日々、感謝。

日々の何気ないことを、つらつらと綴っております。

世の中の狭さと蛇の恐怖。

2012-02-27 19:05:52 | 日常
※相当内輪的な話の上に面白くありません。
自身のもやもやを軽減するためだけに書いたので読まないことを勧めます。


駅に向かうため部屋を出ようとした丁度その時、昔なじみの友達から電話があって、

久しぶりーどうしたん急に、とか世間話していたら、

「実は・・・」と、

その友達から、昔に色々あって関係を切った人の名前が出てきました。

何で知ってんの!?と理由を聞くと、

なんでも今同じ会社で働いていて、友達になって話ていたら僕の名前が出て友達だったと発覚して、
その人が僕と一年半連絡がつかなくて最近どうしているか気になると言っていたので様子を伺う感じで電話してきたそうだ。

久しぶりの電話で、まさかその名前を聞くと思わなかった、世の中が狭すぎて怖くなりました。

ある事情で関係を切ったその人のことは、
試行錯誤の末、苦肉の策を断腸の思いで決断して行ったことなのに、
断絶したつもりが未だにその人の事が付きまとう。

その人と関係を切ったのは確か二年半前、
遊んでいた当時から若干ぎすぎすした感じになっていて、ずっとどうしようかと決断をせずに遊んでいました。

そんな感じで遊んでいても楽しいわけはなく考える時間が欲しいと思い。

多分、相手も感じ取っていたのか、何度か電話しても出なかったので、
本題と理由を送って、いつまでになるか分からないけど待って欲しいと締めたメールを送りました。

その時は返信の電話もありませんでした。

これでフェードアウトしていくだろうと思って五ヶ月後、電話がかかってきました。

内容は、友達を続けるか続けないかはっきり言って欲しい、電話帳から消すし消してほしいなどなど、
解ったと言ってあちらが電話を切ったと思ったらまたかかってくるを6~8時間ぐらい続けていて、
こちらがちゃんと説明しても、解らない理解できない、果ては実は余命が短いと言い出して、

この時、以前のように遊ぶ気はない事、いつ以前の気持ちに戻れるかわからない事、
そしてはっきりして欲しいと言われたので遊ぶ気はもうないと言ったのに同じ話を続けるので、

僕はうんうんと相槌をうつだけになっていました。

それが深夜3時過ぎまで続いて気づいたら寝ていて電話は切れていました。

そんなことがあって完全に終わったと思っていたら、
今から約一年前、その人からの最後の電話から約一年後の去年の2月14日に電話がかかってきました。

その時は他の友だちとも音信不通にしていたので電話は出ませんでした、音信不通にしていなくても出なかったと思います。

それから一年後の今、またその人の名前を聞くことになるとは思いもしませんでした。

昔なじみの友達の電話が、

友達自身が久しぶりに遊ぶのが本題か、
”その人”との関係をとり直すことが本題かで意味合いが全然変わってきますが、
少し話をして時間がなくてごめんと途中で話を切ってしまったので判断できませんでしたが、

便宜上帰ってくる時期を教えたので、帰ったらまたあるかもなぁとか、
お互いの本心とは別に、ずっと蛇の様に纏わり付いていくことになるのかとか、
答えのでない疑問を抱えることになってしまって。

生きていく中で、当時は友達でも色んな理由で疎遠になって連絡もとらなくなってそれが普通になるって結構あると思います、

僕も何人かそうやってフェードアウトしていて、でもそういう人は結局お互い興味がなくなってるから後腐れなくフェードアウト出来てきたんだと思う、
お互いなんとなくだから偶然どこかであっても普通に世間話をして別れることができる。

”その人”はフェードアウトするには遊びすぎていたので、はっきりしないといけないと思い、
遊ばないと決断した。

それは”その人”がはっきりして欲しいと言われ窮した結果だ。

でも僕は、はっきりしないと失礼だと思い、遊ばないと口に出した時、完全に考えがはっきりした。

なのに”その人”本人がこんなにまとわりついて来るとはどういう事なのか、
僕は遊ばないといった時、絶対友達に戻らないと決めた、

それは興味なくしたとかそういうことじゃなくて、

”その人”のことを傷つけたことに対するけじめだと思うからだ。

僕は子供の頃、相当の悪ガキで周りの人たちにどれだけ迷惑をかけたか解らない、
それでも周りの人たちは僕に優しくしてくれて受けいれてくれていた、
その事に気づいた中学生の僕は、まさにさなぎだった。

僕に中学生の頃の友達はいない、中学生生活の楽しかった思い出がない。

でもそんなことではいけないと、
高校生の頃、僕がそうであったように僕も人に優しさと受け止めるだけの人格になれるようになろうと思った。

そうやって今まで生きていた。

人は気づかない所で人を傷つける、じゃあ気付ける事は傷つけない様にする、当時の僕の心がけです。

でもそれもまた違うと今は思う、そう思うようになったのは”その人”とのことがあったからだ。

”その人”との事で、中途半端な優しさは人も自分も傷つけると気づいた

”その人”との事は僕が自分勝手だと思う。

だから自分勝手だったからこそまた自分勝手をするわけにいかない。

この罪悪感がなくなることはない。

なのに未だに向こうから何かしら関与がある。

もし”その人”が、解らない理解できないじゃなくて、
ちゃんと話が出来るようになっているなら帰ってきてから会ってもいいかもしれない。

それで本当に完璧になくなるか、二年半という長考の末元通りになるのか、
はっきりすると思うから。



大分考えがまとまって、もやもやが晴れました。

結局文字数2500字越え、作文用紙7枚分になってしまいました。

これだけの気持ちを”その人”に伝えて面倒くさいからいいやとなればそれはそれで良いですが
解らないなら言っても意味ないしなぁ。

こちらがちゃんと言うなら、むこうにもちゃんと聞いて欲しいので。

以上駄文でした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿