武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

千日回峰行

2008年11月13日 | Weblog
 千日回峰行者、叡南俊照大阿闍梨のお話を伺う機会を得た。
 叡南俊照師は、香川県坂出市生まれ。昭和33年、15歳で入山。昭和49年、千日回峰行をめざし十二年籠山に入る。この年千日回峰行に出峰、昭和54年、千日回峰行満行となり大行満大阿闍梨となる。現在、律院(大津市坂本)住職。

 叡南師は行者の服装や持ち物を示しながら、小僧生活から話を始められた。
 千日回峰行は、十二年籠山行を終え、百日回峰行を終えた者の中から選ばれたものだけに許される行である。行に先立ち、師僧である叡南覚照師から「無一物」の教えをうける。
 行者は途中で行を続けられなくなったときは自害する決まりで、そのために首を吊るための死出紐と短刀を常時携行する。頭にはまだ開いていない蓮の華をかたどった笠をかぶり、白装束をまとい、手に荒削りの太い白木の六尺棒を持ち、草鞋ばきといういでたちである。

 無動寺谷で勤行のあと、深夜2時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と二百六十箇所で礼拝しながら、七里半の約30㎞を6~7時間で巡拝。ひたすら祈る。「北嶺行者俊照」と書かれた提灯が足元を照らす。
 500日目の回峰の頃に体調を崩し、師僧の叡南覚照師から「遅い」、「たわけが」と叱咤激励されながらも、陰で師僧や弟子に支えられて、なんとか回復して行を継続することができたという。

 700日目の回峰を終えた日から「堂入り」が行なわれる。無動寺谷明王堂で足かけ九日間にわたる断食・断水・断眠・断臥の行に入る。入堂前に行者は生き葬式を行ない、不動明王の真言を唱え続ける。叡南師は堂内での様子を、始めは睡魔に襲われ、次に餓鬼に襲われたと話された。出堂すると、行者は生身の不動明王ともいわれる大阿闍梨となり、信者達の合掌で迎えられる。
 出堂の後、天台座主の山田恵諦老師にご報告にあがり「楽志」の書を賜る。行を楽しめとのお教えであり、ともすれば苦しかった行が、その後は楽しく行うことができたという。
 
 そして、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60㎞の行程を100日続ける。つぎは200日で、前半の100日は全行程約84㎞に及ぶ京都市街を巡る「洛中洛外大回り」で、後半の100日は比叡山中約30㎞の行程に戻り、千日を満行する。千日回峰行を終えると京都御所への土足参内が許される。

 叡南俊照師は「行者になるべく、師僧である叡南覚照師に導かれたように思います」としみじみ語られた。

写真:叡南俊照大阿闍梨
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