
「年賀状使用作品シリーズ」 その5(2001年)
この年は「祝21世紀記念」?で、4種類も年賀状を用意したようですが、その中でも
一番思い入れがある写真をご紹介します。
ブログ内でもたびたび触れているように、私が写真中心の旅に移行していったのは、
層雲峡YH→白雲岳避難小屋でたまたま行動を共にしたプロカメラマンA氏からの影響が
大きかったのです。彼が編集&写真提供で関わったアサヒカメラ別冊『風景写真入門』という雑誌は、
私の写真に関する知識の「ほぼすべて」といっても過言ではありません。
絞りやシャッター速度などでの光のコントロール、そして、ポジフィルム、三脚、レリーズなどの
撮影機材を整えることで、これまで目で見た風景がそのままフィルムに定着しないもどかしさが
かなり解消することになりました。ただし、残念ながら今でも決して「免許皆伝」とはいかないのは、
私の写真をご覧いただいたなら一目瞭然なのですが…
彼の撮った写真はどれも素晴らしくて、同時期に大雪山にいた私のとは雲泥の差だったのですが、
中でも、早朝緑岳から写した写真はとてもきれいで、同時刻、避難小屋で惰眠を貪っていた私としては
かなりショックを受けたのです。
で、私もぜひそんなのを撮ってみたいと真似して挑戦するわけです。しかし、一年目は朝起きたら
一面真っ白で山頂に向かうまでもなく断念。二年目は日程が押して、悪天候の中あられに打たれながら
無理して避難小屋へ到着。当初翌日の予報も悪かったのが、夜の天気予報で一転晴れマークに。
翌早朝、そのまま下山できるように身支度して、暗闇の板垣新道を越えて、初めて早朝の緑岳山頂に
たどり着きました。予報通り天気は回復し、素晴らしい朝焼けで、いい光線がきたんですが…
残念ながらこの年は紅葉が遅れ、緑岳山麓はまだ青々としていて、撮った写真はすべてボツになりました。
そして三年目が2000年でした。この年も悪天候などで日程が押して、白雲のテン場に
テントを張ったのは最終日の前日でした。翌日のたぶん2:00頃から食事&身支度をはじめ、
星月夜の明かりを頼りのテント撤収、風が弱く、比較的冷え込みも弱かったのが幸いだったかな。
重い荷物を背負い、喘ぎながら登った板垣新道から振り返ると、小屋から出たらしいヘッドランプが三つ、
私を追いかけるようにこちらを目指して来るのが見えました。
二度目の早朝の緑岳山頂。雲海とご来光がきれいでした。カップルらしい二人は、それに
満足して小屋に帰って行きました。二人をガイドしてきたのは、たぶん、当時まだ面識のなかった
士別のOさんだと思われます。紅葉の写真がメイン目的の私たちは、日が昇るのを見届けると、
緑岳の斜面を紅葉撮影に適した場所まで下ります。この日ここで撮影したのは私たちだけでしたが、
場所も少し離れて写し、特にお話しすることもありませんでした。Oさんと親交を深めるのは
もう少し先のことなのです。
三年目、紅葉と朝のライティングが初めてそろってくれました。撮影結果はともかく、夢中で
シャッターを切れる被写体との出会いです。もちろん、A氏を意識した構図も写してみたけど、
掲載したのはそれとは違う、一応私のオリジナルということで、少しは努力もしたみたいですね。
【三年目の正直~早朝・緑岳山頂にて/2000.09.23 撮影】