マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

夕焼けを眺めて

2018-05-31 23:33:15 | 教会の風景
今日は、教会で事務仕事や環境整備。

小雨のパラつく時間もありましたが…


そうこうするうちに…

きれいな夕焼けになりました。

ベランダから八国山や西武園方面を眺めて。

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少しずつ変化を受け入れながら

2018-05-29 11:48:37 | 教会の風景
東村山聖書教会の3年目の集いも、一週また一週と回を重ねています。
教会としても、集まっているひとりひとりとしても、少しずつ変化を受け入れながら、歩みを重ねているところです。
聖書のことばに聴くことを大切にしながら、ときに喜び、ときに悩み、教会の生きた交わりが保たれています。

さて、月末になりましたので、5月の説教で旧約聖書から語った分を掲載しておきます。

主日礼拝説教のあらすじ:2018年5月(旧約聖書講解分 士師記15章)
 『一騎当千』、怪力を発揮するサムソンに主の御業を見る。ペリシテ人女性との結婚には、当初より主の目的があった(14:4)。結婚をめぐるトラブルが、サムソンとペリシテ人とを決裂させ、サムソンが報復する口実をもたらした(15:3,7)。ただし、その場合にも、イスラエル対ペリシテという構図にはならず、サムソンとペリシテ人との対立だった。ユダの人々はサムソンを縛り上げてペリシテ人に引き渡そうとするが、いざその時になると、「主の霊が激しく彼の上に下」ったと伝えられる(15:14)。危機的条件下で、主の霊はサムソンに臨み、サムソンは自分の身近にあった「真新しいろばのあご骨」(15:15)で千人を倒した。主の霊がサムソンに「下った」というその語は「押し入る」というニュアンスを含む。神がご自分のしもべの窮地に際して、自ら介入して力を与えた。神は、ご自分に属する者たちに思いのまま助けを与えることができる。私たちは、あらゆる場合にキリストにあって圧倒的な勝利者とされている(ローマ8:35,37)。この方に対する信頼と期待を新たにしたい。
 私たちにとって祈りとはどのようなものか。身近で実際的だろうか。聖書は、サムソンについて「そのとき、彼はひどく渇きを覚え」(15:18)たと伝える。これは、サムソンがペリシテ人に対して大勝利を収めた直後のことだ。主によって与えられた「大きな救い(大いなる勝利)」(15:19)も現実だが、その直後に置かれた危機的状況もまた現実だ。主の霊がサムソンに怪力を授けての活躍だったが、だからと言って身体的疲労は不可避だ。人間としての限界がある。渇きに苦しむ極限状態の中で、サムソンは『主を呼び求めて』自身の窮状と必要を率直に訴えた。すると、神はその土地から水を湧き出させ、彼を潤し体力を回復させた。見るところ困難な条件にも関わらず、神は祈り求めるサムソンの必要を満たした。神は祈りに応える。私たちは諸々の苦しみや悩みの中、必要を抱えている。けれども、自身の置かれている窮状を訴えることのできる拠り所がある。私たちが呼び求めるとき、答えてくださる神がおられる。イエスの語られた祈りについての約束(ヨハネ16:23,24)を心に留めて、祈りの人でありたい。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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故郷

2018-05-26 16:56:59 | 3分間メッセージ

 私の生まれ育った愛知県に、伊良湖岬というところがあります。そこには、太平洋を見渡す、きれいな砂浜が広がっています。
島崎藤村は、その砂浜に流れ着いた、一つの椰子の実を題材に詩を作りました。その詩はこう始まります。

「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ 故郷の岸を離れて 汝はそも波に幾月…」

遠い島から流れ着いた一つの椰子の実に、自分自身を重ねて、故郷への思いを歌っています。その詩の終わりには、「いずれの日にか故国に帰らん」と彼の気持ちをストレートに表現しています。生まれ故郷を離れて暮らす人にとって、「自分のふるさと」というのは、やはり特別なんだなあと思います。

 ところで、聖書の教えている信仰は、このような故郷への思いと似ているといいます。神を信じた人たちは「地上では旅人」であって、「自分の故郷を求めている」としています。人生を旅に例えるのは、私たちにも分かるイメージではないでしょうか。そして、その旅の間、「自分の故郷」を求めているというのも、まさに故郷への思いといったところです。

 ただし、聖書は一言、このように言い添えています。「彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。」私たちの人生という旅の道中には、いろいろなことがあります。幸せを感じる瞬間もあれば、人一倍苦労することもあるかもしれません。しばしば、自分の思い描いたのとは違う道を行くこともあります。ですが、たとえどんな道をたどったとしても、帰ることのできる故郷がある、というのは私たちの心の支え、生きる力となります。聖書は、私たちを温かく迎えてくれる「天の故郷」があると教えます。神が私たちを迎えるために用意してくださったのです。

新約聖書 ヘブル人への手紙11章16節
「彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。」


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牧会ステーション

2018-05-18 00:56:01 | 神学校・講座
先週の話になりますが、牧会ステーション 基本クラスの第2回に参加。
今回のクラスはFさんが講師でした。

前半は「最近の私」というテーマでコラージュを作成。
私のコラージュは、まだ新生活のペースをつかめていない感覚を『まだ席につけない』と題して。

後半は牧会事例研究で、これも内容の濃いもので、考えさせられました。

私にとっても、こうした教職者の交わりと学びの場があることはとても助けになっています。

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アイビーの成長

2018-05-10 23:18:38 | ちょっと息抜き


ちょうど一年くらい前、ビンに挿したアイビーです。

ふと、いつから育ててたんだっけと思って、記事を探したら、もう一年になることが分かりました。
水を足したり、時々入れ替えるくらいの世話ですが、引越後も育っています。
先日、かなり伸びてしまった根を少しカットしました。
植物の世話もちょっとした気分転換です。

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