊勢神宮HP参照)

 出雲大社の創建。出雲大社の祭神の大国主大神は、神代の昔、国土を開拓して、国造りし国土を天照大御神に「国譲り(国土奉還)」して、神事(かみごと)の世界、幽世(かくりよ)の世界、神々の世界、魂(たましい)の世界を治める大神として、壮大な神殿に鎮まった。
 その神殿は、広く厚い板を用いて造営され、太く長い御柱は地下の岩盤に届くほどに地中深く突き固められ、屋根に掲げられる千木(ちぎ)はたなびく雲を貫くほどと、その壮大な様が『古事記』(712)・『日本書紀』(720)に言い継ぎ語り継がれている。
 出雲大社は『蘇り(よみがえり)の思想』で、大国主大神が蘇る神として古事記に登場する。それは、わが国の医道の始まりでもある。大国主大神は、建速須佐之男命の七世孫で、出雲大社の主神。大穴牟遲神(おおあなむじのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、葦原色許男神(あしはらのしこおのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)という名を持ち、伊耶那岐命、伊耶那美命の国造りを完成させる。(出雲大社HP参照)

 古事記に、わが国の医道の始まりが記されている。これは神産巣日神(かみむすびのかみ)が、大穴牟遲神(おおあなむじのかみ)を蘇生させたという記述。大穴牟遲神(おおあなむじのかみ)は、大国主大神の別名である。

 【古事記】
 大穴牟遲神、此八十神者必不得八上比賣。雖負[冠代巾脚]汝命獲之。於是八上比賣、答八十神言、吾者不聞汝等、之言將嫁大穴牟遲神。故爾八十神忿、欲殺大穴牟遲神共議而、至伯岐國之手間山本云、赤猪在此山。故和礼共追下者、汝待取。若不待取者、必將殺汝。云而。以火燒似猪大石而轉落。爾追下取時、即於其石所燒著而死。爾其御祖命哭患而。參上于天。請神産巣日之命時。乃遣蚶貝比賣與蛤貝比賣。令作活。爾蚶貝比賣岐佐宜集而。蛤貝比賣持承而。塗母乳汁者。成麗壯夫而。出遊行。
 
 大穴牟遲神(おおあなむじのかみ)に白(まお)さく、「此の八十神は必ず八上比賣を得たまわじ。[フクロ]を負ひたまへれども汝命ぞ獲たまはむ」と白しき。於是(ここに)八上比賣、八十神に答へらく、「吾は汝等の言は聞かじ、大穴牟遲神に嫁はむ」と云う。故爾(かれここ)に八十神怒りて、大穴牟遲神を殺さむと共議(あいたばか)りて、伯岐國の手間の山本に至りて云ひけるは、「此の山に赤猪在るなり。故和礼共追下りなば、汝待ち取れ。若し待ち取らずば、必ず汝を殺さむ」と云ひて。猪に以たる大石を火以て燒きて轉ばし落しき。爾追ひ下り取る時に、其の石に燒き著かえて死せたまひき。爾(ここ)に其の御祖命哭き患ひて。天に參上りて。神産巣日之命(かみむすびのみこと)に請したまふ時に、乃ち蚶貝比賣(きさかいひめ)と蛤貝比賣(うきむかいひめ)とを遣せて、作り活さしめたまふ。爾(ここ)に蚶貝比賣岐佐宜集めて、蛤貝比賣水を持って、母の乳汁を塗りしかば、麗はしき壯夫に成りて、出で遊行きき。
 
 大穴牟遲神に感謝して礼を述べるとともに「あなたの兄弟たちは八上比賣の心を射落すことはできないでしょう。姫はあなたのものになります」と予言した。そして八上比賣はその予言通り、自分は大穴牟遲神に嫁ぎたいと思うと明言する。これを面白くなく思った大穴牟遲神の兄弟たちは大穴牟遲神を殺そうとした。まずは大穴牟遲神に「今から猪を追って行くから、そちらで待ちかまえておいて捕まえてくれ」と言い、大きな石を真っ赤に焼いて転がした。その岩に当って大穴牟遲神はあっけなく死んでしまうが、大穴牟遲神の母が神産巣日神に願い出た結果、蚶貝比賣と蛤貝比賣が遣わされ、大穴牟遲神はこの姫たちの治療で蘇生する。

写真:出雲大社
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