空蝉ノ詩

蝉は鳴く。地上に生きる時間は儚く短い。それでも蝉は生きていると。力の限り鳴き叫ぶ。私も今日、力の限り生きてみようか。

124編 空をみて想う

2017-07-31 16:43:42 | ひとりごと
空をみて想う

今日の朝 beagle元気と散歩したときの空は
どんより灰色の雲とも空ともつかない
そんな空模様をみていると
気持ちまでもが塞ぐ

「空」という漢字に何故か頭の中は拘り始め
大空 空に向かって羽ばたく鳥の如く希望に
溢れ

青空 ブルスカイ 爽快な気分になる

星空
 ロマンチックになり恋が芽生える

しかし 「空」という漢字は
どちらかというと 虚しさを感じさせる
空室 空車 空地 空箱 架空 
何れも「ない」の意味になり

「空言」は 嘘の話であったり

「空耳」は聞こえても聞こえない振りをする   

「雨空」を見上げながら

「空蝉」の虚しさを考えると
この世の無常さを感じ
「空虚」になってしまう
それでは余りにも空しくなる

北の方角に輝く「星空」を見上げ
光り輝く星を指し
夢を叶えるぞ、と決意する

123編 孤独死

2017-07-31 11:43:54 | ひとりごと
孤独死

老い老けていき、
最期は畳の上で死ぬとき、
傍らに看取りをしてくれる人が居ないことほど
切なく寂しいものはない。
「孤独死」という言葉から何を連想するのか。
冷たくなった死体が侘しい部屋に在るだけ・・・。
自分が生きていたことだけでなく
死んだことすら、
人知れずに埋もれて逝く。
孤独の隙間を埋めてゆくものは何なのか・・・・。

122編 時 間

2017-07-31 00:00:15 | ひとりごと
時 間

時間は無限
自分にとっての時間
砂時計のように有限である
人間は死に向かって時間を刻む
時間は止まってはくれない
時間は待ってはくれない
時間は非情であり
死とは関係なく
時間だけが存在する
  
                     

120編 自分は何者か

2017-07-30 11:22:33 | ひとりごと
自分は何者か

「自分は何者か」、と自問自答しても何もわからない。
自分という存在、小さな存在に過ぎない。
死んだら存在は消えてしまい、終焉となるのか。
いったい自分は何処から来て、何処へ往くのか。
胎内は海なる母であり、死は白い煙となって空へ消えて逝くのか。

認知症を抱えた老人は、
ふと「自分は誰なのか」わからなくなり、自分探しをすることがある。

それは「自分は何者か」という問いかけに通ずるものがある。
認知症老人は、自分の名前すらも忘れ、
自分はいったい誰なのか、何者なのか、わからなくなるときがある。
認知症老人から「あなたは何者?」と言葉をかけられたとき、
あなたはどう答えるのか。
自信を持って答えることができない。
 

117編 何もなかった

2017-07-29 13:36:17 | ひとりごと
何もなかった

今日一日
何も感じない
何も感動しなかった
何も想うことがなかった
もし
何もない一日であったならば
お前はその日は
ただ「息」をしていただけで
「生き」てはいなかった
死んでいたのだと
 

116編 縺(もつ)れる 

2017-07-29 11:57:49 | ひとりごと
縺れる 
 
縺(もつ)れる、
日常生活のなかで糸や髪が絡み縺れる。
糸が絡み縺れてしまい、
なかなか元の状態に戻らないと縺れた部分を挟みで切り取り、
その部分を繋ぎ合せることで修復を図るが、
縺れを解決したことにはならない。

髪が縺れたときには
その部分を挟みで切除する訳にはいかず、
根気よく解し直さなければならない。

人間関係の縺れにおいても同じで、
バッサリと切り捨て、
相手にしなければそれで済むが、
それは互いにシコリとって残る。

また縺れは事態の収拾がつかないことも意味する。
縺れは、切り捨てや切り取りなどの方法で安易に為したとしても、
それは状態を悪化させるだけで根本的な解決にはならない。
縺れを解くには根気がいることであり、
縺れた原因を突き止め、
対策を立てないと大変な結果を招く恐れがある。

舌や足が縺れている、
といったようにその縺れを放置しておくと大きな疾病を招いてしまう。
舌や足の縺れが体のどこが不調なのかその原因を突き止め治療を為さねばならない。

こうして日常生活のなかに縺れは様々な形で表出されるが、
やはり人間関係の縺れが一番やっかいなのかもしれない。
自分が一番正しいと思いこみ、
相手の気持ちを汲んだり、
言葉を聴こうとしない限り、
人間関係の縺れを解く糸口を失ってしまう。
縺れのまま綻び終えるか、
それとも縺れを解けたときのほっとした気持ちや喜びを味わうのかで、
自分自身の人生観も変わってくるに違いない。
上に立つ者ほど、
職場における人間関係の縺れを修復する責任と役割を持っている。

釣り糸が縺れたままでは魚を獲ることはできない。
絡み縺れた釣り糸を根気よく解く以外に釣りを楽しむことはできない。
固く閉じていたつぼみがほころぶ(綻ぶ)、
固い表情が和らぎ、
笑顔となってほころびを見せてきた。
縺れの解き方によって
「綻び(破綻)」になるのか、
それとも「笑顔(ほころび)」になるのか、
違ってくるのかもしれない。

115編 鴎が飛んだ 

2017-07-29 07:57:59 | ひとりごと
鴎が飛んだ 

鴎が飛んだ 鴎が飛んだ
雲行きがあやしい空になっても
鴎が飛んだ
鴎は港埠頭から飛翔き
遥か彼方水平線まで飛んでいった
何を求めて 鴎は空を飛翔くのか

空を飛べたらどんなにいいだろうか
過ぎ去った時空間を
鳥瞰図の如く 
空から過ぎ去った時空間を
振り返ることができたらどんなによいか
残像となった過去のシネマ

114編 あなたが傍にいるだけで

2017-07-29 03:57:58 | ひとりごと
あなたが傍にいるだけで    

あなたが傍にいるだけで
わたしの気持ちは安らぐ
あなたが傍らにいるだけで
あなたのやさしさが伝わる

あなたが傍らにいるだけで
慰めの言葉もいらない
無言の言葉であったとしても
あなたの想いが伝わる

いつのときも
あなたが傍にいて欲しいと
思ってみたところで
それは無理なことだとわかってはいる
せめても
寂しいとき 
悲哀しいとき 
辛いとき
あなたが傍にいてくれたら
どんなにかわたしの心は癒され
生きる力が湧いてくる

あなたの傍にいるだけで
あなたから「幸せ」と呟かれたら
わたしはうれしさで満ち溢れてしまう
あなたが傍にいるときだけでも
ときめきの気持ちでいたい
あなたが傍にいるだけで「幸せ」

113編 何を想い 何を感じる

2017-07-29 03:11:16 | ひとりごと
何を想い 何を感じる

妻の名前も 子の名前も 
忘れてしまい 呼ぶこともできなくなった
ときどきふと不安にかられることがある
自分の頭がおかしく「馬鹿」になったのか
自分の頭ではないような気がするが
自分の頭であることには
間違いがなさそうだ

いま食べたことさえもわからなくなった
それだけならいい

オシッコやウンチを
漏らしたこともわからなくなり
脚は糞尿塗れ

家族でもない
他人様から下の世話受ける位なら
「あの世に逝ったほうがいい」と
微かに呟く

112編 「あなた」がいて「わたし」がいる

2017-07-28 20:57:02 | 老詩
猪苗代湖の辺

「あなた」がいて「わたし」がいる

ここで こうしている(在る)「わたし」とは
いったい何者なのだろうか

この世には
「わたし」がいて「あなた」がいる
「あなた」がいて 「わたし」がいる
人間 ひとりでは生きていけない

「この世に出てきたい」と思って
母胎から出てきた赤ちゃんはいない
けれどこうして いま「生きている」こと
それだけですばらしい

人間生きていると
楽よりも苦のほうが多い
過ぎてしまえば それはそれで思い出になる
そこには希望の光を失わないこと
人間 この世に生まれ
だれもが倖せになることを 願わない者はない
人間 最後の瞬間まで「人として」生きていたい

いまこうしている「わたし」とは
いったい何者なのだろうか
「わたし」は何処から来て
「わたし」は何処へ去る(逝く)のだろうか
時間は緩やかに流れながらも「老いたわたし」になる


「あなた」と話をしていて突然
「わたし」はだれと何の話をしているのか
「わたし」は何をしようとしていたのか
分からなくなる
わたしの頭は いったいどうなったのか
わたしを失っていく
わたしが壊れていく
わたしがわたしでなくなる
「あなた」から “痴呆(認知症)になったら 人間お終いだね”と 言われ
見下され 施錠され 紐で縛られた人生の最後は 辛く切ない

認知症になっても
長年住み馴染んだ家や人々と関わりあいながら 生きていたい
老いたひとり一人の人生は それぞれ様々である

介護がめざすものは
そうしたひとり一人の生きてきた人生に
生きることの素晴らしさとよろこびを感じ
だれもが「また 人間に生まれてきたい」
と 希望をもって逝かれたら最高だ
認知症になっても寝たきりになっても
おむつをするようになっても
同じ人間であり 同じいのちの重さである
「わたし」もひとりの人間である

認知症になっても
ごく普通の生活がしたい
自分で 自分の 自分が
というように自分でできることを認めて欲しい
多くのことを欲しはしない

自分の足で 買い物に行き
自分の手で 包丁を握り
味噌汁の匂いを感じる
自由気ままな そんな生活を過ごせたら倖せだ

「倖」という字を見て感じるように
「幸」に「人」という文字が傍らに寄り添っている
人間は ひとりでは生きていけない
「あなた」がいて 「わたし」がいる
「わたし」がいて 「あなた」がいる
「わたし」が倖せになるためには
「あなた」が倖せになること
生活のなかで「あなた」が倖せを感じたとき
「わたし」も倖せの風を感じる
認知症になっても
ゆっくりのんびり やさしく生きていいんだと
介護は人間を回復する営みであることを願う


111編 お互い様

2017-07-28 10:39:01 | 老詩

お互い様

一人の介護従事者は 
百人の老人を介護している
つもりでいるけれど

百人の老人から
あなたは見られていることを
気がついているのだろうか

好きな言葉ではないけれど
よく使われる
「介護する人」は
「介護される人」をどう見ているのだろうか
「介護される人」は
「介護する人」をどう思っているのだろうか

「介護される人」は
いつも心のなかで 呟いている
いつもお世話になり 申し訳ないのです
あなたに返すものがなく 心苦しく思います

あなたは 隣に住む人から
「お土産です」「旬のものです」と
頂いてばかりいると 
本当に申し訳ないと思い
あなたは隣の人に お返しをするでしょう
それは お互い様だから

一方的に頂いているばかりでは
心苦しく思うのです
介護の人間関係は
介護受けるばかりで申し訳ないのです
「介護する人」は
気がついているのだろうか

介護する人は
すべてしてあげることが
優しいことだと思っているのだろうか

寝たきり老人は何もできない
認知症老人は何もわからない
本当にそうだろうか

穏やかな老人 忍従老人 捻くれ老人
我儘老人 いろいろいるけれど
どんな老人でも
“よいところ”“できるところ”を
見つけ それを褒めるところから
人間関係が始まる

ベッドやトイレなどで
老人がつかまり立ちができたら
介護する人は
「立つことができて 助かるよ」
「介護が楽になったよ」と
褒めること
その一言で老人は
「私も役に立つ」と
心のなかで嬉しくなり
あなたに「お返しすることができた」と

記憶が忘れ どうしていいかわからないが
いつもあなたから頂いた親切は忘れない
息子の名前は忘れたけど
息子はお腹を空かして
学校から帰ってはいないかと心配している
言葉は失ったけれど
介護する人の心はよく見える

記憶が薄れても
体で覚えたことはいまも上手にできる
(昔とった杵柄)
できることを お願いされることで
私は心が落ち着き 居心地がよくなる
あなたから「ありがとう」と言われ
あなたの役に立てて 嬉しいです

人生も 介護も お互い様
助けたり 助けられたリ

あなたが居ることで
心の支えになる