武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

太秦ライムライト

2014年06月30日 | Weblog
 映画『太秦ライムライト』

 京都太秦の撮影所に所属する香美山清一(福本清三)は斬られ役ひと筋の俳優人生を歩んできたが、近頃は若者向けの新たな時代劇の波にのまれ、出番を失いつつあった。そんなある日、女優を目指す伊賀さつき(山本千尋)と出会った香美山は彼女に往年のある女優の面影を感じ、殺陣の稽古をつけることになる。そして香美山の指導のおかげでチャンスを掴んださつきは、東京でスター女優としての道を歩んでいく。時が経ち、大作時代劇のヒロインを務めることになったさつきは、すでに引退した香美山との共演を熱望するが。

 主演の福本清三は5万回斬られた男とも呼ばれ、「ラスト サムライ」にも出演した斬られ役の第一人者。華やかな映画スターではなく、裏方の斬られ役にスポットをあて大部屋俳優としての生き様を東映京都撮影所を舞台に繰り広げる。山本千尋、松方弘樹、萬田久子、本田傳太郎、監督役に中島貞夫が出演する。

 チャップリンが初めて素顔を出した映画史に残る傑作「ライムライト」が太秦の老いた斬られ役として甦る。


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渡辺淳一の俳句

2014年06月21日 | Weblog
 直木賞作家の渡辺淳一氏が4月に亡くなった。享年80歳。

                          なにをもて新春というか寝そべる犬

                          あやまちをまたくり返す初詣

                          新年や風邪が治らず冬ごもり     淳一

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三十一の組杖(三)  NPO AIKIDO KYOTO

2014年06月14日 | Weblog
  三十一の組杖(三)  21 ~ 31

【号令】         受け杖                    打ち杖

 21.    片膝をつき杖をたぐり寄せる        右半身上段の構え

 22.    立ち上がり逆突き
                                右足を引き上段から下方へ逆突き

 23.    杖を反転して叩き落す

 24.    中段直突き
                                中段逆受け

 25.    追い突き
                                杖を反転して叩き落し中段直突き

 26.    後退して杖をたぐり寄せる
                                下段打ち

 27.    さらに一歩後退して下段受け

 28.    上段逆突き
                                両手を揃え杖を立てて払い上段に振りかぶる

 29.    杖を反転して直突き構え

 30.    中段直突き              
                                左足を引き上段から叩き落す

 31.                             中段直突き
       逆横面打ち
                                                    
       半身立ち                   半身立ち

資料文献:斉藤守弘『合気道 剣・杖・体術の理合』第一巻、昭和48年
武産合気研究会:京都市武道センター

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三十一の組杖(二)  NPO AIKIDO KYOTO

2014年06月12日 | Weblog
 三十一の組杖(二)  12 ~ 21

【号令】         受け杖                    打ち杖

 12.    直突き構え                  直突き構え

 13.    中段直突き
                                突きをしごき落して中段直突き

 14.    中段外受け

 15.    上段返し面打ち
                                左足を一歩引き杖を反転して受ける

 16.    杖をたぐり寄せる

 17.    腰で払うように下段返し打ち
                                一歩後退し下段に受けて中段直突き

 18.    杖を反転して叩き落す

 19.    下段突き
                                下段受け

 20.    片膝をついて下段打ち
                                左足を一歩引き下段受け

 21.    杖をたぐり寄せる               右半身で上段に振りかぶる

資料文献:斉藤守弘『合気道 剣・杖・体術の理合』第一巻、昭和48年

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三十一の組杖  NPO AIKIDO KYOTO

2014年06月10日 | Weblog
  三十一の組杖  1 ~ 12

【号令】         受け杖                    打ち杖

      半身立ち                     直突き構え

  1.                              中段直突き
      突きをかわして返し突き

  2.                             突きをしごき落して中段直突き      
       中段外受け

  3.   叩き落して返し突き
                                 突きを巻き上げて上段直突き

  4.   左足を引きつけて杖の中央を持ち上段受け

  5.   上段返し面打ち
                                 杖を反転して受ける

  6.   連続打ち込み
                                 杖を反転して受ける
 
  7.   体を転じて後方面打ち
                                 八相返しで構える
 
  8.   連続打ち込み
                                 上段に振りかぶり一歩前進

  9.   右足を大きく開いて後方払い
                                 一歩後退

 10.   脇構えから摺り上げて相手の動きを制する
 
 11.   上段返し面打ち
                                 継足後退して受ける

 12.    直突き構え                    直突き構え

資料文献:斉藤守弘『合気道 剣・杖・体術の理合』第一巻、昭和48年

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二條家屋敷跡 発掘調査

2014年06月05日 | Weblog
 二條家屋敷跡  常盤井殿町遺跡現地説明会

 摂政や関白に任じられた五摂家の一つ、二條家の屋敷跡(同志社女子大学・同志社女子中高今出川校地)から、尾形乾山(1663~1743)の陶器の破片が発掘された。
 乾山は尾形光琳の実弟で、京都鳴滝に窯を持って独特の風合いの乾山焼を作り、京焼に大きな影響を与えた。
 出土した陶器の一部は皿の底部分とみられ、直径約8センチで、乾山の銘が入り、初期の乾山焼とみられる。
 文献によると、乾山は100回以上も二條家を訪れていたようだ。
 同志社大学歴史資料館によると、乾山焼が遺跡から見つかるのは極めて珍く、二條家の邸で御庭焼がつくられ、工芸家のパトロンとしての二條家を示すものだという。
 今回の発掘調査では他に天皇家から下賜された菊紋をあしらった磁器類や、縁戚関係だった徳川家の三つ葉葵の瓦が出土した。
 また敷地内に牛車を乗り付けるための礫敷道路(長さ約50メートル、幅約5メートル)や、渡り廊下をくぐる石組みの地下式通路などがあったことも分かり、二條家の権勢がうかがうことができる。
 主な出土遺物は、二條家家紋「下り藤」瓦、二條家家紋染付磁器類、徳川家家紋「三つ葉葵」瓦、禁裏下賜の菊紋染付磁器類、伏見土人形、乾山焼陶器など。

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本能寺の変の真実

2014年06月02日 | Weblog
 きょうは本能寺の変があった日である。天正10年6月2日。織田信長、享年49歳。

 『本能寺の変 431年目の真実』 明智憲三郎著

 織田信長が本能寺に仕掛けた策略とは。そこに徳川家康と羽柴秀吉の思惑が絡む。明智光秀の末裔という著者が史料を駆使して本能寺の変の真実に迫る。

 ・明智光秀と連歌「愛宕百韻」の謎

   発句  時は今あめが下なる五月かな  光秀
   脇句  水上まさる庭の夏山      行祐
   第三  花落つる池の流をせきとめて  紹巴
   挙句  国々は猶のどかなるとき    光慶

 史料:愛宕百韻写本/続群書類従所収本、京都大学付属図書館所蔵平松本、大坂天満宮所蔵本
     愛宕神社に奉納された愛宕百韻の原本は江戸時代に焼失。

 ・織田信長「唐入り」の野望

 信長は、事実行われたように、都に赴くことを決め、同所から堺に前進し、毛利を平定し、日本六十六ヵ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成して支那を武力で征服し、諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった。
 そして後嗣の長男には、すでに美濃と尾張両国を与えていたが、今回新たに占領した甲斐国の国主の四ヵ国を加え、御本所と称する次男には、伊勢と伊賀両国を与え、都に向かって出発するに先立ち、三七殿と称する三男を四国の四ヵ国を平定するために派遣した。 (史料:ルイス・フロイス『1582年日本年報追加』、『日本史』)
    
 ・本能寺の変の謎

 あけちむほんいたし のぶながさまニはらめさせ申し候時
 ほんのふ寺へ我等よりさきにはい入り候などゝいふ人候ハゞ それハミなうそにて候ハん と存じ候
 そのゆへハ のぶながさまニはらさせ申す事ハ ゆめともしり申さず候
 その折ふし たいこさまびつちうニ てるもと殿御とり相ニて御入り候 それへ すけニ あけちこし申し候由申し候
 山さきのかたへとこゝろざし候へバ おもいのほか 京へと申し候 我等ハもその折ふし いへやすさま御じやらくにて候まゝ
 いゑやすさまとばかり存し候 ほんのふ寺といふところもしり申さず候

 明智が謀反を起こし、信長様に腹を召させた時、
 本能寺に我等より先に入ったと言う人がいたら、それは皆嘘です。
 まさか、信長様に腹を召させるとは、夢にも知りませんでした。
 その時は、太閤様が備中で輝元様と対峙していたので、明智様が援軍を申しつけられたのです。
 山崎の方へ行くと思っていたら、逆の京の方へ行けと命じられましたので、その時は、家康様が上洛されていましたので、
 討つ相手は家康様であるとばかり思っていました。また、本能寺というところも知りませんでした。 (史料:『本城惣右衛門覚書』)

 ・徳川家康「伊賀越え」の嘘

 本能寺の変が勃発すると直ちに堺へ急信に走り、枚方で、家康家臣の本田平八郎忠勝と行き会った。
 飯盛山で家康一行と行き会い、事後処理を相談した。帰国して弔い合戦をすることに評議が決まり、所々山賊の蜂起に遭遇したが、四郎次郎が先発して金を撒いたので所々の者が案内を申し出て、家康は御機嫌よく三河へ帰った。 (史料:茶屋四郎次郎『茶屋由緒記』)

 そのおり、信長がかつて伊賀の国を攻めとられたとき、みな殺しにして、諸国へ逃げた者も、つかまえて殺したが、三河へ落ちて家康をたのんだ人びとを、家康はひとりも殺すことなく、生活の世話をなさったが、国に討ちもらされていた者が、そのときのことをありがたく思っていて、こんなときにご恩をおかえししなくては、と家康をお送りした。 (史料:大久保彦左衛門尉忠教『三河物語』)

 ・羽柴秀吉「中国大返し」の嘘

 さて、備中秀吉の陣には、六月三日夜半ばかり、密に注進あり。秀吉これを聞きて、心中愁傷限りなしといえども、少しも色に出さず(中略)。
 高松の城主清水兄弟、芸州の加勢の主人三人腹を切り、雑兵はこれをたすく。杉原七郎左衛門尉検使として、城を請け取り、先ず毛利家の陣を払わせ、秀吉心のどかにもてなし、六月六日未の刻、備中表を引き、備前の国沼の城に至る。
 七日、大雨疾風、数か所大河の洪水を凌ぎ、姫路に至ること二十里ばかり、其の日、着陣す。諸卒相揃わずといえども、九日、姫路を立って、昼夜のさかいもなく、人馬の息をも休めず、尼崎に至る。 (史料:『惟任退治記』)

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