高木ますおブログ

日々の出来事や感じたことなどを綴っています

西郷隆盛「鹿児島望郷ルート」道険し

2014-03-06 20:39:19 | Weblog
 3期目の当選ほやほやの首藤延岡市長は、26年度から商工観光部の組織を改変強化して「観光戦略」に取り組む。高速道路開通を機に「観光都市」を目指すのだ。首藤市長の3期目の大きな施策の一つと言ってもいい。目玉施策である。

 私は、3月議会で、 「観光戦略」を駆使して「観光都市」の仲間入りに懸命に挑む首藤市長に大きな期待を寄せながら、延岡市が持つ最高の切り札、「西南の役と西郷隆盛」を駆使し、鹿児島との交流開始を提案いたしました。

 「「高速道路が開通しましたので挨拶に来ました。これを機会に西南の役と西郷さんの御縁で交流しましょう」と言って鹿児島を訪問しましょう」「高速道路が鹿児島まで開通するこの時期、今だからこそなのです。機を逸すればチャンスはしぼみます」と首藤市長に質問しました。

 市長は、訪問の意志の無いことを、こともあろうか、 「高速道路開通を理由に訪問となれば、鹿児島以外の沿線のすべての自治体も訪問しなければなりません」と、「観光戦略課を設置し、観光都市」の仲間入りに懸命に挑む首藤市長とは思えない「殿、御乱心」、まさに「殿、御乱心」がふさわしい、考えられない、決して言ってはならない言葉を選んで否定しました。

 代表質問90分間の中で、「あの答弁を聞いた時」ほどビックリし、あきれた瞬間はありませんでした。「商業観光課を改変し、観光に特化した組織観光戦略課も作ろうか」というこの時期に、あの答弁はいただけません

 ベテランの市長としては、せめて、「観光戦略に特化した組織も出来ますので、「鹿児島との交流」は、その組織の一番目の仕事として取り組ませます」くらいの答弁は欲しかったですね。首藤市長で「果たして観光振興はできるのだろうか」と本気で思いました
 再質問が始まったばかりの時間帯での「殿、御乱心」のとんでもない、予想もしなかった答弁ですっかりペースを乱され、後の再質問はがたがたになりました。

 首藤市長に「してやられた感」はありますが、あれを「本心」で言ったのなら、首藤市長に「観光戦略を」、「観光都市延岡」を目指す意志は全く無く、語る資格はありません。

 あれだけの事を言い切るのなら、他に「何がしかの縁」を頼りに訪問できる自治体や同等規模の団体等の「あて」でもあるのでしょうか。5回目の「西南の役西郷隆盛を御縁の鹿児島との交流」の提案も、一太刀もあびせることなく返り討ちにあいました。

 市長のかたくななまでの「鹿児島訪問拒否」とはうらはらに、 市長の拒否反応のたびに、少しづつではありますが、議員や幹部職員にも「想い」がつながり、「心」を動かしてくれる人の数が増えています。

 私は、天真爛漫な坂本龍馬の方が好きですが、残念ながら延岡は龍馬とのご縁がありません。延岡には西南の役と西郷隆盛しかないのです。あきらめずに、市長に分かってもらえるまで挑戦し続けます。想いは一つ。延岡の為。どこでも出没、何でも挑戦。


 明治10年の延岡の人達は「西郷さんを物心両面で支え支援をしました」。
 薩軍が「政府軍に圧倒され、逃げ惑う状況」の中で、最後まで支えた延岡の行為と、それに応えた薩軍「野村忍介」の市街戦から和田越へ戦いの場を変え、延岡の町を戦火から救った美談は、西南の役田原坂の戦いでで産声を上げた「日本の赤十字」と同等に語られても良いくらいの戦争ではめったに無い美談です。

 あきらめることなく、私の「想いを溜めて」、風に柳、暖簾に腕押しの老練な首藤市長に、6月議会でも「鹿児島・鹿児島」と訴えて行きます。

 

東九州道延岡~北川~須美江間開通間近、カギは「すさ大橋」

2012-07-28 14:47:17 | Weblog
 いよいよ高速が家までくる。正月からはぜいたくに高速道路通勤だ。
 
 国土交通省は「すさ大橋」の橋梁工事(10号線と日豊線をまたぐ)を、7月30日から1週間の予定で、深夜帯を通行止めにして実施する。

 この橋が完成すれば、12月に、延岡~須美江まで開通という50年以上待ちに待った高速道路という「クリスマスプレゼント」がもらえ、正月からは高速が目の前を通る。

 また、25年度中には宮崎まで開通する予定で、「北浦から宮崎まで1時間足らず」、延岡まで1時間以上かかっていた時代からすると、夢のような時代がもうそこまで来た。

 一方、西九州は、九州新幹線が全線開通し、「鹿児島から大阪まで4時間」、「延岡人が小倉で新幹線に乗り換えている時にはもう大阪」という半世紀先を進んでいます。

 この格差を少しでも無くすためにも、「東海・東南海・南海・日向灘」4連動地震(南海トラフ地震)に伴って発生が想定される巨大津波の災害に対処するためにも、西九州熊本からの「九州中央高速自動車道」の開通は急がなければなりません。

 佐藤議長も昨日、宮崎県市議会議長会と知事との意見交換会で「九州中央高速自動車道」の早期開通を訴えていました。

 このままでは、交通インフラの遅れが、企業誘致などの経済活動のデメリットのみならず、「命の格差」につながる。

 東九州道に目鼻がついた今日、今度は「命の道は西へ」の大合唱で、「九州中央高速自動車道」の早期全線開通に向けて、官民、老若男女、子供から老人まで、都会に住む延岡人も巻き込んで、 「延岡あげての総力戦」で、必ず勝ち取らなければなりません。

「命の道は西へ」 頼みますよ、江藤拓代議士。松下新平さん。そして長峯誠都城市長!


副議長の任期1年が満了しました

2012-07-26 23:47:45 | Weblog
 副議長の任期1年は延岡市議会の申し合わせです。「体調不良による辞任では?」と多くの皆さんに御心配をいただき本当にありがとうございました。「体調不良による途中辞任ではありません」

 平成23年4月、皆様の熱い御支援をいただき「30番1286票」から「11番2075票」という感動の得票で、5期目の議席をいただきました。本当にありがとうございました。

 平成23年度1年間は、同志の皆様の御支援を得て、延岡市議会の副議長という要職を拝命し、本当に充実した毎日でした。

 副議長としての1年間は、議会本来の仕事である「執行のチェック機関」という役割と会わせて、最近、特に議会に要求されている「政策を提案・提言し、市当局に検討するよう強く働きかける仕事」の充実に心がけました。

 また、市当局の提案に「迎合」するのではなく、議員1人1人が問題意識を持って、「自由にものを言い、議論する。活発に動き、活動が市民に見える議会」をめざし、議長の補佐をしながらの1年でした。

 特に、副議長が委員長となる予算審査特別委員会では、「十分な議論をしていただけたのでは」と思っています。

 これからも、   「執行のチェック機関」という役割と、「市当局に政策を提案・提言する仕事」の2つの役割を自覚し、両立のため、なお一層の精進を心がけ、「まず行動」で頑張ります。

この国の行く末を憂います。民主党様しっかりしてください。

2012-07-24 20:38:08 | Weblog
 政治主導を主張し、「原子力」という特異な専門分に、素人が口を出し、結果は見ての通りの不始末。原発に翻弄される住民の方々にとっては不始末では済まされないでしょう。

 一部住民が原発関係者や大臣を訴えたようですが、遅かった位で、至極当然のことでしょう。

 原子力発電所の再稼働でも「4閣僚で判断した。責任を持つ」と胸を張る。万一の時は「議員を辞めるのが責任を取るということ」なら、そんなの一銭にもならない。

 それぞれに何兆円かの資産があって、「万一の場合、私財を投げ打って事に当る」と言うならいざ知らず、原子力の事故は、「一議員の首」ぐらいで済むような簡単な問題ではありません。

 原子力の事故に関しては誰も責任は取れないし、軽々に「責任を取る」という言葉は使うべきではありません。
  
 この国の行く末を憂います。素人が見よう見まねで覚えてする仕事ほど、危なっかしいものはありません。

 「ガソリンをプールに貯蔵」と発言し、「被災地を焼き尽くす気か」と失笑を買った渡辺議員が現在は防衛副大臣。国の防衛大丈夫? 素人にはこれ以上任せられない。


 周辺諸国はこの機に乗じて「侵攻」を開始?  尖閣(中国)、竹島(韓国)、北方4島(ロシア)、日本のへっぴり腰の素人外交を見透かして、嵩にかかって、話合わせたように。

 国も守れない政府、これでいいの?総選挙で政界再編を促し、日本を再生すべきです。一刻も早く。

 どの党も、「出来ること、出来ないこと、今まで出来ていたけどやめること、我慢してもらうこと、負担が増すこと」をはっきりマニフェストに明記する。

 国民は、今度は賢明な判断をするでしょう。「アメや幻想に惑わされる」ことなく。「吹く風」に頬をなぜられ、「甘い夢」を見ることもなく。

 「政権交代」といった耳触りの良い四文字熟語や気まぐれに吹く「風」で、国が大きくぶれる。そんな政治はこれっきりにしましょう。

 現実を直視し、今度こそ、「任せられる政治」を実現しなければなりません。

 我々には、国の将来に、子や孫の将来に責任があります。想定外で逃げることはできません。日本再生、ガンバロー日本!

嘘じゃろう!この国は一体どうなったの?

2012-07-23 20:30:55 | Weblog
 10月31日に「東京地裁が下したとんでもない判決」、あれその後どうなった?

  「原発から45km離れたゴルフ場が東京電力に除染を求めた仮処分」、
東京地裁は、「原発から飛び散った放射性物質はもはや東電の所有物ではない。東電には除染の責任はない。故に検出された放射性物質については責任者がいない」という東電の主張を認め、「東京電力に除染の責任はない」として訴えを却下した。

 東京地裁は、「飛んで行った放射性物質はもう他人の土地にあるのだから東電のものではない。だから除染の責任はない」と言うのです。

 最後の砦の裁判所まで「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んだのです。あきれ返って開いた口がふさがりません。

 直接原因者の東電は勿論、「原子炉のメルトダウン」や「スピーデイー」・「アメリカ軍から提供された汚染情報」等の情報をひた隠し、「大丈夫ですが念のため避難」と言って嘘の情報を流し、汚染がひどいところへ避難させた枝野官房長官。

 「私が一番若いから責任を持つ。山や畑を含めて基準値以上の箇所は全て除洗する」と胸を張った、「山を全て除洗する」ということがどういうことか、まるでわかっていない、細野素人大臣。

 これだけの大事故、「県が一つなくなる」ような、「今後、人体や自然界にどんな影響が出るか想像もつかないような、数十年にわたって不安がつきまとう」そのような大事故の責任が誰も問われない。実に奇妙です。

 正義の味方である警察も「30年50年100年単位で被る世代を越えたこれだけの大被害」に対して微動だにしない。裁判所に訴えても「「誰のものでもない」と門算払い。

 国も東電も裁判所も、「放射性物質のみならず事故そのものにも責任者はいない」「原因は地震と想定を超えた巨大津波だ」と言い張る。 放射能によるガンの発症リスクには「ほっかむり」して知らぬ存ぜぬ。

 そして、政府は23年12月に早々と終息宣言をして、避難している住民に、今までの基準をひっくり返して、「安全だから帰れ」という。結果、学校が再開し、子供達は屋外で遊び始めた。リスクを一生背負って。

 その重大な過失責任を問われ、政治生命を絶たれてもおかしくない「枝野・細野」両議員が、こともあろうに、「経済産業大臣」「環境大臣・原発事故担当大臣」という、原発の所管大臣として未だに指揮をとる。

この国は一体どうなったの?

ホタル博士大場信義先生の北川講演会の案内

2012-04-25 11:17:37 | Weblog
 ホタル研究の第一人者として知られる大場信義先生が北川やっちみろ会(会長早瀬順一郎)主催のホタル講演会で北川にいらっしゃいます。

 インターネット(タウンニュース 横須賀版)で調べた先生のプロフィールを紹介します。

 大場信義先生は日本を代表するホタル博士だ。 かつて、水辺で舞うホタルの発光パターンには地域差がある ことを発見した。明滅はオスとメスの会話。東日本では4秒に1回ののんびりトーク、西日本では2秒に1回のせっかちトーク。この法則性を「ホタルの方言」と命名、30年に渡る独自の研究でホタルが放つ光の神秘を解き明かした。

 里山に囲まれた逗子の片田舎で生まれ育った。野山を駆け巡り昆虫を採取、図鑑と首っ引きでその生態を調べ上げる、そんな少年時代を過ごした。

 大学を卒業後は企業の研究所勤務などを経て、横須賀市自然・人文博物館の学芸員に就いた。ホタル研究に没頭するきっかけは、同館の創設者で発光生物研究の大家、羽根田弥太博士との出会い。「ホタルはなんで光るのか?」好奇心を刺激するテーマを与えられた。

 以来、ホタルが語りかけるメッセージに耳を傾け続けてきた。   「分かったことの先に、また分からないことを発見する。深遠なホタルの世界は興味が尽きない」

 以上、タウンニュースの記事を引用して紹介しました。


大場信義先生を招いてのホタル講演会(無料)

  日時 平成24年5月20日(日) 19時~20時30分
  場所 北川町熊田 北川公民館(旧北川町中央公民館)
  主催 北川やっちみろ会(会長早瀬順一郎
  後援 延岡市北川町総合支所  0982―46―5010



西南の役延岡隊と延岡市戦没者招魂祭

2012-04-25 06:16:26 | Weblog
 延岡市の西南の役戦没者招魂祭は毎年今山で行われています。

 今年は雨にたたられ、今山八幡宮蓬莱館のホールで、戦没者の御子孫、田口県議会議員、延岡警察署長、延岡西南役会の会員等50余名が出席し開催されました。
 
 明治10年(1877)2月15日に「政府に問うところあり」として兵を率いて鹿児島を出発して始まった「西南の役」では、延岡からも旧藩士や農民など1400人を超す人が薩軍に加わったといわれています。

 延岡西南役会 高浦宗一郎会長のあいさつによると、延岡隊は、明治10年2月23日に130人余が出兵以来、その後も参戦者が増え、各地を転戦し、4月20日、熊本市郊外で官軍と遭遇(竹宮の戦い)、戦役中で最大の戦死者が出ました。延岡隊は、参戦から降伏するまでの間に戦死者80人を出しました。(その名は今山の招魂碑に刻まれています)

 延岡西南役会は、延岡隊が奮戦した4月20日、この日を「延岡市西南の役戦没者招魂の日」と定め、明治11年より毎年開催しており、本年で134回目を数えるとのことです。

 
 高浦会長は、「西南の役は日本最後の内戦であり、以後、日本民族同士で武器を手に争うことはありませんでした」

 「この民族としての結束こそが、後の日清、日露の戦役をはじめ幾多の国難を打破し、近代日本の礎を築く原動力となりました。近年、各地より和田越の決戦場をはじめ、延岡の西南の役関連の地を訪れる方が増えています。このことも、「西南の役が単なる士族の反乱としてではなく、・・・」歴史を今一度見直そうということの現れではないでしょうか。今後も、郷土の歴史、西南戦争を語り継いでいく覚悟を新たにしました」と御あいさつされました。

 最後の正規軍同士(薩軍・政府軍)の戦い となった「和田越えの戦い」は8月15日朝に始まり昼過ぎには政府軍の勝利で決しました。

 その後、薩軍は北川俵野に撤退し、最後の軍議を開き、西郷さんは軍に解散命令を出し、陸軍大臣の軍服を裏庭で焼き捨て、この時点で、事実上、西南の役は終結しました。

 この日本最後の内戦「西南の役」の終結をもって、鳥羽伏見の戦いに始まった「明治維新」は延岡の地で終結しました。

 その後、西郷さんたちは夏真っ盛りの険しい九州山地の道なき道をふるさと鹿児島を目指して落ち延びていくことになります。その道を、私は、「坂本龍馬脱藩ルート」になぞらえて、 「西郷隆盛・鹿児島望郷ルート」と呼んでいます。

 延岡西南役会では、  西南の役戦没者の盆供養を和田越しの戦いがあった、8月15日朝8時より和田越峠の碑の前で行っており、帰省中の方々も三々五々訪れて冥福を祈っています。

「報恩の想い」貫いた松谷希次さん 戦友の待つ靖国へ

2012-04-23 23:10:10 | Weblog
 松谷さんの「報恩の想い」は、2008年10月21日「報恩に生きて」、2009年1月24日「ブーゲンビル島の戦没者の御霊よ安らかなれ」でも話しましたように、松谷さんは南方の激戦地で脚を負傷し歩けない氏を、一人でも大変なジャングルを戦友達が担架で担いで撤退してくれ九死に一生を得て帰還しました。

 復員後、北川の長井郵便局に勤めましたが、定年を待たず退職し、昭和55年より戦友の遺骨収集や残留兵士捜しに第二の人生を捧げてきました現地に26回おもむき、慰霊の為の観音像も建立しました。

 勿論、延岡にも今山大師の立つ敷地の一角に立っています。そして、毎年1月23日11時から松谷家が一族こぞって慰霊の祭りを催しています。

 そして平成24年4月20日、その生涯のほとんどを戦争に翻弄された松谷希次さんは「報恩の想い」を貫き、多くの思い出と受け継ぐべき想いを我々に託し、89歳で戦友の待つ靖国へ旅立たれました。

 来年も再来年も松谷家は、今山平和観音像前で慰霊祭を続ける事でしょう。私もブーゲンビル島で戦死した叔父の為にもと思い毎年参加してきましたが、これからも参加し続けます。ご冥福をお祈りいたします。

大にぎわいだった延岡お大師さん

2012-04-16 11:53:43 | Weblog
 祇園町の山下通り出口から100mくらいの場所、「呑んノン」の反対側あたりに陣取り(別に座って待ったわけではない)、春の強い日差しの中、行列開始を待った。

 先頭は自衛隊の軍楽隊、「いよいよパレードが始まる」。次々と「連」が通ると思いきや、山下通りからなかなか出てこない。
テンポの悪さに前に陣取るご婦人方から辛口のコメントがポンポンと出だす。

「えれー遅せねー。何しよちゃろかい」「段取が悪りわー」「仕切るもんがおらんちゃろかい」

 「ごもっとも」と聞こえないようにあいずちを打つ。それにしてもテンポが悪かった。行列の間隔が開き過ぎ、イライラはげらしい思いを、多くの観客がしたのではないでしょうか。

 縁石に座ったお年寄り、立ってみているお年寄り。背が低くて山下通りの出口が見えないのでなおさらいらだつ。

 「次は来よらんけ」と誰かが聞く。「まだ来てません」と私が割って入る。思わぬ声に「誰だろうか」と首をひねり、上目使いで後ろの私を見上げる。残念、私が誰か分らないふうだ。

「そんにしても間が開き過ぎじゃ」「そうですね。今年は特に開き過ぎですね」とまた割り込む。

 今度は見上げない。分る事のみ解説を交えながら行列を流す。

 「尻が痛くなった。足がパンパンじゃ。帰ろうかな?」「大名行列が来るまで待ちましょうよ」

 国保の「検診が無料」の行列が来る。「お金が要らんなったと?」「そうです。今年から無料になりました。検診してください」

 行列の容姿の品定めをしながら(本人が聞いたら腹かくような事を色々)、結局、最後まで辛抱してくれました。

 大名行列では質問が相次ぐ

「お殿様は誰かい?」「旭化成の松居支社長です」

「あん大きなじょは?」「あれは佐藤市議会議長です」「強いごたるな」「あんげしちょってん、見た目と違ごち優しとですよ」

 サムライが次々と通る。「あの少し背の低いのは宮野北川支所長です」他の市職員もサムライ姿で通り過ぎて行く。

 そこに「ひときわ似合った」、というよりは「なりきった」侍が見えた。分らない。誰だろうとメモリーオーバーの頭を検索する。

 「えっ!」意外な人物をはじき出した。そして、「あれは三星消防長です」とそこいらに聞こえる大きな声で叫んだ。

 「へー消防長かい。えれ似おちょるが」「ホントですね。そんまま水戸校門に出らるるわ」

 いわきの行列が通り去るまでは全員楽しく残って頂きました。

 商工会女性の会の踊りには、「やっぱ祭りんごたるね」「笠をかぶってかっこいいね」「阿波踊りを思い出したわ」と特に好評でした。

 センコーのばんば踊りが通るときには「やっぱ延岡はばんば踊り。踊りてーね」と体を動かす60代のご婦人もいらっしゃいました。

 多くの市民が街に繰り出し、パレードに参加し、テンポのいい行列で、初めて活気のある祭りになる  と思います。

 要望ですが、来年は「連の間隔」をせめて50m~60mにしてもらえないでしょうか。検討してください。

自衛隊よお前もか!ミサイル感知もヘリ墜落も!

2012-04-15 22:36:55 | Weblog
 田中防衛大臣も渡辺防衛副大臣もその、ど素人ぶり、ノータリンぶりは先日お話しいたしましたが、それが自衛隊全体に蔓延したようです。

ミサイル発射が米軍から伝わって後の「自衛隊のドタバタ劇」は、世界が注目していただけに、情けなくて悔しくて涙が出そうです。自衛隊のていたらくは何が原因でしょうか。まさか東日本大震災での高評価に慢心し、気が緩んだわけではないとは思いますが。

 あれだけのテストを繰り返し準備したJアラート、北朝鮮の挑発に乗った振りして南西諸島に展開した自衛隊。

 世界は北朝鮮のミサイルと日本の防衛体制の精度に注目していたのです。結果はご存知の通り、両国ともそのレベルの低さを世界中にさらけ出し、いい笑いもの。

 そして今日、自衛隊の「ていたらく」はここに極まりました。

 海上自衛隊のヘリが、練習艦隊に展示飛行中に、乗船する若い幹部にいいとこ見せようとして接近しすぎ、護衛艦に接触し、海に落ちるという間の抜けた事故を起こしてしまいました。

 自衛隊は、事故調査委員会を設け、原因を調査するといいますが、調査する必要はありません。原因は気の緩みと分っているからです。

 平成22年8月、瀬戸内海で第6管区海上保安本部のヘリコプターが送電線に接触して墜落、5人が死亡した事故がありました。この時も今回と同じく、船に乗船した司法修習生に、海保のヘリがいいカッコしようとしたことが原因です。

 海保は海の警察、自衛隊は国を守る軍隊、この両方が「いいかっこし」で事故を繰り返す。おまけに政治が機能不全、この国は大丈夫なのでしょうか。このままでは手遅れになります。手術が必要です。

「私は選挙で」と思うのですが「選挙するべきでない」とする世論がまだ強い。迎合する政治には賛成できません。