Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

千葉大学園芸学部創立百周年記念戸定ヶ丘ホール

2020-08-28 | Sketch of the day

Tojogaoka Hall in commemoration of the 100th anniversary (since 1909) of the Faculty of Horticulture, Chiba University. This small building, which was designed by Akira Kuryu who was former professor architect of Chiba University, is now being used as multipurpose hall and the TOJOKAI alumni association office.

4B pencil on DAISO's Drawing Book. My wife says that the contrast between light and dark is weak, so I added.


大字と地形

2020-08-24 | Sketch of the day



地理院タイル(標準地図)、国土基盤情報(数値標高モデル)、e-Statの統計データ(小地域)を用いてQGISで作図してみました。DEM5の変換(XMLからGeotiffへ)は、エコリス社さんの基盤地図情報標高DEMデータ変換ツールを使わせてもらいました。標高と陰影の両方を反映しています。段彩はQGIS標準装備のカラーランプ「colombia」を連続値で使用しました。地形表現に最適な、大変わかりやすいカラーパレットだと思います。


大字(おおあざ)の再評価と再生に向けて

2020-08-22 | Projects and Management

小地域とは国勢調査の最小単位ですが、概ね大字(おおあざ)に相当します。大字は明治の町村制施行前の旧村(藩政村)に由来する地域社会の単位で、おそらく江戸時代以前に遡る長い歴史を有するものと考えられます。国調は、こうした歴史的な地域社会のまとまりを単位として行われているのです。しかし松戸は土地区画整理事業や住居表示により、昔ながらの大字は分割されたり新しく字切りされるなどして、あまり原型を留めていないと考えられます。それでも市域縁辺部の大きな大字は旧村の範囲を少なからず継承していると思われます。大字はかつては自律性をもって連綿と再生産を続けてきましたが、都市化によりそうした持続可能性も弱まりつつあります。駅勢圏外に高齢化率の高い大字が広がっていますが、新京成沿線(常盤平など)はその限りではなく、駅前でも高齢化が進んでいます。しかし、この濃い赤色の地区にこそ、松戸の魅力がつまっていると思います。

近年、まちづくりや都市計画の世界では、小学校区という単位が注目されていますが、大字と小学校区の違いは、私の見立てでは、ラントシャフト(Landshcaft)とみなせるか否かです。つまり大字とは人々の生存を支える生産地(自然資源)に立脚した、資源管理(今風にいえばエリアマネジメント)の基礎単位ということができます。地域社会は、この資源管理の主体として生産地(環境)と分かち難く結びついている(いた)のです。大字とはまさに主体環境系であり、その意味でもラントシャフトということができます。また小学校区と人々との関わりは、お子さんのいる家庭やお子さんが学校に通っている間はそれなりにあるのですが、そうでなければあとは選挙の時ぐらいでしょうか。そこへきて小学校の統廃合が進んでいます。したがって地域社会のまとまりとしても、私は大字を再評価するべきであると思います。確かに都市部の大字では、資源管理はおろか地域社会のまとまりとしての性格も弱まっていますが、人口減少や立地適正化の動きの中で、潜在する自然資源の埃を払い、地域社会との新たな「生産的」関係を構築していくことができるのではないかと考えています。


針葉樹と落葉樹の習作

2020-08-16 | Sketch of the day


建築やランドスケープの透視図でよくみられる、綿菓子の如き樹冠の表現を嫌い、それでいていかに時間をかけず味のあるスケッチをするか。私なりに出した答えは、Norman Battershillさんを真似ることでした。 本邦だと、川合玉堂のスケッチが「ネ申」です。

千葉大学松戸キャンパス旧実験棟跡地の暫定利用案の検討

2020-08-13 | Sketch of the day


浩気寮(南玄関)に降りていく坂道の入り口にある二本のオオシマザクラ。よくよく見るとかなりの古木でしかも見事な樹形です。今度の暫定整備にあたっては、敷地中ほどにある大ケヤキとともに活かしたい樹木の一つです。手前のモチノキはちょっとじゃま。移植かな。。。

都川周辺における戦略的公園ネットワーク妄想

2020-08-12 | Sketch of the day


千葉東金道路千葉東IC付近を流れる都川とその周辺の公園緑地をフットパスで結合する妄想。この辺りは都市計画上は市街化調整区域と市街化区域の境目で、都川水の里公園は都川の洪水調節池上を都市公園として占用するものです。また周辺には、千葉市都市緑化植物園をはじめとして丹後堰公園など比較的大きな都市公園がありますが、残念ながら高速道路によって空間的に分断されています。この妄想は、それらをフットパスで結合してみてはどうかというものです。繰り返しますが妄想です。が、これらの緑地群がリンクされると川沿いを巡る素晴らしいウォーキングルートになるはずです。さらに妄想を膨らませると、都市緑化植物園に隣接する支川都川の河川区域を都市公園として占用させてもらえると、骨太な水と緑のネットワークとなります。現在この土地は湿性の荒地となっています。都市緑化植物園の区域を拡張して、調節池または氾濫原を兼ねた湿性植物園にできると素晴らしいと思います。妄想です。

レインガーデン導入検討のためのスケッチ

2020-08-11 | Sketch of the day


少し強い雨が降るといつも水たまりができて歩けなくなる職場の一画。インターロッキングブロックも排水が悪く何らかの対処が必要な場所です。おそらく排水管も詰まっていてその改修も必要ですが、レインガーデン(雨庭)と併せた方法を検討してみました。写真には写っていませんが、研究棟足元(写真左手方向)の植栽帯にも雨水を流し込めるとさらによいのですが。


長屋門と洋館のある原っぱ

2020-08-08 | Memory of Yokohama life as a child
ミシシッピ・ベイを見下ろす台上にその空き地はあった。長屋門が残る広大な土地で、門のそばには、後から建てたか元からあったのかよくわからない日本家屋があって、ある家族が住んでいた。その何人いるのか定かでない兄妹の幾人かと私は同じ小学校に通い、放課後よく一緒に遊んだ。あだ名で呼びあっていたので、あだ名はよく覚えているけれど、本名ははっきり覚えていない。その長兄~いやもっと上の兄妹がいたかもしれぬが~は、近所では名の通った番長で皆から恐れられていた。

その空き地には彼らの住処のほかにももう一つ別の建物があった。兄妹たちの住む民家とは対照的な、煉瓦造り(石造りだったかも知れぬ)のその洋館はしかし廃屋であった。いつか意を決して友達と中に入ってみると巨大なホールがあり、ありとあらゆるものがことごとく壊れ散乱していた。この土地はかつて幼稚園として使われていたこともあるらしいと誰かから聞いた。洋館は十分に巨大であったが、その空き地と比べれば随分ちっぽけだった。だだっ広い原っぱと化した空き地には思い出したように庭石や植木があって、子どもながらに庭園の跡ではないかと想った。

その想像が正しかったことは、約30年後に証明された。たまたま広げた旧い地図に、その空き地があった場所を発見、よくよく目を凝らすと「若尾邸」という小さな文字。それはたくさんの建物からなる大邸宅で、建物のすべてが回廊のように繋がっていた。その中で唯一離れて建てられた細長い建物があり、それこそが私が小学生の時に見た長屋門であった。当時の空中写真も見てみた。するとあの立派な洋館もどうやらその大邸宅の中の一棟のようであり、玄関ホールと思われた。長屋門の先をたどっていくとその洋館にぶつかったからである。幸いにも当時の、すなわち長屋門と洋館しか写っていない空中写真と、それ以前の全ての建物が写っている空中写真の両方が残されていて、見比べればその洋館が玄関ホールであることは容易に知れた。

洋館に比べ敷地がだだっ広く見えたのは、元々そこにたくさんの建物が建っていたからであった。庭石や植木が随分と間延びしているように見えたのも、それらの間にたくさんの建物が建っていたからであった。また空中写真を見る限り、洋館以外はすべて木造の日本家屋と思われた。どうして洋館と長屋門だけが残されたのであろうか。洋館は煉瓦造りだったからかもしれない。しかし、あの兄妹が住んでいた日本家屋はその地図にも空中写真にも載っていなかった。。。

私が横浜を去って数年の後、この土地は住宅地として分譲された。