見島人(Mishiman)


山口県最北端・・萩市見島の住人~ふるさと日記。

見島発 【干拓の歴史】 (T_T)

2017年04月10日 | 日記

29. 4.10 (MON) 【おにようず】の1便が欠航するほど強風でした(>_<)

その上、また寒くなっています....夜から雨と言ってますが、たくさんは降らないと、皆が申しています。

この風で、桜の花びらがせわしく舞って散らかる..せっかくの花見も、天気の冴えない日と合致したら..サクラは“無用の長物”になります。

八町八反の田んぼも、田植えのための下地作り、【代かき】が進んでいます。私も明日でもと....ボーリング小屋に予約をしに行きました。

地下水汲み上げのボーリングの話です。

ポンプ室の目の前の田んぼ(非耕作地)に、貝殻が一面に散乱しているところがありました。きょうは、そのお話しです。

 

 

             南の上空からの見島(本村港)写真....赤いラインが元の見島のに面していた所と推測

            

                   右側の赤丸の所が、高見山で以前は、周囲を海の島(瀬)だったらしい。

 

   『 干  拓 』 (かんたく....遠浅の海や干潟、水深の浅い湖沼やその浅瀬を仕切り、その場の水を抜き取ったり干上がらせる               

             などして陸地にすること。主に農地として開拓する時に用いられる。)

干拓地としての工事は、

 江戸時代後期頃、元の大地主【長谷川氏】が長門から見島へ来て....それとは別に、【大火】があった頃と重なると云われている。

当時は、漁師系と農業系とはまったく分離していて.....おそらく、稲作用に開けた土地がさらに必要になったんじゃないかと....

上の写真で言うと、左側は、中学校体育館の所よりまだ、30m行ったところに船のひもを結ぶ物があったらしい。

新しい官舎の下、現在の学校周辺は【住吉神社】境内が....海の神さまをお祀りしていたと云う。

どこからどれだけの土を運んで干拓したかは定かでないが、すごい決断だったに違いない。....マンナワーも経費もかなり....

 

                                    

              上の赤いマジックの点● に当たる田んぼがここです。幅3mぐらいでずっと...貝殻が

            

 

 

               貝塚....のような痕跡....実は、ここは海だったという“動かぬ証拠です

            

 

 

                              二枚合わさったままの貝も

            

 

 

                    こんなハマグリのような貝が見島にいたことが、不思議です

            

 

 

                       小さなキセル貝の仲間か?.....たくさんたくさん

            

 

 

                       中には、大きめのキセルとか丸いニナのような貝も

            

 

 

                       拾って集めて見ても面白いかなって....思えるほど

            

 

 

                      小さい頃にもしハマグリがいたら....喜んでたろうな!?

            

             ☆☆☆ 干拓する前は....ほとんどが浅い砂地の海だったんでしょうね 

 

 

                     サギたちも時季外れの寒さからか....身を寄せていました

            

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿