このまえね、話長いけどね
自転車の爺さんがさ
通りすがるなり私の顔、というか多分タトゥーを特攻の拓よろしく眉毛をハの字にして、
とんでもない眼力で凝視
そのマスクの下はさしずめお口あんぐりといった具合か。
内心、チッ、見てんじゃねーよなんて思い、
爺さんを横目で見送ると
なんと首を傾げてるじゃねーか!
墨凝視、通り過がりて首傾げ
また一句詠んでしまった。
まあそんな事があったの。
で、その一連の動作にはこういった気持ちを汲み取れる。
なに、入れ墨いれちゃってるじゃないの!
けしからん!実にけしからん!
ワシらの若い頃なんかはうんたらかんたら〜
と憤りなのか嘆きなのか、さぞ不快にされてたご様子。
ここでね、いつものように
うるせー!
タトゥーだってもう普通なんだからね!
みたいな事は書かずに、お爺さんの考え方に着目しよう。
「ワシたちの時代では考えられないような事が今の時代には当たり前にある、私の理解に及ばないことに溢れ、理解に苦しむ世になってしまったもんじゃ」
そう捉えるとしよう。
諸行無常
目の前にある川は常に流れており、今見ている川はさっきの川とはもう別のものなのだ。
時代は常に変化している。
例えばあの恐ろしかった両替町は今となってはキッズの溜まり場となり、喧嘩だの暴力団などとはほど遠い街になった。
街並みはパッと見ても昔とさほど変わらない、
しかしその街の中に流れている人々の姿や考え方、常識はすでに全く別のモノなのだ。
変わらないモノはない。
なので自分がそれを理解して、自分も変わっていかなくてはならない。
世の中に合わせて自分もそれなりに変化しないと楽ではない。
世の中に順応できなければ、世の中と自分の間の軋轢に苦しむことになる。
その「世の中と自分の間の苦しみ」の原因とは?
世の中の変化を自分から見もせず受け入れず、ずっと自分が輝いてた時代の基準のままいた
本人が原因だと思うんです。
それに気がつかないで
「勝手に世の中が変化してワシは取り残された!
ぷんぷん丸!」
なんて独りで取り残されて勝手にムカついてるから、下の世代に昔話をしては最近の若者は〜なんて説教垂れたりしてしまうんだと思う。
アンタの為に世の中は待っててくれませんよ、
アンタの為に世の中は合わせてくれませんよ、
お爺さんと言われる年齢まで生きてきて何故それに気がつかなかったのだろうか。
あなた達の時代だってあったでしょう?
イケメンのことをモボとか
可愛い子のことをモガとか
そんでまた最近の若い者は言葉の使い方がなっとらん!
なんて言われてたはず。
自分達も変化と革命を起こしてきたはずなのに何故そこで立ち止まってしまうのか。
歳をとると体力も気力も無くなるんでしょう、
今の時代を学ぶ興味も気力も失ってしまうんでしょう。
自分の生き方として誇りを持って世の中と乖離してったならそれはカッコイイことだと思います。
その生き方を選んだのであれば世の中を嘆くことも無いんだと思います。
時代の流れを見もせずに勝手に取り残されて
今の世間を恨めしく思う。
そうならないように我々は常に新しい考え方や新しい物事に積極的かつ楽しむことが大切なのではないか。
そしてその気力と体力を養うことと頭の柔軟性を保つ事が大切。
だから私は積極的に遊びにいきます。
自転車の爺さんがさ
通りすがるなり私の顔、というか多分タトゥーを特攻の拓よろしく眉毛をハの字にして、
とんでもない眼力で凝視
そのマスクの下はさしずめお口あんぐりといった具合か。
内心、チッ、見てんじゃねーよなんて思い、
爺さんを横目で見送ると
なんと首を傾げてるじゃねーか!
墨凝視、通り過がりて首傾げ
また一句詠んでしまった。
まあそんな事があったの。
で、その一連の動作にはこういった気持ちを汲み取れる。
なに、入れ墨いれちゃってるじゃないの!
けしからん!実にけしからん!
ワシらの若い頃なんかはうんたらかんたら〜
と憤りなのか嘆きなのか、さぞ不快にされてたご様子。
ここでね、いつものように
うるせー!
タトゥーだってもう普通なんだからね!
みたいな事は書かずに、お爺さんの考え方に着目しよう。
「ワシたちの時代では考えられないような事が今の時代には当たり前にある、私の理解に及ばないことに溢れ、理解に苦しむ世になってしまったもんじゃ」
そう捉えるとしよう。
諸行無常
目の前にある川は常に流れており、今見ている川はさっきの川とはもう別のものなのだ。
時代は常に変化している。
例えばあの恐ろしかった両替町は今となってはキッズの溜まり場となり、喧嘩だの暴力団などとはほど遠い街になった。
街並みはパッと見ても昔とさほど変わらない、
しかしその街の中に流れている人々の姿や考え方、常識はすでに全く別のモノなのだ。
変わらないモノはない。
なので自分がそれを理解して、自分も変わっていかなくてはならない。
世の中に合わせて自分もそれなりに変化しないと楽ではない。
世の中に順応できなければ、世の中と自分の間の軋轢に苦しむことになる。
その「世の中と自分の間の苦しみ」の原因とは?
世の中の変化を自分から見もせず受け入れず、ずっと自分が輝いてた時代の基準のままいた
本人が原因だと思うんです。
それに気がつかないで
「勝手に世の中が変化してワシは取り残された!
ぷんぷん丸!」
なんて独りで取り残されて勝手にムカついてるから、下の世代に昔話をしては最近の若者は〜なんて説教垂れたりしてしまうんだと思う。
アンタの為に世の中は待っててくれませんよ、
アンタの為に世の中は合わせてくれませんよ、
お爺さんと言われる年齢まで生きてきて何故それに気がつかなかったのだろうか。
あなた達の時代だってあったでしょう?
イケメンのことをモボとか
可愛い子のことをモガとか
そんでまた最近の若い者は言葉の使い方がなっとらん!
なんて言われてたはず。
自分達も変化と革命を起こしてきたはずなのに何故そこで立ち止まってしまうのか。
歳をとると体力も気力も無くなるんでしょう、
今の時代を学ぶ興味も気力も失ってしまうんでしょう。
自分の生き方として誇りを持って世の中と乖離してったならそれはカッコイイことだと思います。
その生き方を選んだのであれば世の中を嘆くことも無いんだと思います。
時代の流れを見もせずに勝手に取り残されて
今の世間を恨めしく思う。
そうならないように我々は常に新しい考え方や新しい物事に積極的かつ楽しむことが大切なのではないか。
そしてその気力と体力を養うことと頭の柔軟性を保つ事が大切。
だから私は積極的に遊びにいきます。