みなさんは、目には見えない【霊】とかの存在を信じますか?
古来より偶像崇拝的に、見島でもお地蔵さんや鳥居とかが祀られているのは実は、何かが居るってこと....。
見島 大垰の地蔵群 札所
【霊験あらたか】なる言葉も、なまじっか偽りではないかもしれません。
わたし自身は、目に見えない存在には「まやかし」の表現が適当だと判断したりですが。
自分の心や体が弱くなると、何かしら「かみさま」「ほとけさま」にすがったりのところは、あります。
実際にこれまでの人生では、助けてくれた..目に見えない【ちから】、すなわち【ひとを見守るなにか】は、いてはると思う。
みなさまにも、少なからず思い当たる節はございましょう。
自分自身でなくても、親や能力のある方からの【ご加護】のお陰かはわからないですが。
これは、【宗教】とは違うもんだと思います。発展させない限りは。
その【なにもの】かが、そのひとに役立つのか災いするのかは、まさにそのひとの「こころがけ」しだいかもしれない。
ものの言い方が、断定できないのも...見えない存在へのお話しナンで悪しからず。
見島の渡船場、定期船乗り場が、以前はジーコンボにつながる砂場の沿線でした。
小学校の上級になる頃、ポプラの木の周りを通ると墨みたいな物をかけるモノが居るとか、決定的なのは.....。
【海坊主】.....同級生が夜、その海辺で誰かに呼ばれるように、どんどん沖に入っていくのをやっとの思いで姉様が止めたと。
こんなことって、ふつうは信じ難いが、例があるとみなは弱い、信じざるを得なくなる。まさか、演技じゃなかったはずだ。
仕事に就いてから、こんな話があります。
もともと、みなそれぞれ小さいときには、霊能力は身に付いているが、育っていくうちにその力は消えてしまうらしいです。
しかも、男子の方がその力の消滅は早いらしい。
ところが、家系や遺伝があるかもですが、大人になってもその【ちから】が身に付いたままの女性が居られるようです。
この方たちの中には、【八卦見..ハッケミ】と称される生業に就く方も存在しますね。
九州から、旦那様の仕事に帯同でここに来た奥方と小さい娘さんの話しを紹介します。
かなりはしょってお話ししますが、要は、【この世に未練のある母親の霊】がこの二人には、まざまざと見えたのです。
この【霊】は、わるさはしないけど....どおやら「小さな子供」と遊びたいだけだったようです。
「今日もまた、来てる。」と旦那さんには言うが、見えない。子供は、きゃっきゃっ言っておもちゃ遊びを「会話」しながら...。
この霊は、他にも男性の何人かが経験していたようです。けっして、悪さはしないようです。
寝床に入った頃にやって来て、布団の周辺、枕元や腹の上とかにじっと【鎮座】して帰る。もちろん何も無く、気づいたら居ない。
ただ、「また来たか」と感じたときには、本人は【金縛り】状態にあるらしい。経験者は、口を揃えてそう言ってた。
先程の、「見える」お二人は、あまりの状態から、実家に帰ることにしました。旦那さんは、単身赴任となりました。
これだけなら、「そうなの?」で終わりますが、実は、他にもこのことに気づいてた奥様が近くにいたのです。
旦那から聞くと、「わかってたけど、まさかあなたにも見えてると言い出せなかったと。」そのご婦人が妻にと。
よくよく聞いてみたら、その奥さんのお母さんが【霊】との会話能力の存在するらしく、頼まれれば仕事していたらしいとのこと。
たまたま、この地に【霊能者】と呼んでもおかしくない人たちが顔を揃えて、その霊を見たということになったようである。
結論:この世に未練を残したままの方は、浮かばれずともずっと、この世に縁を持ち続けられると言うことかな?
また、ひょっとしたら【あの世】の存在もあるげな話しとなる見たいな。安心して、死ぬまで生きましょう!!
◎ 熟熟余談(つらつらよだん- 本日の日めくり 四字熟語 )
「 刻苦勉励 」 (こっくべんれい) : 心身を苦しめて仕事や勉学に励むこと。▽「刻苦」は非常な苦労をすること。
「刻」は責める、苦しめる意。「勉励」は務め励むこと。
ダリ 逆もまた、真
( 資料映像 )