永遠の生命、安心

永遠の生命と永遠の安心を得る方法を紹介します。

生き物として (きらく仙女さんの日記の転載)

2017年02月12日 | 日記
節分も立春も過ぎまして、
農暦の1月も半分過ぎました。
皆様、如何お過ごしでしょうか?

春は、木々に新しい芽が吹き、
人には新しい出会いや出発があり、
希望に満ちた季節と言えると思います。

また一方、古い着物を脱ぎ去るように、
捨ててゆく物や卒業してゆく所もあります。
日本の春は特にそういう季節のようです。

近頃気付いたのですが、私の近辺で、
近所の家や山林に住む小動物さん達が
倒れて息絶えているのに時折遭遇します。

先日、そういう病死風の猫を見かけて、
心経撮要を唱えてあげた事がありました。
道院の女社に伝わる観音様の短い御経です。

その猫も飼い主も、迷惑行為の常習者でした。
そういう者に対して慈を以て報いるというような
積極的な菩薩心は、私の得意な事ではありませんが、

行き掛かり上、少々面倒な事後処理も済ませました。
それ以後、お葬式希望者のような動物さん達が時々、
私の所に訪れて来るようになった気が致します。

それらは不思議なほど、安堵の表情をしていて、
ゆったり心地良さそうに横たわっているので、
少々図々しい感じがしてしまいます。けれど、

生き物は皆、自分にとって有利な状況を願い、
少しでも良い境遇を得られそうな機会に対して、
遠慮しないのが当然の態度ではあるでしょう。

皆が真剣に生きているのだなぁ、と思えば、
その心地良さそうな図々しい姿が、何とも
いじらしく、また逞しく感じられてきます。

道院では、蓮台聖(観音様)のご指導の下で
動物達の霊が保護、指導を受けているそうです。
私の一手間のお世話もその一端かもしれません。

凡そ人以外の動物さん達は、人のような悪事を為す
能力が無いのではなくて、多くの人が失ってしまった、
自分に素直に生きる能力を、失っていないのでしょう。

人家で、家族や家来のようになっている犬や猫でも、
悪人のような巧妙な詐欺や偽善や破壊行為などしません。
そういう意味で、敬意を以て彼らを見習うべきでしょう。

植物たちはもっと原始に近い存在、と申しましょうか、
それでも葉を茂らせ、花や実を競う生存競争をしますが、
人と比較すれば純粋さが全然マシではないでしょうか。

そういえば、毎年美しい青葉から輝く黄葉に変化し、
沢山の実を提供までしていた近所の大きな銀杏の木も、
人の都合により無残に伐採されてしまっていました。

読者の皆様も、その様な動植物達の姿に遭われた時は、
嫌悪や不快、悲しみや怒りなどの感情をひと先ず置いて、
思い付いた方法で、善処してあげて頂きたいと思います。

適当な対策を思い付かない時には、とりあえず誠意を以て、
お手持ちの御経やマントラの一節でも、御念仏や御題目の
一言でも、お唱えしてあげて下さるようお願い致します。

気持ち良く心坐しているような時でも、少しの時間や
手間を厭わずに、周囲の気の毒な人、特に純粋性の高い
乳幼児や動植物たちの安寧を祈ってあげて下さいませ。

理想的には、平静息々の心坐状態が習慣になっていて、
周囲に対しても、その状態から自然に無作為に対応行動を
発してゆく事が最も適切な結果にもなると謂われています。

前回の日記では「コウ彀接適」のお話を致しましたが、
酉の文字は昔、お酒の壺の形であったとも謂われますね。
お酒の醸造、熟成の工程、時間とも関係が深いようです。

この酉歳は私も特に、焦らず丁寧に美酒の醸造を見守る如く、
今まで学習研究してきた事が静かにじっくり熟成する様子と
自らの微妙な変化を楽しんで過ごしたいとも思っております。

そして折に触れ、全ての生き物の明るい未来、安穏な境遇を
改めて心を込めて、そしてなるべくなら個々別々よりも、
纏めてお祈りしたい、と感じているこの頃です。
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