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〈おまけ〉上野のパンダの命名に喜び

7年8カ月ぶりの更新です!

昨日2021年10月8日、上野動物園で生まれた双子のパンダの赤ちゃんの名前が発表されましたね!

 

男の子が「シャオシャオ(暁暁)」

女の子が「レイレイ(蕾蕾)」

 

この発表に家族は沸きました!

シャオも「暁」のシャオからつけたからです。

同じだ~♪

 

私、パンダ好きなんです。めっちゃ可愛い。

シャンシャンもコロナ禍になる前に見に行きました。

シャンシャン、美人さんですよね。

 

シャオシャオとレイレイにもいつか会いに行きたいな♪

まあもっとも、シャオはTVで可愛いパンダとか映って

「可愛い~!」と言うと

「僕以外を可愛いなんて!!」

とプンプン怒る子でしたけどね…(笑)

 

命名が嬉しかったので、記念にちょこっと記事アップです。

双子のシャオシャオとレイレイ、また世の中に明るい未来の光がありますように。

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一周忌です



1月8日、シャオの一周忌を迎えました。

この写真は2011年のお正月のもの。
自分のご飯のあと、冷蔵庫前で人間の夕食ができるのを待っているところ。

真正面を見てるので、いつも飾っている写真のうちにも入っている一枚です。



一年前は寒くてすっきりと晴れた朝でした。
早朝にシャオを見送り、体をきれいにしてあげて、
色々掃除とかもして、火葬の段取りを取り、ひと段落したところで
ブログに旅立ちの報告だけでも、としたのでした。

晴れた空の下で、シャオが死んじゃっても変わらず周りのもの、
人も動物も植物も生きている、という事が奇妙な気がしたのを覚えています。
よく大事な人を亡くした時そういいますが、
「こういうことか」と。

今朝は晴れました。
イマイチのお天気だと予報されていましたが、晴れて良かったです。

年末年始は去年の闘病を思うと「なんて平穏!」と思いながら過ごしました。
去年は行かなかった初詣にも行きました。

三日の朝方の夢にシャオが出てきました。
一緒に山のような所に遊びに出掛けてる夢。

笑顔で駆け寄ってきてクルリとお尻を向け、得意技の「だっこ」をしてくれました。

おおお、可愛いぞ!!



今、どこにいるのかな?
たまにはお家に来てるのかな?
君の魂が平安で温かい場所にありますように。



ブログでは印象のよい?笑顔の写真を中心に載せていますが、
けっこう怒りんぼだったのでプンプンしてる姿もよく思い出します。
ブイブイマンです。

シャオのうるさい声が聞こえなくなって1年。
温かくてモフモフのケモノさんのいない家は味気ないものです。

「シャオほど可愛い子はいない」と家族で話しつつ、
ショップなどに行くとやっぱりシェルティーに目が行きます。
それか以前飼っていた柴。

でもこれからを考えると…う~ん、どうなのかな。
いたら楽しいけれど、難しい面もあるので。
少なくとも、もうシャオサイズ(20キロ超)の子は無理ですね。

シャオが旅立つ数日前、寝たきりだったのが突然立ち上がり、
家中をヨタヨタと見て回りました。
死期を悟り、「見納め」のつもりだったのかな…と思います。

抱っこして無理なく人間が歩けるサイズ(10キロくらいまで?)なら
もっと2階とか、公園とか、近所を見せてやれたのになあ、と。
大きくて自慢のシャオでしたが、大きい犬は看護が大変、というのも確かです。
ピレネー犬とか、寝たきりになったらどうやって動かすの…と。

犬・猫・鳥・魚…生き物と一緒の暮らしは素敵です。
看取る苦労と悲しさも含めてひとつの大きな幸福だと思います。

シャオ、またね。


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青淵公園の思い出フォト

秋になりました。
シャオが旅立って来月8日で10ヶ月。

フィルム写真を中心に何回か記事をUPしましたが、
去年の10月27日と11月3日は「最後のお出かけ」になった青淵公園に行っています。

フィルム写真もちょこっと。
でも、11月3日はデジカメで撮った写真もたくさん!
その時のブログに載せてないもの達。

一瞬一瞬の表情が可愛くて、親馬鹿よろしく
同じような写真を何枚も撮りました。
「せっかくだから、ブログに載せときたい」
と33枚選んでフォトチャンネルにしてみました。
最初の3枚がフィルム写真です。

2012年11月3日 青淵公園


実は、この日からシャオが亡くなるまでの写真は
今でもデジカメに残してあります。

パソコンにも移して、紙にも焼いて、外部にも複数コピーして…
でも、デジカメから消せません。

「シャオと出掛けて、その日握って撮ったカメラ」
からシャオを消したくないな、という気持ちでしょうか。




10月8日。
いつもの公園に、ちょっと久しぶりに。



(記事「久しぶりの公園」はこちら



10月27日の青淵公園でも。


(記事「青淵公園」はコチラ



黄金色でキラキラ輝いていたシャオ。
旅立ってから、ただの一日もお花が途切れることもなく、
ご飯もお水もオマケもちょこっとだけど毎日替えてもらい、
名前だって呼ばれない日はないシャオ。

全く、なんて愛されていたんでしょう。
「愛されてる自信」というものがシャオにはありました。
でも、王様になりきらない繊細さ細やかさ、遠慮、我慢…
素直で可愛い、まあちょっと?かなり?社会性には問題あり、でしたが
それでも「非の打ち所の無い子だったよね~!」なのです。
ん?あったか?
いやいや、「それもまるっと含めて」なのです。


今までは、
「シャオがいなくなって○ヶ月経った」でした。
これから11月、12月…と昨年の辛い日々と被る季節になります。
ちょっと治りの悪い関節炎、だと思っていたものが
思いもかけないクリスマス直前の腎不全発覚、そしてさよならへ…。

楽しい思い出より、辛かった記憶が甦りやすい季節です。
正直、複雑な気持ちで迎える年末です。


ややや、弱音を吐いてしまいました。
シャオのためにも、明るい気分を心がけないとね。


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フィルム写真④ 夏の笑顔



明日で8月も終わりです。
めちゃめちゃ暑い!

シャオの新盆だった8月中に、1度は記事をUPしたいなと思いつつ、
延び延びにしてました。フィルム写真第4弾です。

せっかくなので、シャオの笑顔の写真がいいな!と選んでみました。
時期は夏で。

まずは2002年7月6日。

母と。
うーんいい大きさです。
これでも生後3ヶ月と10日のパピーです。

お次も母と。

2006年6月29日。


今度は父と。

2007年の8月。
赤城の大沼に行った時です。

あとは2008年。

泰と。

最後は一番最初の写真と同じ日。2008年9月21日です。

泰&泰ズ姉と。

まー夏といえば、そこはスーパー暑がりのシャオ。
大体エアコンに漬かってる写真ばかり。
その中から探してみました。

夏といえばソファの後ろの空間がエアコンの風が当たってお気に入り。
エアコンの冷気でシャオは快適・人間冷え冷え。
熱いアスファルト対策で靴下履かせたり、
夕方暗くなってからやっとお散歩に行けたり。

そんな苦労もない夏は、楽ではあるけど寂しいね。

新盆には初めてナスのお馬を作って飾りました。
「なんですかこれ。これに乗れと…!?」
と困惑してたかも。

シャオよりちょっとだけ早くお空に行ったミッシェル君のお家に、
とっても可愛い弟君がやってきました。
素敵な巡り合わせの新しい出会いです。
可愛いサンディー君の姿にこちらもメロメロです。

ミッシェル君の導きかもしれませんね。
シャオは…うーん…。
TVに映る動物に「可愛い!」と言っても怒り狂う
「ボク中心!ボクを見て!!」な子だったので、
そ、そんな寛大なココロは持ち合わせてないような気が…。


そう、以前ちょっと不思議なお話を書きましたが、
それから後にも1度ありました。春か初夏頃。

夕方畑の中の一本道をてくてく歩いていた時のこと。
すれ違った小学生の男の子を連れたお父さん。

こちらを見て「ねえねえ」と前をゆく男の子の肩を叩き、
「あれラッシーかな、ラッシーだよね?」と。

男の子はサッカーボールを蹴るのに夢中で関心示さず。

お、お父さーん!!?

全然顔見知りでは、ないし。
なんか見えてますかお父さん!?

それとも律儀にも公園かどこかでシャオを連れた私の顔を覚えてたのか!?

いや~私帽子被っていて顔なんかよく見えないし…。

まさか
「犬がいるように見えてます?どう見えます?」
などと聞いたら変な人になってしまうから聞けないわ。

まあ、ラッシー(シャオ)が周りでてけてけしてたのかしら?
と思った方が楽しいので、そういうことにしておきます。


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6回目(半年)の月命日~フィルム写真③ 1歳頃~



フィルム写真その③です。
今日は7月8日。6回目の月命日です。
旅立ってから半年経ちました。
目茶目茶暑いです!

シャオがいなくなった今年は、なんと7月までクーラーを入れませんでした。
シャオがいれば、間違いなく5月頃の暑かった時期、入れてただろうな。
「エアコン!エアコン!」とうるさかった暑がりさん。

さて、この7月は我が家が今の街に越してきて十周年。
まさか十周年にシャオがいないなんて…と思うけど、
そんなわけで、引越し当時のシャオ写真です。


まずは引っ越した年の春。
2003年4月17日。秩父羊山の芝桜。
1歳になったばかりのシャオと上の姉と母。


7月にお引っ越し。
当初、「な、なんですかこの家は!?」と
新しい家にビビッて尻込みしたシャオですが、
家族と一緒なのですぐ慣れちゃいました。

近所に今までなかった広い芝生の公園も発見!
初めて連れて行った時は、驚きと嬉しさでいっぱいの顔をしました。


泰と。




2003年9月12日。

新しいおうちにもすっかり慣れて。
大好きなピアノも遅れて前の家から届きました。





9月13日。泰ズ姉と。定番になった公園で。

1歳のこの夏は顔周りの飾り毛がずいぶん短く抜けました。

さてこの公園。
初めて行った時は雨気味で、人気もワン気もほとんどなかったのです。

が!こんな広々した芝生の公園に人とワンが集わないわけはなく。

それまで田舎なゆえに「公園でほかのわんこと交流♪」なんて
経験してこなかったシャオ(公園が存在しなかった)。

そんなシャオの前には色んなわんこが現れたのです。

以下、引越し1年後の写真です。


ドキドキ…。



ひょぇえー!!

白いペキニーズのチャオ君。
シャオ君チャオ君名前の似た者同士。

結論。
犬慣れの時期を逃したシャオは一生立派なビビリでした

もう少し引越しが早く、公園デビューも早ければ
違ったかも知れません。
でも変わらなかったかも~。


今日は雷が鳴りました。
ビビリなのに雷には少しもビビらず、
鳴るのに合わせて「あちょ!」とおもちゃを銜えていたシャオ。
「かっこいいでしょ?」と得意そうな顔が思い出されます。


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~フィルム写真②誕生日 後編~


シャオ2歳と一ヶ月。
横顔が美しく撮れて、お気に入りの一枚です。
若い頃は「月命日」ならぬ「月誕生日」にもよく写真を撮っていました。
その後デジカメや携帯カメラになってからは
いつと言わず、パシャパシャ撮るように。

お誕生日写真後半です。
…6歳の時はデジカメしか写真がないですね。

これがそれ。
2008年3月26日。いい笑顔~
この時のお誕生日記事はコチラコチラです。

フィルム写真はお誕生日直前のものがありました。

2008年3月22日。
秩父ミューズパークの梅林にて。泰と。


さてさて、デジカメ比重が高くなり、お次の7歳も、フィルム写真ありません!
「シニア犬」仲間入りの目安として、
わんこ飼いがちょっと喜びに混じって
フクザツな心境で迎えることが多いと思われる7歳。

お誕生日記事はコチラなんですが、
直近のフィルム写真はこれ。

2009年3月1日。
泰ズ姉と。
(どうでもいいが、泰ズ姉、黒い服の割合多い…
髪型も十年一日変わりません!)

お次の8歳。こ、これもデジカメのみです。
お誕生日記事はコチラ
載せなかった写真を一枚。

食器洗い機相手にかっこよく格闘中♪

泰はこの時体調が悪く、
泰ズ姉が代わりに誕生日記事を書いてくれました。
その後泰の体調は今振り返ってもゾッとするくらい悪化していったのですが、
「シャオのためにも元気になるぞ!」と。
どれだけ支えになってくれたかわかりません。
ありがとね。

フィルム写真は誕生日の半年後、
2010年9月26日のものがありました。

スポーツ文化公園で、大好きなあずま屋。
シャオ8歳と半年。

さて、そして2011年。9歳。
これは、つ、遂にデジカメオンリーです!
探した限りでは、2011年、フィルム写真は一枚もありません!

恐らくこの年にデジカメを新調したためです。
ルミックスからリコーへ。
あ、でも私のじゃありません。泰ズ姉が所有者です。

9歳のお誕生日記事はコチラ

でも、写真をチェックしてたら、お誕生日に撮った写真を
ブログにアップしていないことに気がつきました。
折角なのでここに載せます。
3枚とも、2011年3月26日。


「むむ?撮ってるの?」


「一曲歌っちゃうぞアオーン♪」


「どう?いい声だったでしょ?」

…な~んて感じで撮ったものと思われます。


そして、10歳。
2012年3月26日。

フィルムです。
やっぱりちょっぴりえらそうに、ソファに陣取っています。
この写真も今、リビングに飾ってあります。

誕生日記事はコチラ

 このソファのカバー、厚くてしっかり。
シャオが飛び乗ろうが、上で喜びの舞を踊ろうが、
ビクともせずに役にたってくれました。

シャオが旅立ってから、別のものに交換しました。
さすがに何年も使用して古くなったので…。

でも、きれいに洗って取ってあります。

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5ヶ月経ちました~フィルム写真①誕生日 前編~



お久しぶりです。
6月8日で5回目の月命日を迎えました。

こちらのブログはもう「完結」ということで、更新はおしまい!と思っていたのですが。
先日、2002年の5月5日にシャオをお迎えしてからの
フィルム写真をデジタルスキャンして、
「何枚かでも、ブログに載せときたいな~」と感じました。
何回かに分けて、シャオの姿を載せたいと思います。



(6月8日)

毎日、お花とお水、ごはん、トマトなど好きだったもの、をあげています。
この日はうさぎさんリンゴも。

昨年12月、約8キロ入りのフードを購入直後に予想もしなかった発病。
ほとんど残ったままだったフードを毎日、少しずつ…。

一日4回必要だったお散歩や、夕食後一緒に遊んだ時間。

ぽかっと空いてしまったそれらの時間を過ごすのにも慣れてきました。

時々お骨を抱っこしてやったりもしますし、
寝る前は必ず「おやすみ」を言って撫でてやってから寝ます。
「シャオ」と名前を口にしない日は一日もありません。
話題に出ない日もありません。

先日、長年愛用したオレンジのベッド、
あまり気に入ってくれなかったアルミのスノコシート、
もう数年納戸にしまったままで使っていなかったペットゲートを処分しました。

通院に活躍?してくれたバギーはまだ新品同様。
これはダイニングの片隅にまだあります。
リードやハーネス等の小物類は箱に入れて保存。

シャオが亡くなってから、写真をプリントして、
このブログも書籍化しました。
1・2はもう以前に作ったので、続きを。
全4冊になりました。

3月、シャオにお供えしようと庭に花の種を蒔いて、
「シャオちゃんガーデン」と命名。
今、花盛りです。

最後が、フィルム写真のスキャンです。


トップ画像のシャオはフレームに入れて飾ってあるもの。
昨年2012年10月8日、いつもの公園で。
肩から前足にかけての毛がキラキラと綺麗に撮れてるところがお気に入り。


2007年にブログを開始するあたりまではフィルム時代。

2002年6月6日。
シャオ2ヶ月。
まだ首輪デビュー前でスカーフで慣らし中。

この写真はずっと飾っていて、褪色していたので今回焼き直してもらいました。

子犬時代の写真は
過去記事「子犬時代の写真をどっさりと」
と記事内リンク先にもあります♪


「なんの写真を載せようかな?」と悩むので、
まずはわかりやすく「誕生日写真」を載せていきます。
まずは5歳まで。


1歳。2003年3月26日。泰ズ姉と。
この年の7月、今の街に越してきました。



2歳。やっぱり泰ズ姉と。
このちょっとムッとした顔がシャオらしい~


3歳。



4歳。またまた泰ズ姉と…


アンド、泰と父と。

フィルムの頃はデジカメと違って一度に何枚もは撮ってないですね。
せいぜい3枚くらい。
しかもピンボケだったりする…。


そして5歳。この日からブログスタートです。

泰と。
この年は服装から見ると、前年と比べて暖かかったのかな?

泰&泰ズ姉と。おやつ食べ食べ。 

以下、6~10歳の誕生日、を載せます。

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追記 ちょっと不思議な話~今でも一緒にいるのかな?~

2月になりました。
シャオが旅立ってまだ一ヶ月経ちませんが、闘病していた辛い時の事は、
もうずうっと前の事のような気がします。
でも、シャオはまだ元気だった頃のように、当たり前に家にいるように感じます。

不思議な感覚です。
残された者が、ちゃんと日常を過ごしていけるように、
そういう風にできているのかも知れませんね。


辛かった闘病期間が短かったので、元気だった頃のイメージばかりが残っています。


前回、主人公のシャオが旅立ってしまったので
ブログの更新は最後です、と書きました。

…が、今回、ちょっとだけ書いておきたい出来事がありましたので、
それを記しておこうと思います。


昨日、ウォーキングに行こうと玄関を出た私。

家を出てすぐ、お母さんに抱っこされた男の子とバッタリ。

まだ片言を喋るくらいの幼児さん。

その子がこちらを見るなり、言ったのです。

「わんわん!」と。

シャオを連れていて、小さい子に「わんわん」と言われることはよくありました。
だから、その瞬間はその気分になったのか、おかしいと思わず…。

一拍置いて
「…え?あ?私犬連れてないけど…!?」と気づきました。

男の子のお母さんは
「わんわん…?(いないけど?)」
と訝しそうに子供に聞き返しました。

どういうこと~!?

男の子はその後も3、4回「わんわん、わんわん!」と言っていました。

私はお母さんに会釈して歩いていったのですが、

え、え、え~!?

キョロキョロと左右を見て、
「もしかしてシャオちゃん、一緒にいるの!?」と小声で。

真相は謎です。

小さい子には大人には見えないものが見えることがあるとか。

「僕も一緒に行く~」とくっついてきたシャオが見えたのかも。

もしかしたら全然違うことで、何でもない事なのかも。

でも、「男の子にはシャオが見えた」と思う方が夢(?)がある!


なんだか嬉しくなって、
「じゃ一緒にシャオの好きだった公園の丘に行こうか?」と
てくてく歩いて行きました。

道々、誰もいない所でこっそり
「シャオ、ちゃんと付いてきてる?」などと声をかけつつ。
(人に見られたら、独り言を誰かに向かって喋ってる怪しい人に…)

なんだかちょっぴり幸せ気分で丘で一休み。

家に帰って家族に話すと、
「え~シャオ、やっぱりまだいるのかな~
きっといたんだね~消えちゃったわけじゃないんだよね」
とわいわい。

まだ49日になってないし…一緒にいるのかな?

だったらいいな。

男の子に、幸せ気分をプレゼントされました。

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ずっと一緒だよ~シャオの最後の日々のこと~

シャオが旅立ってから二週間が経ちました。

最後の日々の事を書き残しておこうと思います。
シャオが精一杯頑張った記録として。

2012年10月8日のシャオです。

まさか、このたった3ヵ月後に旅立ってしまうとは、
その頃は夢にも思いませんでした。



11月3日、青淵公園にて。
これが、「お出かけ」と一応呼べるものの最後になりました。
とっても嬉しそうだったシャオ。
「行っておいて良かった!」と思います。





12月10日。
台所でオヤツをワガママいっぱいでおねだり中。

関節炎が悪化して、心配だったものの、まだ食欲は健在。
正直、この辺りで病気の「兆候」に気づいていれば、
あるいはもう少し一緒にいられたのかなあ、と悔やまれます。

いつもより寝てる時間が多めでした。
「何か妙だな?」とは感じていました。
でも、関節がとっても腫れていたので「無理ないかな」と思ってしまいました。
「関節炎」というフィルターに隠されて、見えませんでした。


「急死」と言っても過言ではないような悪化のスピード。
何がまずかったのか…年齢も若干若い事から、
多分にシャオが生まれ持った「体質」もあるのかな…と。
色々考えますが、シャオがいなくなった事だけが確かな事実です。


撮るだけ撮って、プリントしていなかった写真を
家族皆が見られるようにプリントを頼みました。
約1000枚!

動画はお宝です。
「こういうのって、いなくなった後に見られるのかな~?」
なんて思いながら撮った事もある動画。

見られます。
動いている姿・声。
やっぱり撮っておいて良かったです。
楽しかった時の気持ちが甦って、悲しみが和らぎます。
私の場合、「見ると余計に悲しくなる」という事はなかったです。
残しておかれることをお勧めします。

唯一、どうしてもできないこと。
それは「触れること」
もうあの体に、体温に触れることは二度とありません。
抱きしめることはできません。



以下、最後の日々の様子を書きたいと思います。
(写真は1月7日。つかの間の眠り)

12月23日腎不全発覚。
12月29日末期宣告。
そこから、10日間の完全自宅看護でした。

この、自宅看護の10日間に後悔はありません。
体力が落ちた上に病院が大の苦手なシャオにとって、
病院に通わなくてよいというのは良かったと思います。

年末年始だったことも幸運?でした。
家族が毎朝出かけるのに「行っちゃ嫌ー!」と騒ぐ子でした。
皆が休みで、側にいてくれる。
たくさんの時間をシャオと過ごせる。



「一緒だよ」という言葉が大好きだったシャオ。

本当に、片時もひとりぼっちにはさせませんでした。
「たまには一人にさせてよ。ちょっとうっとうしいんだけど…」と思ってたかも。


シャオが使った皮下点滴の注射針です。

初めは午前1回。1月1日からは朝晩点滴しました。
あとは吐き気止め(セレニア)。


腎不全の末期は
「食欲不振・吐き気・下痢・血便・吐血・血尿・出血・痙攣・死」と言われます。
下痢以外は全てその通りでした。

食欲不振と吐き気以外の症状は最後の一日に集中しました。
尿は最後まで乏尿になることはなく、出ました。
血便は亡くなったあと出てきました。
血尿も、最後の最後の方に、うっすら程度でした。

「排水溝のような口臭」と言われます。
1月5日にそうなりました。
でも、最後の2日間はまた違った臭いでした。
どう表現したらよいのか、全身から立つ、すごい臭いでした。
毒素に溢れた「病魔」の臭いそのものでした。


シャオの場合、最後の2日ほどは水を飲むのさえ嫌がりました。
水を飲むと、吐き気が襲ってくるからです。

「水を飲めないようになったらもう生き物は駄目だ」と感じました。

1月6日夕、さつま芋を流動食にしたものと、
ほんの少しのヤギミルクを脱脂綿に含ませて飲ませたのが
最後の食事?でした。
幸い、嫌がりませんでした。
もうここまできたら、嫌いなものを無理にあげなくて良かったと思います。

6日の夜、呼吸が荒く、点滴をしても緩和されず。

7日にかけての夜中じゅう、激しい寝息のような呼吸。
でも、眠っていません。眼が開いています。
ものすごい大きな呼吸音でした。

シャオは全身で病気と闘っていました。
苦しくて眠ることもできなかったのだと思います。

朝6時、「もう昨晩点滴をした時も楽そうにはならなかった。
苦しみを長引かせるだけでは」と迷いながらも点滴100CC。

午後1時、更に点滴150CC。

これは、仕事に出かけた父の帰りをシャオが待てる可能性のために、した点滴です。

夜7時近く、父帰宅。

そのわずか10分後、吐血しました。

多分きっと、「もうすぐ帰ってくるから」という言葉に待っていたのでしょう。

それまでは自力で体を起こせていたのが、
吐血後急に起こせなくなりました。
父に会って、ホッとして、糸が切れたかのようでした。

意識はかなり最後の方まであったと思います。

疲れて虚ろではあったけど、呼びかけに反応し、
人の動きに合わせて目線が動きました。


シニアではあるけれど、まだ高齢犬というには
ちょっと早い10歳だったシャオ。

おそらく腎臓以外の臓器はまだまだ元気だったのでしょう。
その、
「まだ元気な体」
を内側からバリバリと引き裂いて押し潰し、殺そうとする
音が聞こえるようでした。

愛する動物の最期に「安楽死」を選択する飼い主さんの
気持ちがものすごくわかりました。


シャオは病院が苦手でしたから、
最期を病院の診察台の上で迎えるということは
「絶対にありえない」選択肢でした。

でも、もし病院が大好きな子だったら…
あるいは、安楽死とはいかなくても、なにか苦しみを和らげる薬があるなら…

「もう頑張らなくっていいよ。眠っていいよ」
と呼びかけずにはいられませんでした。

8日朝4時頃、軽い痙攣が始まりました。
意識は無いように見えました。
「ああ、これでようやっと死ねるんだ」と思いました。

5時前に一度目の激しい痙攣が襲いました。
これで逝ってしまうかと思いましたが
シャオは持ちこたえ、それまでの苦しそうな荒い息から
深い呼吸に音が変わり、昏睡に入ったようでした。

二度目の、最後の痙攣は父がちょうどいつも起きてくる時間でした。

昏睡状態のシャオだったけど、
「お父さんの起きてくるのを待ってたの?」と思うほどきっかりでした。


最後の瞬間、「シャオ、よく頑張ったね、えらかったね、ずっと一緒だよ」と声をかけていました。

母に抱きかかえられ、起きてきた父に手を取られ、
シャオは旅立ちました。

最後にぐっと首が上がり、頭の方にいた私と眼が合った形に
なりましたが、見えてはいなかったと思います。

それから、スーっと首が下りました。
表情もすうっと穏やかになりました。

それが朝5時47分。

本当に恐ろしい病気でした。
人間の方も疲れました。
7日の夜は疲労でまっすぐ歩けないほどでした。

有効な治療法がなく、
「死ぬために、シャオはこんなに辛い思いをしなくてはならないのか」
と可哀想でなりませんでした。


でも、亡くなったあとの顔は穏やかで、とてもきれいでした。
それが救いです。

亡くなったあと、家族全員でシャオの体を拭いてきれいにしました。

闘病期間が短かったため、毛並みはぱさぱさになることもなく、美しいままでした。

その毛を、家族みんながそれぞれ、形見にもらいました。






「おじいちゃん」になる前に亡くなってしまったことは残念で仕方ありませんが、

そのこと以外は幸せな一生だったと思います。
家族にとってもかけがえのない幸せな11年間近くでした。
シャオ、楽しい時間を本当にありがとう。

はじめて出会ったとき、シャオは生後30日でした。

生後40日でお迎えしたためか、とってもビビリでしたが、
正直に言えば、そんなビビリなところも愛おしく、

驚くほど賢く、繊細で、素直で、美しく、

甘えん坊で怒りんぼでわがままでも、聞き分けのいい子でした。

私たち家族にとって「世界で一番可愛い」シャオでした。 

 

どこへ旅立ってしまったのか。

虹の橋も天国も、あったらいいなと思いつつ、

ここにいてもいいんだよ、ずっと一緒だよとシャオに言っています。

 

ブログを開設し、シャオとの日々を綴ってきましたが、それも今回でお仕舞いです。

シャオとの思い出を残せて、ブログを書いてきてよかったです。

記事を読んだり、コメントをくださった皆様、大変ありがとうございました。

「泰暁館」の更新はひとまずここまでになりますが、

ここで知り合えた皆様のブログは、これからも読んでいきたいと思っています。

ありがとうございました。

 



 

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3日経ちました


1月7日の朝のシャオです。
苦しい息で一晩頑張り…この後まだまだ頑張りました。
意識は相当最後の方まで残っていた様子です。


シャオが旅立ってしまってから3日経ちました。
少し、落ち着いてパソコンを開け、皆様からのコメントを
読んだり、お返事を書くことができるようになりました。

8日の夜に家族でお通夜をして、
旅立った翌9日、シャオを見送りました。
お家の中を一周して、
いつもお散歩に行っていた公園の周りを車でゆっくりと巡って。
東松山のペットメモリアルパークにて、
家族立会いのもと火葬しました。
家族全員で立ち会うことができたことは幸せでした。

体の大きなシャオは特大の箱(ゴールデンサイズ)でした。
写真のシンビジュームとお花で体の周りを飾って…。
似合うからと、頭に2輪お花を挿しましたが、本人は不満だったかも。

骨壷を抱きしめて帰ってきました。

リビングのおこたの上に、その日は安置しました。

翌日、リビングボードの一角に祭壇?を作りました。


普段使っていた食器では大きいので、
お散歩の時携帯していた水入れと、ご飯のおまけのお肉を乗せるのに
使っていた小皿をお供え用に使うことにしました。

好きだった食べ物を添えて。

骨壷はみんなの方が見えやすいように、少し斜めに置きました。

写真は、前から飾っていたものなので、
これからもう少し整理してみようかと思います。

それから、箱をひとつ買ってきました。
リードやハーネス、レインコート、ブラシ…。
シャオのものをその箱にまとめて入れました。

「シャオちゃんの思い出箱」です。

一区切りがついて、少し気持ちが落ち着きました。

人が家を出る時、チャイムが鳴った時…いつもワンワンとうるさい子だったシャオ。
なんだか今でもいるような気がします。
でも声も姿もありません。

あのモフモフの毛がないのが不思議です。

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