せきらら結婚生活日記

日々の日記です。

小豆粥で初春を祝う会(2) ・・・ 妙心寺(京都)

2006年01月15日 03時11分10秒 | せきららおでかけ話
小豆粥と精進料理





2006年1月8日。
京都・妙心寺の東林院で行なわれた散飯式。
厳かに行なわれた式の後には、おめでたい祝菓子が待っていました。

祝菓子と梅湯です。

<福茶>

元日に若水を沸かし、
中に黒豆・結び昆布・梅干し・山椒(さんしよう)などを入れた茶です。
また、結び昆布と小梅干しに湯または煎茶を注いだもの。
正月・節分・大みそかなどに飲んで長寿を祝います。
正月のものを特に大福茶(おおぶくちや)といいます。

この日は、福茶として梅湯が出されました。
口の中の汚れを清め、
心身の邪気を払うといわれているそうです。

<祝菓子>

*松の雪 … 主菓子。小倉あん、小豆きんとん製。
*結び笹 … 干菓子。和三盆製。松と共に縁起物。
*昆布 …… 古くは「ヒロメ」とよばれ、広布と書く。広くなるという意で、現代のよろこびに通ずるもの。
*柿 ……… 嘉来に通じ、万物をかき集めるというめでたい意。
*豆 ……… 厄払いの意と共にマメであることを感謝し、健康に暮らせるようにという意味。
*くわい … よい目が出ますようにとの願い。
*みかん … 代々つづき栄えるという意。



祝菓子と梅湯を頂いた後は、精進料理です。

 

小豆粥・大根と厚揚げの煮物・青菜と豆腐の白和え・黒豆・昆布の素揚げ、etc

精進料理と聞くと、質素なイメージがありますが、
なんのなんの、この日のお料理は、なかなかのボリュームで、
とても食べごたえがありました。
美味しく頂きました♪

 

外はうっすらと雪化粧。
そして干し柿も風情を誘います。



これ、2本の竹筒に耳を当てると、
水が甕に落ちて、ポンポンと響く音がするんですよ。
とてもきれいな音で、京の風情を感じる瞬間です。











端っこに見える赤い実は、「千両」です。
緑の木々の中にひときわ映える「赤」。
かわいらしい姿に思わず見とれてしまいます。


京都で味わうお正月。
日本を堪能できる場所ですね。

今年一年の健康と幸せを祈りつつ、
古に思いを馳せながら、
精進料理を味わうのもいいかもしれませんね。


小豆粥で初春を祝う会(1) ・・・ 妙心寺(京都)


【場所】

妙心寺・東林院


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小豆粥で初春を祝う会(1) ・・・ 妙心寺(京都)

2006年01月14日 23時34分36秒 | せきららおでかけ話
小豆粥


小豆を入れて煮た粥。
邪気を除くといわれ、一月一五日の朝、餅(もち)を入れて食べる。
桜粥。望粥(もちがゆ)。




1月15日。小正月。二番正月。
一月一日の大正月に対して、一月一五日を中心にした数日をいいます。
農耕に関する様々な予祝・年占(としうら)の行事や、
鳥追い・どんど焼き・なまはげなどの行事が行われます。

そして、小正月に食されるという、小豆粥。

実は、恥ずかしながら、小豆粥というものを今年はじめて知りました。

邪気を払うと言われる言い伝えも、
小正月に食べる習慣も、実は知りませんでした。
小豆が入っているお粥、健康に良さそうですね。
しかも、お餅がはいっているので、力が湧きそうです。
そういったところから、邪気を払うといわれるのでしょうか。




さて、この小豆粥を使った行事が、
1月8日、京都・妙心寺の東林院で行なわれました。

題して、「小豆粥・散飯式(さんはんしき)」

京都新聞の記事
地図




禅寺では、食事の前に、「般若心経」と「食事五観文」をよみ、
「さば(生飯)」を取ってから食事を頂きます。

さば(生飯)とは、自分の受けた食の中から、
少量を分かち衆生(生命のあるものすべて)に施すもので、
施食とも書き、小鳥や小動物にも施すものといわれる仏の教えです。

散飯式は、読経の流れる中、
小豆粥から少量を分ける「さば取りの儀」、
取り分けた小豆粥を境内の木々にお供えし、
仏様への感謝を表す「庭園の儀」から成る、禅の教えに基づく行事です。


この行事は、臨済宗妙心寺派の末寺のひとつで、
昭和20年代頃まで、小正月に行なわれたものを、
近年復活し、新春の儀式として営まれているそうです。

 

左の写真は、「さば取りの儀」が行なわれた部屋、
右の写真は、「庭園の儀」が行なわれた庭です。



お寺で用意された小豆粥が、
一人一人用意されたお椀につがれ、
その中から、少量のお粥を「さば」として、
僧侶に提供します。
この間、僧侶によって般若心経が
唱えられています。








みんなから集められた「さば」は、
東林院の住職によって、
庭の木々の枝と枝の間に”お供え”され、
最後に、庭に備えられたお椀に、
残りの「さば」が入れられます。







◆ 小豆粥・散飯式次第 ◆
 
**2006年1月8日(日) 午前10時より** 

○ 出頭(雲板) 看頭・住職・助役・供給・侍者 入場
○ 「さば取りの儀」
 ・般若心経 (供給開始 供膳・看頭・一般 膳のさば取り)
 ・食事五観文(唱和)
 ・本尊へ献供
 ・三拝(礼拝) 
 ・本尊回向
○ 「庭園の儀」
   住職・沙羅の庭の木々にさんはん、最後にさば台に粥を置く
○ 退場
○ 喫粥(参加者は粥を食す)

この散飯式は、東林院の西川玄房住職が
子どものころに行なっていた習慣を復活させたものなのだそうです。

岐阜県の寺で育った西川住職は、子どものころから、
ご両親の教えで、小正月に、炊き立ての小豆粥を
庭の木々の枝枝の間にお供えしていたそうです。

いのちの糧を恵み続けてくれる木や草、
大地、自然、そしてそれを包み込む仏様に感謝する。
枝の間に置かれた小豆粥は、鳥達の食べ物になり、
その分が木々の栄養になる。
そして、私たちはその恩恵を受け、食物を頂くことができる。


・・・そんな気持ちが込められた、この習慣。

飽食の時代に生まれ、食べ物に困ることなく、
暮らしている私たち。
これって、当たり前のようで、実はとても幸せなことなんですね。

よく両親から、戦争中の話を聞きますが、
その頃の食事情を思えば、
いつでも、どこでも、何でも食べることのできる私たちは、
とても幸せな時代に生きているんですね。

だからこそ、食べ物のありがたさを忘れないためにも、
このような習慣を大事にしていかなくてはいけないのかもしれません。

散飯式は、今年は1月8日に終了しましたが、
小豆粥の精進料理は、1月31日まで頂くことができるそうです。
ぜひ一度、訪れてみてはいかがでしょうか。

小豆粥で初春を祝う会(2) ・・・ 妙心寺(京都)

【場所】

妙心寺・東林院





【こぼれ話】

この散飯式。
この日、なんと!地元のKBS京都テレビが取材に来ていたのです!!

そ・し・てっ!!

この日の夕方、ニュースで流れましたっ!

私たち、しっかり映っちゃいましたっ!!

神妙な面持ちで、読経を聞いているところ、
最後にお粥を頂くところ、映っちゃいましたよ・・・

この日の服装は、黒のカーディガンに黒のズボン。

地味っ!!!!!!!

あぁぁ。分かっていたら、もっときれいな格好で行ったのに。

まぁ、服装は置いといて、
この行事に参加できたこと、テレビに映ったこと、
楽しい思い出になりました。

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クリスマスの風景 ・・・ 神戸北野ホテル

2005年12月18日 17時15分45秒 | せきららおでかけ話
神戸北野ホテル



2002年12月神戸を訪れたときのものです。



神戸北野ホテルは、トアロードの一角にある、
オーベルジュタイプのホテルです。 ※ 地図

★ オーベルジュ【(フランス)auberge】 ★
おいしい料理をゆっくり堪能できる宿泊施設付きのレストラン。
フランスが発祥国。

 

季節の花があふれるアプローチをくぐって中へ入ると、
高く開放感あふれる天井と、木目の床、
アンティークの調度品に囲まれたロビーが、宿泊客を迎えてくれます。




12月には、クリスマスモードに模様替え。
ロビーやホテルのいたるところに、
クリスマスの飾りが置かれています。

ホテルに到着して、まずはロビーで一休み。
外の喧騒から離れて、
クリスマスのムードに浸るのもいいですね。
セレブな気分が味わえるひと時です。




ロビーを抜けて、パティオへ。





夜には、ライトアップされた明かりから、
ポインセチアのきれいな赤色が
ほんのりと浮かび上がります。
なんとも、幻想的な空間です。

そんなパティオの片隅で待っていてくれた、トナカイ君。

見ているだけでワクワクしてきます。







このパティオに面して、2箇所のレストランがあります。
本格的なフレンチレストラン:アッシュ
カジュアルなダイニングカフェ:イグレック
ここのホテルの一番のお勧めで、オーベルジュの看板を支えるレストランです。

 

クリスマスに、ホテルでちょっと贅沢。。。
年に一度くらい、そんなごほうびを自分に贈るのもいいかもしれませんね。

宿泊しなくても、ロビーをのぞいてみたり、
レストランでお食事をすることができます。
神戸の思い出作りに、
ちょっと立ち寄ってみるのもいいかもしれませんね。


私たちにとって、「神戸北野ホテル」は、
一生忘れることのできない思い出深いホテルなのです。

実はここ、私たちが挙式をしたホテルです。

神戸北野を散策していてふと見つけた隠れ家。
今では有名になりましたが、
ここは、1995年の震災後からしばらく営業停止されていたのです。
2000年6月に営業を再開。私たちが挙式をした12月より半年前のことでした。

パティオで挙式を行い、隣のレストランで披露宴。
きれいなクリスマスの装飾と、
自慢のフランス料理に囲まれての結婚式。

ここへくると、そのときの思い出がよみがえります。

★ 結婚式の思い出
★ 私たちのWedding

◆ 神戸北野ホテル

クリスマスの風景 ・・・ 神戸・北野

2005年12月17日 19時00分57秒 | せきららおでかけ話
神戸北野・異人館 ★ うろこの家


上の写真は、2002年12月に神戸を訪れたときのものです。




1868年1月1日(慶応3年12月7日)に開港した神戸。
明治に入ると外国人居留区が設けられ、
北野には最大200棟を越える異人館が建てられました。

そんな神戸の街は、12月にはいると、
クリスマスムード一色になります。
外国人との交流が根付いているためか、
神戸のクリスマス風景は、とても洗練されています。
ツリー・リース・イルミネーション。
決して派手な装飾ではなく、
街の一部として、そこに当たり前のように存在するクリスマス小物の数々。
街を歩くだけで、ワクワク、楽しい気分になれる、そんな街です。

その異人館の一つである、うろこの家

最初に公開された異人館で、国指定登録文化財です。
建物の外壁と多い天然石のスレートが
魚のうろこに似ているところから
“うろこの家”の愛称が生まれ、親しまれています。

中には、王室御用達の磁器(ロイヤルコペンハーゲン・マイセン)、
アンティーク家具の数々が置かれています。



写真は、タイプライターのようです。
スーツを着た紳士が、仕事の書類でも作っていたのでしょうか。
はたまた、記事や小説、手紙でも書いていたのでしょうか。

想像を掻き立てられますね。








場所を移して、次は英国館です。

イギリス人が建て、イギリス人が住み続けた洋館。
コロニアル様式というそうです。

中でも目を惹くのが、バーカウンター。
よく、大塚家具のような大きな家具屋さんへ行くと、
英国式のバーが販売されていますが、
それの超・豪華バージョンです!!
なんと、夜になると、バーでお酒が楽しめるそうです。

恋人同士。夫婦水入らず。中のよいお友達同士。
神戸のクリスマスに浸りつつ、
夜は、バーでしっとり楽しむのもいいかもしれませんね。









神戸は、国際港として発展してきた都市で、
外国との距離が近いためか、
洋菓子・パン屋さんがとても多い街です。
街のいたるところで、素敵なお菓子屋さん、パン屋さんに出会うことができます。

神戸北野で異国情緒に浸ったあとは、こんなところで一休みはいかがですか?

教会を改装して、カフェとしてオープンしている、「フロインドリーブ(FREUNDLIEB)」。

1928年に建てられたゴシック様式の教会を2年かけて改築、
1Fが店舗・2Fの礼拝堂がカフェになっています。
外観は教会そのもので異国情緒漂う神戸の街にピッタリ。
店内は教会の天井の高さがいかされた開放的な雰囲気ですが、
教会らしい気品も残されていて、
ここでランチをいただきながらちょっぴりセレブな気分が味わえる、そんなカフェです。
ここは、パン屋としても、老舗中の老舗。
カフェでサンドウィッチを味わって、お土産にパンを買って帰る・・・なんてどうですか?

神戸のクリスマス。
昼は北野散策、夜は神戸ルミナリエで、クリスマスを存分に楽しむのもいいかもしれませんね。

◆ 神戸北野・異人館ネット
◆ 神戸北野異人館・街の風景

京都・高雄の紅葉 ・・・ 神護寺・境内

2005年12月11日 23時56分30秒 | せきららおでかけ話
神護寺・金堂前



秋の名残を惜しみつつ。。。

では、最後に、神護寺境内の「秋」をお楽しみください。



朱塗りの壁と、もみじの赤が見事でした。



赤のグラデーションが、なんとも優美でした。
冬支度に入る前の、最後の秋化粧。
春のサクラが、一瞬の間、夢の世界を見せてくれるように、
秋の紅葉もまた、ひと時の夢の世界を見せてくれました。

また、来年、この夢の世界に出会えますように。。。



京都・高雄の紅葉 ・・・ 神護寺・かわらけ投げ

2005年12月11日 23時21分44秒 | せきららおでかけ話
神護寺・かわらけ投げ





金堂からさらに奥へと進むと、地蔵院が見えてきます。
そして、その先には千仭の渓谷と謳われる「錦雲峡」があります。

そして、その「錦雲峡」に向かって、これを投げます。



かわらけ <土器>
《瓦で作った笥(け)の意》
1. 釉(うわぐすり)をかけない素焼きの陶器。
2. 素焼きの杯。陶坏(すえつき)。






このかわらけには、「厄除け」と書かれていました。
2枚で100円。

こういうことには、夢中になりやすい、ウチのダンナ。
スローイングを何度も練習して、いざ本番っ!

一投目は、まあまあの飛距離。
二投目は、思いのほか飛距離が出るっ!!
これにすっかり気をよくしたダンナは、さらに2枚購入して、
かわらけ投げを楽しんでいました。

「あぁぁ。。全然あかんっ!」「おぉぉーー。やったっ!」

・・・響く歓声。あがるガッツポーズっ! ほとんど子供です^^;

秋の景色に舞う、数々のかわらけ。
きっと、疫病神さんも、このかわらけに乗って、気持ちよく飛んでくれたことでしょう。

どうか、これからもいいことがありますように。。。

京都・高雄の紅葉 ・・・ 神護寺金堂

2005年12月10日 23時48分05秒 | せきららおでかけ話
神護寺・金堂





京都市右京区にある高野山真言宗の別格本山。
山号は高尾山。
平安京造営(794年)の最高責任者である和気清麻呂が、
愛宕山白雲寺とともに建てた愛宕五坊の一つ。
高雄山寺とも呼ばれました。
のちに、河内(かわち)にある和気氏の氏寺神願寺を天長元年(八二四)に合併し、神護国祚(じんごこくさ)真言寺と改めました。
和気一族は、最澄や空海をこの寺に招きいれました。
空海は、809年から14年間、ここで真言宗立教の基礎を築きました。
鎌倉初期、文覚が復興。寺宝に、薬師如来像・五大虚空蔵菩薩像など多数あります。


お寺と紅葉。
なんとピッタリなんだろう、と感嘆の声を挙げずに入られない、
そんな場所です。
山々に囲まれた境内、朱色の壁、朱色の装飾、
そして、紅葉の赤。
これらが絶妙なハーモニーで、「古都の秋」を見事に奏でています。

この景色に見とれ、居心地のよさに身をおき、
幸せを感じる我々は、やはり、日本人なんですね。

さて、金堂でお参りを済ませた後、
ここの紅葉を目に焼き付けるべく、あちこち周りを見渡し、
「秋」を満喫しました♪

そんな中、ちょっと楽しい「秋」を見つけました。




 ちょうど胸の位置にデーンと突き出していた、
 もみじたち。
 
 じーっと観ていると、真っ赤なじゅうたんに見えてきました。
 アラジンになった気分です♪





ちょうど裏側へ回ってみました。
そこで見つけた、こんなもの。



    ちと、こわい顔です^^;

   魔物ににらみを利かせているのでしょうか?
   いえいえ。秋を満喫しに来た参拝者たちに、
   このすばらしい秋景色を自慢しているのかも。

   「どやっ!すごいやろっ!!この景色。しっかり観とくんやでっ!。」

   はいな。ちゃぁーんと、観ておきますよ。
    








 

京都・高雄の紅葉 ・・・ 神護寺参道

2005年12月10日 00時04分23秒 | せきららおでかけ話
高雄の紅葉





高雄は、京都市右京区の地名です。
清滝川に沿う景勝地で、
北に接する栂尾(とがのお)・槙尾(まきのお)とともに
三尾(さんび)とよばれる紅葉の名所。
高雄山中腹には神護寺があります。

※ マピオン地図 ・・・高雄

2005年11月19日。
秋の醍醐味を感じるべく、京都・高雄へ行ってきました。

今年は、昼と夜の寒暖の差があったせいか、
見事な赤色が、私たちを出迎えてくれました。
私たちと同じく、秋の醍醐味を感じに訪れた人・人・人。
秋をめでたいと思うのところは、やはり日本人なんですね。

昼間とはいえ、秋も深まる11月の山中。
結構ひんやりとしています。

・・・ということで、あったかいものが欲しくなるんです!

寒さに震える我々の目に飛び込んできた、「まんじゅう」!!
迷わず、お買い上げー! です。

あったかほかほかで、おいしゅうございました。


さて、ここ高雄には、ちょっとした思い出があります。
ダンナと付き合い始めた頃、デートで訪れた、ここ、高雄。

神護寺の本堂へたどり着くまで、
延々と続く石段を、一歩一歩登る私たち。
結構、脚に疲労がたまりますが、
なにせ、付き合い始めの私たち。
会話を弾ませながら、一歩一歩登っていたのです。

そこで、ダンナがまじめな口調で語り始めました。
「この石段は、神護寺千段といってね、
長い人生の階段を、苦労を伴いながらも
一歩一歩登っていかなくてはいけないのだという思いを込めて、
千段の石段が積まれたんだよ。」

へぇぇ~~~x100くらいに、素直に納得して、
「がんばろう!」と一歩一歩登って行った私。

あまりにも素直に受け入れた私に、ダンナが言い放った一言。
「のりっぺ、さっきの作り話やで!!」

えぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーっっっ!!!(泣

あぁぁ。「なるほどぉー」と思ったのに。
ダンナ、物知りやなぁーと、感心してたのに。。。
「頑張ろう」と、元気出してたのに。

あまりに落胆する私に大うけのダンナは、このあと、しばらく笑い通しでした。

このネタ、5年経った今でも、ダンナのネタにされています^^;

そこで、この日、この苦い思い出を払拭すべく、
高雄橋から、神護寺楼門までの階段を数えてやりましたっ!!!




  357段(のりっぺ調べ)

    ・・・ でした。


まぁ、会話や景色に気をとられていたときもありましたので、
自信度は「60%」 です^^;
数えられた方がいらっしゃいましたら、ぜひお知らせください^^



◆ 京・高雄

秋の小旅行 ・・・ 道の駅・ななもり清見

2005年12月04日 23時53分54秒 | せきららおでかけ話
飛騨牛・朴葉味噌焼き





飛騨牛!牛!牛!ぎゅ~~~ ですっ!


写真は、

「飛騨牛・朴葉味噌焼肉御膳 1,580円」

飛騨名物の飛騨牛を、朴葉の上に乗せ、
お味噌を絡めながら焼いて頂きます。
お味噌の香ばしいにおいが食欲をそそります。
日本酒にも合いますし、ご飯にもピッタリです!
さすが、日本酒どころ・高山らしい一品です。



この「朴葉焼き」は、この地方では人気メニューなのでしょうか、
いたるところで食すことができます。

レストラン内のほとんどのテーブルで、
一人用の火鉢に赤々と燃える炎・・・ この図は思わず見とれてしまいます。
食欲をそそる一コマです。
飛騨牛・味噌どころ・日本酒どころの飛騨高山らしい一品ですね。




「飛騨牛コロステーキ定食 2,100円」

サイコロの形に切った飛騨牛を、網焼きで頂きます。
飛騨牛をじっくり味わうならこれっ!ですね。
2100円の定食ながら、お肉が柔らかく、
口の中でとろけますっ!!!
かなり、質の高いお肉です。このレベルで、2100円は安いっ!!

飛騨牛は、「岐阜県内で飼育され"A-5"、"B-5"にランクされた肉質の牛」に与えられるブランド名なのだそうです。
 "A-5"、"B-5"とは肉の等級で、
アルファベットの方は"A"が最高で肉の歩留まりを表し、
数字の方は"5"が最高で、こちらは肉質を表します。
つまり「飛騨牛」は岐阜県内で飼育された中でも最高ランクの牛。
きめ細かなサシがまんべんなく入っているのに、
余分な脂肪がつきすぎていないのが特色で、肉色は鮮やかで淡いピンク色。
※詳しくは、「こちら」に掲載されています。

飛騨牛・朴葉味噌焼肉御膳は私が、
飛騨牛コロステーキ定食はダンナが食しました。
二人とも、飛騨牛の美味さに感動! 会話もなくただひたすら食べ続けました。
今回のこの旅の「メイン」であった飛騨牛。
最後をこれで締めくくることができて、大満足!!でした。

◆ ひだ清見 道の駅・ななもり清見
◆ 道の駅・ななもり清見




腹ごしらえが済んだ後、
さらに、国道158・156号線を西へと進み、
岐阜・白鳥へ到着。午後5:00ごろ。
東海北陸自動車道・白鳥IC近くにある、しろとり「美人の湯」で、一休憩。
旅の疲れを取るべく、「美人の湯」へ入りました。

午後9:00前、白鳥を出発。
国道156号線を、南へと下ります。
郡上八幡を通り過ぎ、美濃へ。
東海北陸自動車道・美濃ICから高速に上り、
大阪目指して、突っ走りました。

★ 秋の小旅行(2005/11/4-5)・・・まとめページ ★





長らく、「秋の小旅行・飛騨のたび」にお付き合いくださり、
ありがとうございました。
この記事を連載しながら、旅の楽しかったこと・美味しかったこと・勉強になったことなどを思い出すことができました。

次回、飛騨路を旅するときは、今回とは一味違った体験をしてみたいなぁ。
・・・という新たな楽しみもできました。

この旅の記録を糧に、これからの生活も頑張っていこうと思います。


秋の小旅行 ・・・ if珈琲店

2005年12月04日 00時24分40秒 | せきららおでかけ話
if珈琲店


住所………岐阜県高山市花里町5-18  ※マピオン地図
電話………0577-32-1511
アクセス…JR高山本線高山駅東口より徒歩1分
営業時間…7時30分〜19時(LO)
休業日……木(定休日が祝日の場合は不定)
料金………コーヒー350円、生ジュース600円、ケーキセット600円
駐車場……あり(無料)8台




5種類ほどの豆を独自でブレンドしたコーヒーや、
季節の生ジュースが好評な、高山駅前にある喫茶店。
英国調のレトロな雰囲気の店内には50点以上のアンティーク時計が飾られ、
古い高山の街並にぴったりの懐古ムードが漂う。
濃厚な味わいの『かぼちゃのプディング』(350円)もここのオススメのひとつだ。

(じゃらんnet*HPより)

去年(2004年)、初めて高山を訪れたとき、
散策の最後に寄った、「if珈琲店」。
ダンナが持っていたガイドブックに掲載されていたのを見つけたのがきっかけでした。

このころから、珈琲にはまり始め、
自身でも、家でコーヒーを淹れるのが習慣になっていたダンナにとって、
「珈琲店」と名の付くお店のコーヒーには興味津々だったようです。

「珈琲店」という店名から、
趣味が高じて喫茶店を開いた初老の男性がマスターで、
珈琲店によくある、サイフォンと注ぎ口の長いコーヒーポットで、
コーヒーを淹れているのだろうか・・・と勝手にイメージしていたのですが。。。
実際の店内は、若い女性スタッフが3人ほどで、
手際よく、コーヒーやデザートを準備している姿が見えました。

さて、コーヒーは。。。
「珈琲店」と看板に掲げるだけあって、なかなか美味しいお味でした。
私は、コーヒーは大好きなのですが、
苦い味はあまり得意でないお子ちゃま舌なため、
砂糖なしは平気なのですが、ミルクだけはないと飲めなかったのです。
ところが、ここのコーヒーは違いました。

<<「お子ちゃま舌」の私が、ブラックで飲めるコーヒー。>>

・・・が、そこにはありました。
苦味はありますが、舌に刺激のあるような苦味ではなく、
素直に口に含ませることができるのです。
付け合せのケーキと一緒に頂くと、さらにコーヒーが美味しくいただけます。

ブラックで飲めるコーヒーを味わえるのは、
近所の喫茶店に続いて、ここが2件目でした。
近所の喫茶店で初めてブラックで飲めるコーヒーを体験し、それがきっかけとなって、コーヒーにはまったダンナ。
そんなダンナも、ここのコーヒーは気に入ったようです。

次回、ここを訪れたときには、
ここのお勧めである、『かぼちゃのプディング』を是非頂きたいものです。

さて、ここで一休みしたところで、次は、いよいよ「飛騨牛」堪能!です。

★ 秋の小旅行(2005/11/4-5)・・・まとめページ ★


秋の小旅行 ・・・ 桜山八幡宮

2005年12月01日 00時30分20秒 | せきららおでかけ話
櫻山八幡宮

鎮座地: 岐阜県高山市桜町178番地
御祭神: 主祭神 応神天皇 / 相 殿 熱田大神(あつたのおおかみ) 香椎大神(かしいのおおかみ)
※相殿(あいどの)- 同じ社殿に二柱以上の神を合わせて祭ること。また、その社殿。あいでん。
例祭日: 10月9日・10日 (秋の高山祭)(国指定重要無形民俗文化財)




高山北部の鎮守社。
==鎮守社:神仏習合の結果、寺の鎮守のために建立された神社。
==中世後期以降、鎮守の神を祀(まつ)る神社一般をさすようになった。

創建は、仁徳天皇の御代(377年)までさかのぼります。
当時、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という凶族が
天皇に背いて猛威を振るい人民を脅かしていました。
征討将軍の勅命(ちょくめい)を受けた,
難波根子武振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと)は、
戦勝祈願のために創建したと伝えられています。

真ん中の石段は、長さ330センチの一枚岩が19段あります。
この石段を登ったところにあるのが、本殿です。
本殿は、総檜造り。
周りを大きな杉の木が囲みます。

そして、神社への参道に構える3つの鳥居。



左から、
<一の鳥居>
平成14年(2002)、当宮御祭神に即した八幡鳥居。
大鳥居は、高さ20.45メートル、柱径1.65メートル、柱間15メートル、笠木の長さ28.12メートル。
耐久性の高い特殊鋼約100トンを使用した鉄骨造。
宮前橋を屋台が通行するのに支障のない高さとなっている。

<二の鳥居>
明神型大鳥居は昭和48年9月完成。
桧製。高さ10メートル。幅12.2メートル。

<三の鳥居>
享保15年(1730)、飛騨代官長谷川忠崇の奉納。
青銅製の社号額と石造鳥居を奉納。社号額の書は佐々木文山。





この日は、雲ひとつない見事な秋晴れ。
子ども達を祝福するかのような暖かい太陽が大きく顔を覗かせていました。

境内には、着物で着飾ったかわいらしい子ども達。
赤やピンク、青や紺。
いろんな色が境内を飛びまわっていました。
そう、七五三で訪れた親子連れが沢山いらっしゃいました。

そんな姿に、自分の「七五三」を思い出しました。

母は流産しやすい体質だったため、
私が生まれるまでに何度か死産や流産を繰り返していました。
私のときも、流産しそうになるのを必死で食い止めたのだと聞かされました。
いざ出てきてみたら、
3200gの、まん丸としたでかい赤ん坊だったのですが。。
(悲しいかな、まん丸なところは今も変わらず残っているのですが。)

苦労して生まれてきた私だったので、
小さい頃は、「誕生日」はもちろん、
「立った」「歩いた」「走った」など、ちょっとしたことでも、
親戚中が集まって、お祝いをしてくれたのだそうです。
「七五三」も例に漏れず、きれいな着物を着せてもらって、
気取ってポーズをとっている写真が残っています^^;(恥ずかしながら。。。)

しかし、私が着物を着た最後は、7歳の「七五三」。
それ以降は、
成人式にも出席せず、
大学の卒業式にも出席せず、
結婚式はドレス一本でしたので、
「着物」には縁のない私だったのです。

ドレスを着ても、「お嬢様」「大人の女性」になれるような、
いい気分を味わえますが、
着物は、ドレスとは一味違った「やまとなでしこ」になったような、
女性としてワンランクアップしたような、そんな不思議な気持ちにさせてくれる、とても素敵なものだと思えるのです。

「七五三」の子ども達の姿を見ると、
着物に憧れる気持ちが沸々と湧き上がってきます。

やっぱり、私も日本人なんですね。

秋のよき日に、小さい頃の思い出に浸る私でした。

次は、駅前の喫茶店「if珈琲店」で一休みします。

■ 桜山八幡宮




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秋の小旅行 ・・・ 高山・匠通り

2005年11月27日 15時47分19秒 | せきららおでかけ話
高山・匠通りの一角

※ マピオン地図・大新町一丁目





桜山八幡宮の周辺は、江戸時代から彫刻師や塗師など、多くの職人が住む一帯でした。
高山でのお祭り「高山祭」で使われる、華やかな屋台の数々をつくる職人達が、この一帯に集まりました。
★これが屋台だっ! 高山屋台会館
こちらの高山屋台会館のページで、豪華絢爛な屋台が掲載されています。

八幡宮の表参道から、大新町一丁目にかけての通りは、
別名「匠通り」と呼ばれているそうです。
現在でも、一位一刀彫の彫師・春慶塗の塗師・木地師・家具職人・駄菓子職人などが、この一帯で活躍されているそうです。

ここ一帯は、豪商達の住まいが多く、
当時の住まいの様子は、日下部家・吉島家の住宅で
垣間見ることができます。

切妻造り段違い二階建て、一部吹き抜けの総桧〈ひのき〉造り。
梁〈はり〉と束柱〈つかばしら〉の木組みの力強い構成、
家の正面表構えの出格子〈こうし〉、入格子、窓切りの変化、
ベンガラに煤〈すす〉をまぜて焦〈こげ〉茶色に塗った木部の仕上げ等、
江戸時代高山の町家造りの特色を留めています。

この一帯での観光スポットは、

*日下部家民芸館
*吉島家住宅
*飛騨高山印籠美術館

・・・などがあります。




町並みの一角で見つけた、秋の気配。
町屋の格子に映える秋の味覚。古きよき日本を感じる瞬間です。

外国の方にもそれが伝わったのでしょうか。
この柿を撮っている私たちを見て、

「すみませーん。写真、お願いしまーす。」

と、覚えたての日本語で話しかけられました。
左の写真のように、撮って欲しいとのリクエストに応え、
ダンナがパシャリっ!

どうやら、喜んでいただけたようです。

この人がいた団体、フランス語で会話されていましたので、
どうやら、はるばるフランスから来られたようです。
高山は、インターナショナルな街ですね。


さて、秋の息吹を感じつつ、次は桜山八幡宮を散策します。

※ 日下部民芸館
※ 吉島家住宅




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秋の小旅行 ・・・ 高山・宮川朝市

2005年11月27日 14時31分21秒 | せきららおでかけ話
高山・宮川朝市


住所--------岐阜県高山市
期間--------年中無休(午前6時より12時まで)
開催場所----岐阜県高山市下三之町
電話--------0577-33-6482
※ マピオン地図・宮川朝市





鍛冶橋のたもとから宮川に沿って延びる通りに、
約40店ほどの店が、川を背にしてずらぁーっと
横一列に並ぶ、「宮川朝市」。

飛騨りんご・山菜・きのこ類・赤かぶ・古代米。
ドライフラワー・一位一刀彫。
飛騨で採れる野菜や果物、花や工芸品など、
多彩な品揃えです。

飛騨のマスコット人形「さるぼぼ」も、多く見られます。


店主は「かかさ」とよばれる女性たち。
夏の暑いときも、冬の寒いときも、年中無休で営業しているそうです。
いつもエアコンの効いた室内で仕事をしている私には、
到底勤まらないだろうなぁ。
「かかさ」さんたちに、脱帽です。

飛騨高山には2箇所の朝市があります。
飛騨高山宮川朝市と、陣屋前朝市。
高山の朝市は、江戸時代後半から始まったとされています。
この宮川朝市は、江戸時代には高山別院の境内にて開催されていましたが、
時代とともに安川通りに移り、さらに現在の位置に移ってきたのだそうです。

宮川朝市は、街の中心地にあるためか、
陣屋前朝市に比べ、観光客向けの工芸品が多く見られるようです。


数あるお店の中で、
私の目に留まったのは、「ここ」
いろどりのきれいなドライフラワーに釘付けになりました。

お値段:350円

我が家のさみしーいカップボードを、
華やかにしてくれています。(笑





詳しくは、「飛騨高山朝市」のページへどうぞ。
朝市の様子・歴史・品物の数々など、多彩な画像とともに、
朝市のことがよく分かります。

道の反対側には、
お土産屋さん・お食事処・喫茶店などが並びます。

この中で、私が気に入っているお店が、生活雑貨「飛匠」。
布製品・ドライフラワー・木製小物・ミニチュア家具などなど、
かわいい雑貨がたくさんあります。
見ているだけで、ワクワクするようなものばかり。

このお店の奥へ入っていくと、家具・工芸店「匠館」へとつながっています。
1Fは木製おもちゃや雑貨、2F・3Fは飛騨家具の数々が販売されています。

飛騨は、広島・府中と並ぶ家具の名産地。
 ※飛騨デザイン
 ※飛騨家具ってこんな家具
そんな、飛騨家具の数々が展示されています。
ダンナは、ここに置かれていた一枚板に釘付け。
居間のど真ん中にこの一枚板のテーブルを置いた様子を思い描いていたようです。
店員さんに、食いつくように質問しておりました。。。
(そのまえに、それを置ける部屋を手に入れるほうが先だと思うのですが。。。^^;)

ちなみに、我が家のテーブルは飛騨製です。(カップボードは府中製ですが。。。)
ここのお店のものでも、一枚板でもありませんが、
我が家にしては、かなり張り込んで購入した一品です。

朝市で飛騨の生活を垣間見て、
そのあと、飛騨家具に触れてみるのも、いいかもしれませんね。

さて、次は、日下部民芸館・吉島家住宅のある通りを散策します。




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秋の小旅行 ・・・ 高山・飛騨国分寺

2005年11月27日 12時26分35秒 | せきららおでかけ話
医王山・国分寺


〒506-0007 
岐阜県高山市総和町1-83
TEL 0577-32-1395
拝観:9:00 - 16:00 (本堂)
※マピオン地図 ・ 国分寺



746年(天平18年)、聖武天皇の命により建立された古刹。
国家の平安を願って国分尼寺とともに全国に建てられた国分寺の一つです。

一時は荒廃しましたが、
1586年・金森長近が領主になってから復興されたと伝わっています。

本堂は室町時代に、
三重塔は江戸時代に再建されました。

このお寺のど真ん中に、
大きな存在感を放っている、大イチョウ。
樹齢1.200年
太さ目通り10m
高さ37m





こちらは、全体図です。

樹皮が地面に垂れ下がっている様子から、
乳イチョウの名で親しまれています。
乳の出ない母親がここでお参りをすると、
乳がよく出るといわれているそうです。
根元に子育地蔵尊が祀られています。

また、国の天然記念物に指定されています。


■飛騨・美濃紅葉三十三選 (2004年9月5日選定)
飛騨・美濃紅葉三十三選(ひだ・みのこうようさんじゅうさんせん)は、
観光客及び岐阜県民から応募した岐阜県内の紅葉の名所の候補より、
2004年9月15日に選定委員会により選定されたスポット。
この大イチョウも、この三十三選の中に入っています。

<大イチョウにまつわる悲話>

天平時代、七重塔の建築のとき、
大工の棟梁は、一番大事な柱を短く切ってしまい、困り果てていました。
それを見かねた娘・八重菊は、柱に升組をつくることを提案しました。
その通りにして、塔は見事完成。棟梁の名声も高まっていきました。
しかし、名声が高まるにつれて、秘密が知れることを恐れた棟梁は、
娘・八重菊を殺し、寺の境内に埋めたのち、
そこに一本のイチョウを植えました。
イチョウは、薄命の八重菊に変わって、樹齢1200年もの間、
悠々と生き続けています。

※升組
木造建築で、斗(ます)と肘木(ひじき)を組み合わせて、柱の上に置き、軒桁(のきげた)などを支えるしくみ。
主に、寺院建築の深い軒を支えるために用いる。斗組(ますぐみ)。とぐみ。組物(くみもの)。


***

イチョウは、中国に行った留学生が持ち帰り、
中国語の発音「ヤーチャオ」から、「イチョウ」になったとされています。

イチョウは、「銀杏」のほかに、「鴨脚樹」「公孫樹」とも書きます。
「公孫樹」は、植えても銀杏が実るのは孫の代になってからなのだそうです。

八重菊の悲しいお話を、ずっと忘れないように、
孫の孫のまた孫の・・・ずーっと先までつたえようと、
イチョウが枝葉を広げて私たちに語り継いでいるかのようです。

詳しくは、「飛騨国分寺」のホームページへどうぞ。
境内の案内、配置図、国分寺の花図鑑、大イチョウの四季などなど、
盛りだくさんの情報が掲載されています。

最後は、国分寺の紅葉です。
雲ひとつない青空に浮かぶ赤いもみじが、私たちを静かに見下ろしていました。




次は、宮川沿いを散策します。




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秋の小旅行 ・・・ 飛騨高山(概要)

2005年11月24日 20時34分28秒 | せきららおでかけ話
岐阜県・高山市。


高山市地図(マピオン)

岐阜県北部の市で、飛騨(ひだ)地方中部を占めます。
一位一刀彫・春慶塗・渋草焼などの工芸が盛んです。高山祭で有名。
町割りが似るところから小京都とよばれ、
もと江戸幕府の直轄領で、陣屋跡があります。

平成一七年(二〇〇五)二月の合併のより、面積が日本一の市となりました。
面積:2,177.67平方キロメートル。

<合併村リスト>
丹生川(にゅうかわ)村・清見村・荘川村
宮村・久々野(くぐの)町・朝日村・高根村
国府町・上宝(かみたから)村を編入。
人口97,000人

<面積・日本一の市はこれだけ広い!!>

日本一面積の大きい市であった新静岡市、
日本一面積の大きい市町村であった北海道足寄町
日本一面積の小さい都道府県である香川県、
2番目に小さい大阪府を抜き、
3番目に小さい東京都とほぼ同等の面積を持つ日本一広い市町村!!

<小京都・高山>
宮川に平行して、南北に通りが走り、
古い町並みが残る、高山。
この町づくりの基礎を築いたのが、初代高山城主・金森長近。
1586年に高山城入城以来、街道の整備に力をいれました。
街道の入り口には武家屋敷を置き、
町屋敷の通りは宮川の流れに沿って、平行に作られました。
東の江名子川との間は、堀に囲まれた一帯となって、
町民が活躍する場となったそうです。
長近が始めに造った町屋敷が、一之町から三之町で、
三つの町を合わせて三町と呼ばれ、今も古い町並みが残る地区です。
商人や伝統工芸の職人達が活躍したのも、この一帯なのだそうです。

下呂から国道41号線を北上すること、車で約一時間。午前10時ごろ。
古い町並みの残る、小京都・高山を散策します。

 

<左の写真>
 飛騨国分寺。
 奈良時代創建のお寺です。
 美しい三重の塔、もみじ、大きなイチョウの木など、
 見所たくさんです。

<右の写真>
 日下部民芸館・吉島家住宅など、
 豪商の家屋が並ぶ一帯です。
 重厚な町屋は、飛騨職人の技を見る絶好のポイントです。

 

<左の写真>
 宮川朝市。
 鍛冶橋のところから、宮川に沿って
 約4-50点ほどの店が一列に並びます。
 人通りも多く、いつも活気あふれています。

<右の写真>
 桜山八幡宮。
 高山北部の鎮守社。創建は仁徳天皇の時代(377年)。
 総檜造りの本殿があります。 
 高山屋台会館・桜山日光館が隣接。


では、順々にご紹介していきます。

※ 飛騨総合ポータルサイト
※ 飛騨高山タウン情報誌・さるぼぼ倶楽部
※ 飛騨高山情報サイト・2Takayama




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