10月8日頃、神泉苑の亀がそろって冬眠。ジューンとも半年間のお別れとなった。大葉の世話もなくなったので、余った時間、週2回位の買い物ボランティアを始めた。昔、一緒に地域のバレーボールをしていたAさんである。
喜んでもらえて満足だが、ひとつ心が痛む事がある。それは同じチームだったBさんが、ご主人の在宅介護でかなり体力的にしんどそうなのだ。手伝ってあげる時間も体力もある。が、私は一歩が踏み出せないでいる。
理由は、もう30年以上前の事。私の裁判中に、Bさんがステロイドの事を書いた新聞をくれた。私がそれを弁護士に見せると言うと、Bさんは「えーっ、やめてや!私の名前出さんといてや!しょうもない裁判に巻き込まれたらかなんし!」と、顔をしかめて叫んだのだ。命がけで人救いにつながる裁判を闘っている私に「しょうもない」はこたえた。震災に遭った人たちがバイキン扱いされたのと似ている。言った人は軽い気持ちだったろうし、もう覚えていないかもしれない。が、言われたほうは、一生心の傷として残る言葉なのだ。それも全くゆきずりの他人から言われるのはそんなに傷つかない(私だけかな?)のだが、親しい人からの言葉だと恐ろしく傷つく。
そんなわけで今は、Aさん宅よりずっと近くにいるBさんを見かけるたびに、私って心が狭いな、と自己嫌悪に陥りながら、でもやはり手を差し伸べられずにいる私である。