
まだ映画をご覧になっていない方は、ネタバレのないコチラの映画紹介ページから
ご覧になることをオススメします。⇒[どんでん返しのある映画] Re:プレイ (ネタバレなし編)
![]() | リプレイ (THE I INSIDE)ミステリー/サスペンスメメントやユージュアルサスペクツが 好きなら観て損はないと思います |
■まず、以下の2点は、この映画の「オチ」として、多くの人がレビューしています
○2002年の世界は完全にサイモンの妄想の世界である。
サイモン(主人公)&ピーター(サイモンの兄)と、クレア(ピーターの婚約者)は
2000年に両者の乗る車の正面衝突により、三人とも死んでいるため、2002年にサイモンは生きていない。
○2002年のサイモンの担当医師である小児科医は、サイモンの父親である。
兄の部屋に置かれている写真に、2人の子供(サイモンとピーター)の父親として写っている。
○邦題「Re:プレイ」は、後悔の念が強く、自分の死を受け入れられないサイモンが、
成仏しきれずに、延々と自分の犯した罪をRe:プレイしてリセットしようとすることを暗示している。
が、ばらばらにされたパズルを、どんなやり方で組み立てても、完成形はひとつしかないこと
と同様に、彼の人生も、何度リプレイしても、結論は同じ。
■この映画には、これらの「オチ」のほかに、多くの細かい仕掛けが多くあります。
以下、そのいくつかを紹介します。
○2002年のサイモンの担当医師が外科医や精神科医でなく小児科医である意味:
前述したとおり、サイモンとピーターが久々の再会を果たした最後の場面より、
小児科医はサイモンの父親であることが分かる。
小児科医であるのは、医師(父親)から見て、患者(サイモン)が子供である
ことを暗示しているのではないだろうか。
この医師がサイモンに対し、事実を受け入れ、前に進むよう、言い聞かせるシーン
が何度か出てくる。
これは、父親がこの事件を受け入れることができない自分の息子、サイモンに対して
言い聞かせている、と捉えることが出来る。
○不気味な妻、アナの存在:
脅迫してきたアナは実在しない人物で(実際にはおそらく、単なる看護婦)、自分を
責めるために現れた妄想の中のもう一人の自分。
サイモンは、自分がピーターを裏切り、殺してしまったこと(実際には、事故だったが)
を激しく後悔している。そのため、アナがサイモン自身に代わって自分の犯した罪を
責め立てる。
また、小児科医(=父親)は、最初の方のシーンで、結婚した覚えのない妻アナのことをさして、
「きっと彼女が君を助けるカギになる」と言う。
これは、自分を責める自分の内なる声(アナ)に耳を傾け、向き合うことが、
今の彼に必要なことだということを暗示しているのではないか。
■しかし、この映画の最大の「オチ」は、サイモンの心臓が、病室の隣の患者として登場する
トラビットに移植されているということだと私は考えます。
サイモンは交通事故で死亡しますが、その心臓だけがトラビットに移植されて生き残るのです。
2000年に、心臓移植を待っている患者としてトラビットが登場するのは、そういうわけです。
つまり、2002年に登場するサイモンは、スクリーン上ではサイモンの顔をしていますが、
これは、サイモンの心臓が宿ったトラビットであると考えられます。
病室でトラビットとサイモンが会話するシーンは、トラビットの体の中で、2人が
会話しているシーンであると考えられます。
こう考えると、映画を通じて出てくるさまざまな不可解なシーンに、どれもとても深い
意味があることが分かります。
○「THE I INSIDE」という原題の意味:
「I(=サイモン)が中にいる」と解釈出来、移植されたサイモンの心臓が、
トラビットの体の中にあることを暗示していると考えると妙に納得。
○サイモンを襲おうとする、マスクをした人の存在:
サイモンがトラビットをメッタ刺しにするシーンがありますが、
その直前のシーンで、兄の家の屋根裏でサイモンがマスクをした人に襲われ、
そのときにサイモンは"Stay away from me!"と言います。
その後一瞬ですが、事故直後の格好で手術台に乗って、心臓を取り出されている(ように見える)
サイモンの姿が一瞬映ります。(再生開始後60分15秒あたり)
したがって、サイモンは自分の体から心臓が取り出されたことが嫌で、
トラウマになっており、マスクをした人の影を非常に恐れているのではないかと思います。
また、2002年のMRIの検査は、サイモンの心臓が宿ったトラビットの検査であると考えられます。
そこにMRIで注射しようと襲ってくるのは、これも手術で心臓を取り出した医師であり、
トラビットの中にあるサイモンの心臓が、トラウマと格闘しているのだと思います。
ですから、トラビット(の心臓のあたり)をメッタ刺しにしたのも、
自分の心臓を取り戻したいという意思の表れなのではないでしょうか。
○2002年のトラビットが発作を起こすシーン:
これも、サイモンの心臓を持つトラビットが発作を起こすと考えられます。
看護士がサイモンに向かって、心臓を押さえることを頼むのも、
それがサイモン自身であることを暗示しているように感じます。
またサイモンは、トラビットの発作に驚き、部屋の片隅に蹲りながら
"I didn't mean to do it"と言います。素直な解釈は、浮気や交通事故のことを指しているととれます。
が、深読みすると、「トラビットの発作は自分(心臓)のせいではない」ということを意味している
とることも出来ます。
○サイモンとクレアが乗っているエレベータに、死体を運ぶ看護士が乗り合わせるシーン:
看護士が運んでいたのは、2002年に個室で発作を起こして死亡したトラビットの遺体で
あると考えられます。このとき、看護士は"This never happens"と言う。
この言葉は、2000年に死亡したサイモンが形を変え、心臓だけ2002年まで生き延びるが、
結局死んでしまうことに対して、「自分の死は"起こらない"」と自分に言い聞かせているサイモンの
意思を代弁していると読めます。
また物語の後半でも、
サイモン:"None of this is gonna to happen. (こんなことは起こらないんだ)"
アナ:"The thing is, Simon It happened(=全てもう起こってしまったことなの)"
と言う合う場面もあります。
これらは自分の死を認めたくないサイモンの葛藤の場面であると考えられます。
○展望台で兄を崖から突き落とそうとするシーン:
実際にはサイモンは、病院へ向かう右側の道を選び、クレアの乗る車と正面衝突します。
では、なぜ展望台へ向かうシーンや、崖から見下ろした景色の記憶があるのか。
これは、おそらくサイモンとクレアが浮気をした現場が展望台だからではないかと考えられます。
実際、展望台に後から入ってきた車の中に、2人の人が乗っており、抱き合っているところが、
暗くて非常に見辛いですが確認できます。この2人はサイモンとクレアではないかと考えられます。
展望台で兄を崖から突き落とそうとするシーンはサイモンの妄想ですが、これは、
サイモンとクレアが展望台で抱き合ったことが、兄を殺すことに繋がったことを
暗示しているのではないでしょうか。
○最後のシーンの兄の「展望台からの道は1本だけだが、見えなかったのは仕方ない」というセリフ:
「見えなかったのは仕方ない」というセリフは、交通事故になってしまったことを指している
ととれますが、「展望台からの道」が出てくるのがよく分かりません。
クレアが、展望台から戻ってくるとは、考えにくいからです。
私の想像ですが、もしかしたら、展望台でクレアがサイモンと浮気していたことを、
兄は暗がりの中で、見ていたのではないでしょうか。。
展望台で兄を崖から落とし損ねたサイモンが車で帰る際に、その車のヘッドライトがアップになり、
その後サイモンの顔にヘッドライトが当たる場面が挿入されますが、これは兄に目撃されてしまった
ことを暗示しているのだと思います。
実際、兄のピーターは、クレアとサイモンが2人で会話しているところを見ていただけで
(その場でサイモンは踏みとどまったのに)、激怒し、彼女の好きなのはサイモンだ、とまで言い、
サイモンと喧嘩になります。
以上、私の推理はいかがだったでしょうか

若干、深読みしすぎなところもあるかもしれませんが、こんな見方もありかな?なんて思っています。
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こんなに詳しく解析できるものだったんですね~。
まだ私はさらっと1回しか観ておらず、「???」状態のままで放置してしまっていたのですが、ここに来て目の前がパーっと明るくなっちゃいました(笑
いやぁ~スッキリしました☆
時間のある時にじっくりもう一度観てみようと思いまーす^^
1回目だと「?」だらけですよね、この映画(^^
短い映像がババッと連続して映るところをコマ送り再生してみると
意外な発見があって楽しめますよ♪
こちらからもTBさせていただきました。
ここのブログは、まるで良くまとめられた推理レポートのようで素晴らしいですね。
では今後も時々遊びに参ります。
私の長い推理を読んで頂きましてありがとうございました!
ケントさんのサイト、情報量がすごいですね!!
これから映画を観るときに参考にさせて頂きますね
何かが可笑しいぞと。
違和感に包まれていたのですが、なんかスッキリしました。
ありがとうございました(^^)
ありがとうございます(*´▽`*)
意見するようで申し訳ないんですが、電気ショックを行っていたことから心停止して死んだことになりますが、移植とゆうのはどうでしょうか?
作者が移植をほのめかすなら演出上は脳死にしたんじゃないかなぁと。
あと2002年まで心臓が生きたから2000年と2002年を行き来する妄想を作ったかのような解釈でしたが、最後に死亡時刻が20:02と大きく出てきていたことから、単純に20:02とゆう時刻を2002年とゆうようにサイモンが作り上げたのではないかと。
要は死後、成仏する前の魂として意識があるわずかな時間に、生前の記憶の断片(人物や数字)をでたらめに組み合わせたものがこのストーリーの全てかと私は解釈しました。
偉そうなことを言って申し訳ない気持ちもありますが同じ映画好きとしての客観的な一解釈として聞いて頂けるとうれしいです。
この映画、最初訳わからないですよね。参考になって嬉しいです。
ホント難しい映画ですよね。私の推理も正しいかどうかわからないんですが、読み解き甲斐のある映画ですよね。
この映画観たのがもう7年前ぐらいになるので、あまり思い出せないのですが、電気ショックをしていたのなら、心停止しているので、確かに移植はできないですね。なるほど。
心臓移植を待っている患者が出てきたので、てっきり移植したものだと思い込んでました。
死亡時刻の20:02を、2002年として見ているのもありえますね。
Unknownさんの推理の方が合っているような気がします。面白い解釈を教えて頂いてありがとうございます。
この映画はホント細かいところにいろいろ仕掛けてあるんですね。ちょっと不親切すぎる感もありますが(^^;