過去~現在~未来

何故、人には差別があるのかを仏法の道理から考えて見ます。

無宗教でも邪宗の害毒は受ける

2007年10月19日 | Weblog
「自分は無神論者で、何の信仰もしていないから、邪宗の害毒など関係ない」と思われている方に述べます。
自分の家の先祖代々の宗教が何宗であっても、今の私達の世代になると、たいていは信仰などしていないでしょう。
しかし、私達の身体はどこから生じたのか、といいますと、いわば、両親の身体を分けて生まれてきたのであります。ゆえに、医学的に見ても、親とまったく別々のものではなく、遺伝によって、両親をはじめ先祖の、身心のさまざまな特徴・体質等を引き継いでいます。
これは、おもに、肉体面からみた場合ですが、精神面からみた場合でも、人間は0歳から3歳くらいの時期に、親の人格に触れ、それを、ほぼそのまま吸収することによって、人格の基盤が形成される、といわれています。
したがって、肉体面では遺伝という形で、精神面では教育という形で、両親ひいては先祖のもつ全てのものが、子孫に受け継がれることになります。
言い換えれば、私達の生命は先祖とつながっている、ということであり、このために、両親なり先祖なりが邪宗教を信仰していた場合には、その両親や先祖の生命に深く刻まれた害毒は、今日の私達の生命にまで受け継がれてきている、といえましょう。
であれば、今日、いかに、「自分は無宗教だ」という人であっても、先祖に遡れば、そこに必ず菩提寺があり、邪宗信仰があるのですから、知ると知らずとに関わりなく、その邪宗教の害毒を自らも深く受け継いできてしまっている、ということになります。
こうして考えてきてみますと、いかに自分は宗教と無関係のつもりであっても、じつは、家の宗旨のいかんによって、人格の根底と生き様を決定づけられ、邪宗教の害毒に人生を蝕まれて生きていることに気付かねばなりません(ただし、家の宗旨といっても、途中で、念仏の家系に禅宗の家系から嫁いできたり、分家した際に改宗したり、といったこともありますので、宗旨ごとの特徴がはっきりしない場合もありますが、特徴が明確に分かれずとも、邪宗教の害毒に汚染されていることに変わりはありません)。
この邪宗の害毒という、生まれながらに束縛された縄を切り離して、いかなる悩み苦しみも解決して、本当に自由に幸福に生きていきたいと思うならば、一刻も早く日蓮正宗に入信すべきであります。