空蝉ノ詩

蝉は鳴く。地上に生きる時間は儚く短い。それでも蝉は生きていると。力の限り鳴き叫ぶ。私も今日、力の限り生きてみようか。

73編 “人生の短さ”と老人介護(3)

2017-07-16 02:44:37 | 読書ノート
font color="orange">“人生の短さ”と老人介護(3)
 セネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫

(3)

砂時計のように老人に残された時間はわずかである。
認知症というハンディキャップを抱えながらも、
「いま(現在)」という時間を必死に生きておられる老人の後姿から、
わたしたち介護者は時間の大切さを学ばなければならない。
介護を通し老人とのかかわりのなかで、
ある時、ある所で、
あなたがある感動を受けたことは、
二度と繰りかえすことのできない、
その時の経験であり、
その時間は大きな意味をもってくる。

残り少ない老人の時間をわたしたち介護者は奪ってはいないか。
「時間がない」とこぼしながら多忙に施設のなかを動き回る介護は、
結果として老人を気遣うことはできないからである。
大集団生活であり、
その上多忙な介護業務は、
老人は意欲や時間を失い「生きる屍」のような状態になってしまう。
そうした状況は、
老人にとっても介護者にとっても、
いまという時間が如何に貴重なものかをわれわれは知っているのであろうか。
死が刻一刻と近づいている老人に向かって、
わたしたちは何を為すことができたのか

まだ来ぬ不確定な明日より、
現に手元にある今日を大切にし、
「最良の日」であるように尽くしていくことである。

「生きることは生涯かけて学ぶべきことである」
「生涯かけて学ぶべきことは死ぬことである」(22頁)。


27年間老人介護に関わりしみじみ感じたことは、
“生(お)い方は老い方である”。
駄洒落に聞こえたかもしれないが、どのように生きてきたかで、その人の老い方が決まる。
セネカが言うように老年になってから慌てても遅いのである。
日々、わたしたちは老人から「生きることを生涯かけて学ぶ」ことであり、
介護を通して「学ぶべきことは(老人の)死」である。
老人の生き方(老い方)から謙虚に学び、
自分の生い方(=生き方)をみつめ、
いまを大切に生きていくことが求められている。
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