3期目の当選ほやほやの首藤延岡市長は、26年度から商工観光部の組織を改変強化して「観光戦略」に取り組む。高速道路開通を機に「観光都市」を目指すのだ。首藤市長の3期目の大きな施策の一つと言ってもいい。目玉施策である。
私は、3月議会で、 「観光戦略」を駆使して「観光都市」の仲間入りに懸命に挑む首藤市長に大きな期待を寄せながら、延岡市が持つ最高の切り札、「西南の役と西郷隆盛」を駆使し、鹿児島との交流開始を提案いたしました。
「「高速道路が開通しましたので挨拶に来ました。これを機会に西南の役と西郷さんの御縁で交流しましょう」と言って鹿児島を訪問しましょう」「高速道路が鹿児島まで開通するこの時期、今だからこそなのです。機を逸すればチャンスはしぼみます」と首藤市長に質問しました。
市長は、訪問の意志の無いことを、こともあろうか、 「高速道路開通を理由に訪問となれば、鹿児島以外の沿線のすべての自治体も訪問しなければなりません」と、「観光戦略課を設置し、観光都市」の仲間入りに懸命に挑む首藤市長とは思えない「殿、御乱心」、まさに「殿、御乱心」がふさわしい、考えられない、決して言ってはならない言葉を選んで否定しました。
代表質問90分間の中で、「あの答弁を聞いた時」ほどビックリし、あきれた瞬間はありませんでした。「商業観光課を改変し、観光に特化した組織観光戦略課も作ろうか」というこの時期に、あの答弁はいただけません。
ベテランの市長としては、せめて、「観光戦略に特化した組織も出来ますので、「鹿児島との交流」は、その組織の一番目の仕事として取り組ませます」くらいの答弁は欲しかったですね。首藤市長で「果たして観光振興はできるのだろうか」と本気で思いました
再質問が始まったばかりの時間帯での「殿、御乱心」のとんでもない、予想もしなかった答弁ですっかりペースを乱され、後の再質問はがたがたになりました。
首藤市長に「してやられた感」はありますが、あれを「本心」で言ったのなら、首藤市長に「観光戦略を」、「観光都市延岡」を目指す意志は全く無く、語る資格はありません。
あれだけの事を言い切るのなら、他に「何がしかの縁」を頼りに訪問できる自治体や同等規模の団体等の「あて」でもあるのでしょうか。5回目の「西南の役西郷隆盛を御縁の鹿児島との交流」の提案も、一太刀もあびせることなく返り討ちにあいました。
市長のかたくななまでの「鹿児島訪問拒否」とはうらはらに、 市長の拒否反応のたびに、少しづつではありますが、議員や幹部職員にも「想い」がつながり、「心」を動かしてくれる人の数が増えています。
私は、天真爛漫な坂本龍馬の方が好きですが、残念ながら延岡は龍馬とのご縁がありません。延岡には西南の役と西郷隆盛しかないのです。あきらめずに、市長に分かってもらえるまで挑戦し続けます。想いは一つ。延岡の為。どこでも出没、何でも挑戦。
明治10年の延岡の人達は「西郷さんを物心両面で支え支援をしました」。
薩軍が「政府軍に圧倒され、逃げ惑う状況」の中で、最後まで支えた延岡の行為と、それに応えた薩軍「野村忍介」の市街戦から和田越へ戦いの場を変え、延岡の町を戦火から救った美談は、西南の役田原坂の戦いでで産声を上げた「日本の赤十字」と同等に語られても良いくらいの戦争ではめったに無い美談です。
あきらめることなく、私の「想いを溜めて」、風に柳、暖簾に腕押しの老練な首藤市長に、6月議会でも「鹿児島・鹿児島」と訴えて行きます。
私は、3月議会で、 「観光戦略」を駆使して「観光都市」の仲間入りに懸命に挑む首藤市長に大きな期待を寄せながら、延岡市が持つ最高の切り札、「西南の役と西郷隆盛」を駆使し、鹿児島との交流開始を提案いたしました。
「「高速道路が開通しましたので挨拶に来ました。これを機会に西南の役と西郷さんの御縁で交流しましょう」と言って鹿児島を訪問しましょう」「高速道路が鹿児島まで開通するこの時期、今だからこそなのです。機を逸すればチャンスはしぼみます」と首藤市長に質問しました。
市長は、訪問の意志の無いことを、こともあろうか、 「高速道路開通を理由に訪問となれば、鹿児島以外の沿線のすべての自治体も訪問しなければなりません」と、「観光戦略課を設置し、観光都市」の仲間入りに懸命に挑む首藤市長とは思えない「殿、御乱心」、まさに「殿、御乱心」がふさわしい、考えられない、決して言ってはならない言葉を選んで否定しました。
代表質問90分間の中で、「あの答弁を聞いた時」ほどビックリし、あきれた瞬間はありませんでした。「商業観光課を改変し、観光に特化した組織観光戦略課も作ろうか」というこの時期に、あの答弁はいただけません。
ベテランの市長としては、せめて、「観光戦略に特化した組織も出来ますので、「鹿児島との交流」は、その組織の一番目の仕事として取り組ませます」くらいの答弁は欲しかったですね。首藤市長で「果たして観光振興はできるのだろうか」と本気で思いました
再質問が始まったばかりの時間帯での「殿、御乱心」のとんでもない、予想もしなかった答弁ですっかりペースを乱され、後の再質問はがたがたになりました。
首藤市長に「してやられた感」はありますが、あれを「本心」で言ったのなら、首藤市長に「観光戦略を」、「観光都市延岡」を目指す意志は全く無く、語る資格はありません。
あれだけの事を言い切るのなら、他に「何がしかの縁」を頼りに訪問できる自治体や同等規模の団体等の「あて」でもあるのでしょうか。5回目の「西南の役西郷隆盛を御縁の鹿児島との交流」の提案も、一太刀もあびせることなく返り討ちにあいました。
市長のかたくななまでの「鹿児島訪問拒否」とはうらはらに、 市長の拒否反応のたびに、少しづつではありますが、議員や幹部職員にも「想い」がつながり、「心」を動かしてくれる人の数が増えています。
私は、天真爛漫な坂本龍馬の方が好きですが、残念ながら延岡は龍馬とのご縁がありません。延岡には西南の役と西郷隆盛しかないのです。あきらめずに、市長に分かってもらえるまで挑戦し続けます。想いは一つ。延岡の為。どこでも出没、何でも挑戦。
明治10年の延岡の人達は「西郷さんを物心両面で支え支援をしました」。
薩軍が「政府軍に圧倒され、逃げ惑う状況」の中で、最後まで支えた延岡の行為と、それに応えた薩軍「野村忍介」の市街戦から和田越へ戦いの場を変え、延岡の町を戦火から救った美談は、西南の役田原坂の戦いでで産声を上げた「日本の赤十字」と同等に語られても良いくらいの戦争ではめったに無い美談です。
あきらめることなく、私の「想いを溜めて」、風に柳、暖簾に腕押しの老練な首藤市長に、6月議会でも「鹿児島・鹿児島」と訴えて行きます。