よれよれシステムエンジニア

家庭と仕事と人生のあれこれ

柳沢大臣発言問題

2007-02-04 03:21:02 | Weblog
あの問題は、明らかに失言だとは思う。
あの言葉自体で、心情を害する人は沢山いると思う。

けど、全文を読めば、多少気になる言い回しはあるけど、なんらかの差別的な意図が無いことは明確で、うまい例えが見つからずに出てきた、明確な失言と思う。

野党は辞任しない限り、国会審議に参加しない、って。

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さぁ、こういうときこそ、ブログの力だ。

テクノラティを見まくって、小泉圧勝を予感したのと同様、果たして、ブログ上での論調はどうか?

やっぱり。

ざっくりと見た感じでは、あの発言に怒り心頭というブログは、4人に1人くらいな感じ。多く見ても、半分以下かな。

CGMって、最近、結果的に世論形成につながる気がする。

だから、マスコミも野党も、あまりにも揚げ足取りに見える騒ぎ方をすると、結果的に損をするでしょう、というのが私の見解。

(別にCGMじゃなくても、言葉尻を捉えての議論については、中身が無いのは誰もがわかっているんだろうけれど。)

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辞任する/しない、は別な判断だろうな、と思う。

ブログを見ても、世間は、いつまでも怒り続けるような不祥事と捉えていない。

ただ、失言してしまった本人は悔いても悔やみきれない、という感覚だろうと思う。

で、世間が許しても、自分としては許されん、ということはありそうな気がする。ちょっとした失言で国会もうまく回らないので、その責任も感じるだろうし。

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ある人の仕事に対する評価って、一回の失敗で決まるのか、普段の行動で決まるのか?というと、やっぱり一回の失敗では決まらないと思う。

逆に、大臣レベルとなると、普段の生活、信条が問われる。

日常生活でも、働く女性に対して理解がある、と言われている人らしいが、本当にそういう人であるならば、確実にこの問題は鎮火する。

逆に、そんなことも政治家的な宣伝であるなら、いつまでも火は消えないような気がする。

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さて、安部総理大臣はどうするか?

国会運営の観点で、辞任やむ無し、という意見になるような人だったら、少しがっかり。どういう選択肢が一番国民にとっていいんだろうか。多分、判りきっている話しとは思うけど、野党にとっては判りきった話しなのだろうか?

華麗なる一族からのマジメな連想。。。

2007-01-27 12:28:53 | Weblog

華麗なる一族のドラマ一回目を見た。夜に昼ドラをやるなー!ということで、あんまり評判良くないけど、キムタク主演の鉄鋼マンがカッコイイこと言うのと、前職が鉄鋼メーカーだったので懐かしい風景で見入ってしまった。

ところで、その鉄鋼メーカーの創業者って、とても偉大な人だったようで、会社のあちこちにその人の言葉が貼ってあった。

『今やらねば、いつできる、おれがやらねば、たれがやる』

「この仕事、一体誰がオーナーシップをもってやるのか?」という仕事が沢山湧いてきて、結局自分にも降りかかってフォローせざる得なくなって、、、「元々、こんなこと自分の仕事の範囲外なのに」という仕事をやるはめになった時。

そんなモチベーション辛いときに思い出すと、割と前向きになる言葉。

もう一つ。

『現場が研究の場だ』

刑事の現場百回、なんてのと同じで、技術や研究の仕事は現場に立って考えろ、というのが徹底していた。工場ならわかりやすいけど、今の仕事はどこが現場だろうか。。。

そういう問題設定がとても大切なことに気付く。

システム屋の仕事は、目に見えにくい。

それだけに、現場に近いところに立たないと、『価値を提供する仕事』であることを忘れてしまい、『システムを作る仕事』になってしまうようなことにもなりかねない。

また、システム屋の場合は、システムが使われる業務の現場が『現場』だったり、実はプログラミングしている人達の現場が『現場』だったり、あるいは、顧客のシステム部が『現場』だったり、色々な現場を意識する必要がある。

例えば、経営上の課題を考え、問題点と原因を整理し、仮説を立ててみる。で、業務の現場に行って五感で感じてみる。現場で数字を取ってみる。図に表してみる。

現場の人と話しながら、聞いたことを書き出して眺めてみる。そうすると、自ずと業務変革のポイント、ツールによる解決支援策、なんてものが見えてくる。

また、プログラム開発が順調でないとき。そんなときは、開発している人達の真ん中に机を構え、そこで仕事をする。なんとなく、開発が順調でない理由がわかってくる。

顧客内調整がうまく行っていないとき、用も無いのに顧客のフロアにずーっとい続ける。段々、色々な人間関係も含めた課題が見えてきて、どこの誰と話しをすることによって、調整がうまく行くという流れも見えてくる。

そんな動きが大切と思ってきたのも、こんな創業者の言葉がきっかけだったりする。

そんなわけで、ドラマを見て久々に偉大な方の言葉を思い出して、色々考えたのだった。

#ちなみに、前の会社の張り紙では、『おれがやらねば、たれがやる』の文章を落書きされて、『おれがやらねば、だれかやる』になってることもあったけど。。。

#しばらく、Mixiに書いたりしてたけど、今年はせめて月に一本くらいはまじめに書いていこうと思います。よろしくお願いします。


娘が補助無しで自転車に乗れた日

2006-03-29 00:15:17 | Weblog

先週の土曜日、上の娘が完全に補助無しで自転車に乗れるようになった。

もう少し背が伸びて、周りの友達が乗れるようになる等の動機が必要と思っていた。

最近、それらの条件が揃ってきていた。

それでも、そんな条件云々というより、娘の友達や友達のお母さんが親切に教えてくれたのも大きな要素だったらしい。

以前、なんだか客観的に練習のポイントとかブログに書いたけれど、やっぱり友達の協力って嬉しいし、大きいよなぁ、としみじみ思ってしまった。

しかし、コツを掴むとあっという間に乗れるようになるものだ。今まで補助無しで漕げなかったのが嘘のようである。

ただ、自転車を補助無しで乗れるようになると、それはそれでまた心配が増える。

スピードが出ているにも関わらず、ブレーキをかけるのが下手なのだ。

最後は、足を引きずって止まるか、どこかにぶつかって止まっている。

そうすると、誤って車道に飛び出したりしないか、とか、人にぶつかって怪我をさせないかとか、色々気になってくる。

親というのは、子供の成長が喜びであると同時に、新たな心配を見つけるものだ。。。

一生こんな感じでハラハラしているのだろうか、それとも少しづつ慣れてくるのだろうか。

確かに下の子については、そこまでハラハラしていない気がするかな。。。
とすると、上の子供が若干神経質になりやすいのは、当然といえば当然かもしれない。

#ちなみに自分も第一子。