Programmer'sEye

1エンジニアとして、これから先のコンピューターと人との付き合い方を考えてみたい。

子供はやっぱり必要。

2004年06月17日 02時55分09秒 | 人とコンピューター
出生率が1.28まで下がったということは、今生まれた子供たちが20代になったとき、その親の世代7人に対して、子供の世代は4人弱しかいない、ということである。

昨日の「子供なんて要らない?」の続きである。

冒頭の記述は、ジョークでもなんでもなく、実際に起こっていることである。
要するには、後3世代ほど交代すると、日本の人口は半分に減る、ということになるのだろうか。

しかし、実際には、それほど危惧する必要は無いのかもしれない。
ここから先は、完全に予想であり、見えている未来ではない。
だから、多くのことはそのまま当たらないかもしれないが、大枠の流れは、あっているのではないだろうか。


今日は、コンピューターとインターネットが社会に与える影響を別の視点から捉えて、人口問題を考えてみたい。

近い将来、私たちの生活には、多くの時間的ゆとりが生まれているかもしれない。
コンピューターやインターネットは、農業や工業などの既存の「物」の生産効率を著しく向上させている。
農業など、今までの人間の歴史の中でもずっと生産効率が向上し続けているものなのにもかかわらず、いまだあがっている。
そして、昨今、インターネットとコンピューターは「物」の生産効率だけでなく、自分自身、要するにはコンピューターやインターネットなどの「情報」に関する生産性にも、著しい向上をもたらしている。

生産性の向上が続くと、どうなるのか?
それは失業率の増加である。
たとえば、情報産業に携わる人間が1000万人いたとしよう。そのとき情報産業の生産効率が2パーセント上がったら、同じものを生産し続ければよいだけの場合、20万人の職が失われることになる。
今までにも、農業や工業では、生産効率の向上により多くの人が失業してきており、情報産業においても、それは例外ではないだろう。

すでに物の生産に関しては十分に生産効率が上がっている以上、情報産業の生産効率工場に伴う余剰人員は農業や工業には回れない。
ではどこへ行けばよいのかといえば、どこかに行くのではなく、ワークシェアリングをすればよいだけの話である。

物の物価というのは、そのものを生産するのに必要なコストがベースとなり産出されるわけで、多くの企業においてワークシェアリングが一般的なこととなったときには、ワークシェアリングしている人たちが食べられるだけの収益を出せる状態となっているだろう。
仕事を分け合う、というのは、さして悪いことではないのだ。

つぎに、インターネットとコンピューターは、情報を発信するというその役割において人間に働く以外のやりがいをもたらしてくれることとなる。
そのことにより、私たちは仕事に全てをかけるようなことをしなくても、精神的な満足感が得られるようになり、また、それとともに精神的な成熟度を増していくこととなるだろう。

このBlogの中では何度も書いていることなので、あまりしつこく書く必要も無いことではあるが、それらの事柄が、私たちに精神的ゆとりをもたらしてくれることになると、考えている。

そして、最後に、そうやって得た精神的、時間的ゆとりを持って、私たちは恋愛に励むことになるのではないだろうか。
幸せならばそれでいい」に書いているが、私たちの人に対する評価は、「お金」や「肉体」から、心に移り変わってきていると私は考えている。
生物としての「種」の強化のため、「肉体」に対する重要視は、無くなることは無いだろうが、それでも、私たち人間の環境への適応能力の賜物というか、「心」や「知識」を重視する方向に、世の中は動いているように思える。

結婚や子育て、恋愛は、そのおおくが、「人のために自分を変えられるか?」が大きなポイントになるのではないだろうか。
そしてそれは、どの程度心の結びつきを得ているか、ということに強く依存しているのではないか。

これから先のネットワークが基盤となる社会では、多くの人が心の結びつきを下にコミュニケーションを薦めることになっていくだろう。
だとすれば、より豊かな恋愛や結婚が、増えていくのではないかと、思うのだ。

これからの世代が既成概念にとらわれず、今までの世代がこれからの世代を搾取しようとするのでなければ、ということが前提ではあるのだが。
まぁ、それほど人間はおろかではないと考えておこう。