ようやく春らしくなってきたでしょうか?
この冬の低温は、山村の古家では相当厳しかったです。
温暖な気候の所でないと坐の修養ができ難い、と経典にもあります。
けれど幸い今は、助けてくれる強力な建材や衣服の素材がありますね。
また、暖房器具等も色々あります。それらを工夫して組み合わせる事で、
寒い時季でも凍えず形坐の時間を楽しむのは可能であろうと思います。
私の住居は改築や全部屋の暖房はできません。部分的に断熱シートや
灯油ストーブ、電熱機器を使い、重ね着した上から電気毛布を羽織って
形坐をしております。羽織る仕様の電気毛布も今は色々あるのですね。
そんな折、この村に来て初めて、手強い風邪のウィルスに感染した様な
状態になりました。悪寒が来て、味覚や嗅覚が異常になり、少し頭痛も。
病院へ行けば却ってリスキーと思い、安静にして様子をみていました。
そして、久しぶりに笹目秀和氏の形坐を行ってみました。無意識的には
時々行っていたと思いますが、林雅志氏や他の先人の坐法との相違点などを
今まで深く考えていませんでしたので、良い機会になったとも言えそうです。
その結果、両足の指先までピリピリする電気的な感覚が通常より早く起こり、
頭上や後頭部のラムダ縫合あたりとも連携して変化が感じられてきました。
悪性の風邪らしき症状は130分✕2回の形坐でほぼ回復いたしました。
その坐法は、後天気の巡りの活発化には相当有益、と改めて感じました。
寒い季節はもちろん、体調や環境に由り手足が冷えているような時等にも
有効と思われます。そして、その方法自体は簡単で、直ぐにも試せます。
もともと私が道院の形坐の説明を初めて受けましたのは笹目秀和氏からで、
その坐の特徴は掌の置き方でした。「膝のお皿を飛び越えて」という表現で、
膝のお皿を下から覆うような位置に掌を密着させて形坐をすると言われました。
秀和氏は守窔について自説は主張されていません。雅志氏の坐がフーチで評価を
受けていたので単純に尊重されていたのでしょう。それ故、多摩所縁の青年たちに
坐を指導してもらえるよう、林氏ご夫妻の宿泊施設を改造された事もありました。
秀和氏は後天身体の健康状態が当時の同年齢者と比べて良好で、ご自身の説では、
一日4度の坐で健康が維持できていたそうです。フーチで真人成丹が認定されたと
聞いた記憶はありませんが、私の印象では、思考の回転が速くアクティブでした。
その坐を初めて試しました時、私の場合は集中できて気持ち良かった感想でした。
同じ坐法を習った多摩のY氏の場合は、後に雅志氏に坐を褒められていた人ですが、
過敏過ぎたためか、坐椅子から転落してしまって、秀和氏にも驚かれたそうです。
雅志氏の形坐では、掌で膝のお皿を包むように覆い、気が漏れないように手の指も
揃えると言われていました。私は、手の指を揃えると、手や肩に緊張が起こるので、
指は少し開いてクサビのように設置し、時折各指と足の気の繋がりを感じています。
私が読者の皆様にお伝えする時は、雅志氏の坐法がノーマルで安全性が高いと考えて
提案してまいりました。たぶん秀和氏も、最初に先人から坐の説明を受けられた時は、
同じような掌の位置であったと推測いたします。それが変化した理由も推測ですが、
秀和氏はモンゴルやシベリア時代に極寒の体験が長く、多摩も特に冬は厳しい環境で、
足先まで気が巡る坐法が必須であった故かもしれません。雅志氏の住居の台湾南部は
温暖な気候で坐には楽で、中心軸を観ていれば善い状況だったとも言えるでしょう。
私の場合は、秀和氏の坐法を半年ほど続けた頃に雅志氏とお出会いして、道理的な
説明を受け、現実の気候変化などを体験して、雅志氏の坐を続けてみる事にしました。
それから丁度一年ほど経った頃に、心臓の機能回復が起こってきた経緯になります。
坐のみの効果で体調の回復や機能の改善が実現したのではないと思いますけれど、
もし道院の形坐をしていなかったなら、劇的な変化は無かったでしょう。また、
こうして手の位置など細かい坐の話をお伝えする事もたぶん無かったでしょう。
常識的な想像以上に掌の位置は重要で、少しの差でも結果が違ってきます。また、
同じ人でも体調や環境条件に由り微妙に変わります。それ故、形坐の始めに毎回、
注意深く掌の位置を確認する、そのひと手間を惜しまないのが宜しいと思います。
ただ、掌の位置を膝下に設定しようとすると、姿勢を前かがみにしませんと手が
届き難いです。ゆったりと静黙を楽しむ長時間の形坐には不向きかもしれません。
そして、気の周天に振り回されると坐っていられなくなる場合もあるでしょう。
そういう時こそ、守窔が必要になってきます。玄関の窔に意識を置くか、所謂
中心軸の〜ラインを感じるか等です。いずれにしてもフワッと軽く感じるように
私はお奨めいたします。真霊の光を見ていれば良いようになれば守窔は楽です。
色々な掌の位置を試してみるのも坐の工夫でしょうが、適当な位置に安定すれば、
磁石でくっついた様に膝から離れ難くなる時もあります。或いは、位置の移動を
欲してくる時もあります。後天意識をやめ、自己の心君の判断に任せましょう。
思えば、秀和氏と雅志氏はタイプも違い、生い立ち、体験の経緯が随分異なり、
坐の感覚も、道慈の認識も異なっていたようです。お二人の共通点は、人生の
後期から道院に縁じて以来、熱心に道慈に努力された事であったと思います。
努力されてきた先人の道慈を、自身の修養に役立てさせて頂きましょう。
そして又、様々な物たちの協力に支えられている幸運を感じながら、
できるだけ快適に修養してまいりたいものです。
この冬の低温は、山村の古家では相当厳しかったです。
温暖な気候の所でないと坐の修養ができ難い、と経典にもあります。
けれど幸い今は、助けてくれる強力な建材や衣服の素材がありますね。
また、暖房器具等も色々あります。それらを工夫して組み合わせる事で、
寒い時季でも凍えず形坐の時間を楽しむのは可能であろうと思います。
私の住居は改築や全部屋の暖房はできません。部分的に断熱シートや
灯油ストーブ、電熱機器を使い、重ね着した上から電気毛布を羽織って
形坐をしております。羽織る仕様の電気毛布も今は色々あるのですね。
そんな折、この村に来て初めて、手強い風邪のウィルスに感染した様な
状態になりました。悪寒が来て、味覚や嗅覚が異常になり、少し頭痛も。
病院へ行けば却ってリスキーと思い、安静にして様子をみていました。
そして、久しぶりに笹目秀和氏の形坐を行ってみました。無意識的には
時々行っていたと思いますが、林雅志氏や他の先人の坐法との相違点などを
今まで深く考えていませんでしたので、良い機会になったとも言えそうです。
その結果、両足の指先までピリピリする電気的な感覚が通常より早く起こり、
頭上や後頭部のラムダ縫合あたりとも連携して変化が感じられてきました。
悪性の風邪らしき症状は130分✕2回の形坐でほぼ回復いたしました。
その坐法は、後天気の巡りの活発化には相当有益、と改めて感じました。
寒い季節はもちろん、体調や環境に由り手足が冷えているような時等にも
有効と思われます。そして、その方法自体は簡単で、直ぐにも試せます。
もともと私が道院の形坐の説明を初めて受けましたのは笹目秀和氏からで、
その坐の特徴は掌の置き方でした。「膝のお皿を飛び越えて」という表現で、
膝のお皿を下から覆うような位置に掌を密着させて形坐をすると言われました。
秀和氏は守窔について自説は主張されていません。雅志氏の坐がフーチで評価を
受けていたので単純に尊重されていたのでしょう。それ故、多摩所縁の青年たちに
坐を指導してもらえるよう、林氏ご夫妻の宿泊施設を改造された事もありました。
秀和氏は後天身体の健康状態が当時の同年齢者と比べて良好で、ご自身の説では、
一日4度の坐で健康が維持できていたそうです。フーチで真人成丹が認定されたと
聞いた記憶はありませんが、私の印象では、思考の回転が速くアクティブでした。
その坐を初めて試しました時、私の場合は集中できて気持ち良かった感想でした。
同じ坐法を習った多摩のY氏の場合は、後に雅志氏に坐を褒められていた人ですが、
過敏過ぎたためか、坐椅子から転落してしまって、秀和氏にも驚かれたそうです。
雅志氏の形坐では、掌で膝のお皿を包むように覆い、気が漏れないように手の指も
揃えると言われていました。私は、手の指を揃えると、手や肩に緊張が起こるので、
指は少し開いてクサビのように設置し、時折各指と足の気の繋がりを感じています。
私が読者の皆様にお伝えする時は、雅志氏の坐法がノーマルで安全性が高いと考えて
提案してまいりました。たぶん秀和氏も、最初に先人から坐の説明を受けられた時は、
同じような掌の位置であったと推測いたします。それが変化した理由も推測ですが、
秀和氏はモンゴルやシベリア時代に極寒の体験が長く、多摩も特に冬は厳しい環境で、
足先まで気が巡る坐法が必須であった故かもしれません。雅志氏の住居の台湾南部は
温暖な気候で坐には楽で、中心軸を観ていれば善い状況だったとも言えるでしょう。
私の場合は、秀和氏の坐法を半年ほど続けた頃に雅志氏とお出会いして、道理的な
説明を受け、現実の気候変化などを体験して、雅志氏の坐を続けてみる事にしました。
それから丁度一年ほど経った頃に、心臓の機能回復が起こってきた経緯になります。
坐のみの効果で体調の回復や機能の改善が実現したのではないと思いますけれど、
もし道院の形坐をしていなかったなら、劇的な変化は無かったでしょう。また、
こうして手の位置など細かい坐の話をお伝えする事もたぶん無かったでしょう。
常識的な想像以上に掌の位置は重要で、少しの差でも結果が違ってきます。また、
同じ人でも体調や環境条件に由り微妙に変わります。それ故、形坐の始めに毎回、
注意深く掌の位置を確認する、そのひと手間を惜しまないのが宜しいと思います。
ただ、掌の位置を膝下に設定しようとすると、姿勢を前かがみにしませんと手が
届き難いです。ゆったりと静黙を楽しむ長時間の形坐には不向きかもしれません。
そして、気の周天に振り回されると坐っていられなくなる場合もあるでしょう。
そういう時こそ、守窔が必要になってきます。玄関の窔に意識を置くか、所謂
中心軸の〜ラインを感じるか等です。いずれにしてもフワッと軽く感じるように
私はお奨めいたします。真霊の光を見ていれば良いようになれば守窔は楽です。
色々な掌の位置を試してみるのも坐の工夫でしょうが、適当な位置に安定すれば、
磁石でくっついた様に膝から離れ難くなる時もあります。或いは、位置の移動を
欲してくる時もあります。後天意識をやめ、自己の心君の判断に任せましょう。
思えば、秀和氏と雅志氏はタイプも違い、生い立ち、体験の経緯が随分異なり、
坐の感覚も、道慈の認識も異なっていたようです。お二人の共通点は、人生の
後期から道院に縁じて以来、熱心に道慈に努力された事であったと思います。
努力されてきた先人の道慈を、自身の修養に役立てさせて頂きましょう。
そして又、様々な物たちの協力に支えられている幸運を感じながら、
できるだけ快適に修養してまいりたいものです。