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何故、人には差別があるのかを仏法の道理から考えて見ます。

恐るべき邪宗教の害毒 ⑤

2008年07月11日 | Weblog

   【恐るべき邪宗教の害毒】

邪宗教のもたらす害毒とは、いったい、どのようなものなのか、以下に少々述べることにいたします。
そもそも、邪宗教に入信・入会するのは、うわべの甘言や善言にたぼらかされたり、通力などによる奇跡に目がくらんだ人々がほとんどです。
その人々は、最初のうちこそ、それまで経験したことのない世界を知った喜びや、一時の小利益を得た感激に酔いしれますが、それで、いよいよ熱心にのめり込んでいくにつれて、邪な本尊と強く感応し、次第に、性格破綻、病気、家庭不和、貧苦と、現実の生活は文字どおり地獄のような境涯に落ち込んでいきます。
それでいて、人間としての正常な精神感覚が、邪な本尊の影響ですっかり麻痺させられるため、不幸も不幸と感じられなくなってしまうのです。
こうして、邪宗教の餌食となった信者こそ哀れ、というべきでありましょう。猟師し狙われた鹿か、猫に狙われた鼠のように、「これで救われる」などと欺かれて、ついには田畠(でんばた)財産まで布施として搾取され、実際には救われるどころか、一生の間にさまざまな不幸を招き寄せ、それにも気付かぬまま、末路は悲惨な地獄の姿となっていくわけですから。
現に、よくよく周囲を見わたしてみてください。神札を家中に貼り、邪宗教の檀家総代などを代々熱心に続けてきたような家ほど、不慮の災難、病気、自殺、家庭不和、身体障害等々の、深刻な苦悩にあえいでいるではありませんか。これこそ、邪宗教のもたらした、恐るべき害毒なのであります。
また、一口で邪宗教の害毒といいましても、それぞれの宗旨によって、立てる教えと本尊が異なっておりますから、そこから受ける害毒の内容も微妙に異なり、それぞれの宗旨なりの特徴が顕われている、というのが実態のようです。