何でこの本を読みたいと思ったのでしょう?
最初は、本屋さんで平積みになってた本の帯(通称腰巻)に、「天国への道を知る最良の方法は地獄への道を探究することである、とマキャベリは言った、戦後日本人はそのことをしてこなかった。この本はそれを教えてくれる」という・・イタリア・ローマ史などに精通している塩野七生氏の推薦文が載っていたので興味を持ったというのが事実です。
つまり、今までにない視点で、戦争が語られているのではないかとの期待をこめて・・・
結局著者は何を書きたかったと思います?
「太平洋戦争とはいったい何だったのか、戦後60年の月日が流れたわけだが、未だに日本人はこの問いにきちんとした答えを出していない。」・・ だから、「今がその最後のチャンスだ」。
つまり、ゼロ戦がアメリカ軍により撃たれるのを喜ぶ平和と民主主義の「自虐史観」でも、その反動の「新しい歴史教科書を作る会」的な考えもどちらも感情論とし、
「本当に真面目に平和ということを考えるならば、戦争を知らなければ決して語れないであろう。だが、戦争の内実を知ろうとしなかった。日本という国は、あれだけの戦争を体験しながら、戦争を知ることに不勉強で、不熱心。日本社会全体が、戦争という歴史を忘却していくことがひとつの進歩のように思い込んでいる気さえする。国民的な性格の弱さ、狡さと言い換えてもいいかもしれない。日本人は戦争を知ることから逃げてきたのだ。・・」
つまり、「日本人が国民的に逃げてきた『戦争』を史実に基づいて冷静に考えることが、平和への道だ」ということを訴えたかったのでは?
それでは著者は、戦争をすべきでなかったと?
ところが、著者は「太平洋戦争そのものは日本の国策を追う限り不可避なものだった思うに至っている。そして、あの3年八ヶ月は、当時の段階での文明論、あるいは歴史認識、戦争に対する考え方など、日本人の国民的性格が凝縮している、最良の教科書なのだ。・・」という考えに至ったそうです。
その上で、「戦争というのは、善いとか悪いとか単純な二元論だけで済まされる代物ではない。あの戦争にどういう意味があったのか、何のために310万人もの日本人が死んだのか、きちんと見据えなければならない」と語ってます。
そこで、本書執筆の本当の目的は?
著者が、あとがきで書いています。
「・・・・・・戦争のプロセスにひそんでいるこの国の体質を問い、日本人の社会観、人生観の不透明な部分に切り込むことを試みてみようとした。あの戦争の中に、この国に欠けているものの何かが凝縮されている。その何かは、戦争というプロジェクトだけではなく、戦後社会にあっても見られるだけでなく、今なお現実の姿としてしてきできるのではないか。」
つまり、
「戦略、つまり思想や理念といった土台はあまり考えずに、ひたすら戦術のみにひたすら走っていく。対処療法にこだわり、ほころびにつぎをあてるだけの対抗策に入り込んでいく。現実を冷静にみないで、願望や期待をすぐに事実に置きかえてしまう。太平洋戦争は、今なお私たちにとって“よき反面教師”なのである。」
従って、 「戦争」を通して、「日本人及び日本社会論」として読むべき本でもあると思います。
最後に、ひと言
現在連合国による「東京裁判」そのものを問うような議論が目立ちますが、
「果たして日本は、あの時点でも、今でも日本という国を戦争の道に走らせた元凶を自らの手により裁けたであろうか?」との疑問が残ります。
結局、裁いてもらうしかなかった。表面上は敗戦で一億総懺悔したけれど、「戦争への道」を走ったその体質は一掃されたかは、別なのではないかと思いますし、靖国問題で、問われているのは「その体質」そのもののような気がします。
この本、 ワタシのような初心者に、旧日本軍のメカニズムから解き明かし、更に、ほんとうに戦争を欲していたのは「海軍」だったとする「陸軍の暴走に日本は引き摺られていった」「陸軍悪玉説」・・を覆しているところが新鮮だったり・・。
*・・・できるだけ俯瞰的に戦争を捉えようとする姿勢で、冷静に分析していると思います。
しかし、開戦時から“精神論”を展開し、次々と玉砕していくころの国会答弁でも禅問答のような答弁を繰り返す「東条英機」に対する批判は実に鋭いです。
それにしても、東条英機首相のこの「発言」意味分かります?
「戦争が終わるということは、戦いが終わるということ、それは我々が勝つことだ。そして、我々の国が戦争に勝つこということは、結局“我々が負けない”ということである」
*・・・精神論、禅問答・・一瞬小泉さんかと・・・・
・・・そして、“全滅”を“玉砕”と言い換えられて“潔さの美学”と共に死んでいった『一般兵士』と“東条”さんが仲良く靖国神社に祀られている・・・
8月15日、靖国、そして「日本という国」を考えるためにも、一読をお勧めします。
*上のクリーム色はこの本より引用・・紹介
参考までに、以前に書いたこの話題に関連したもの
この話題での関連記事
高橋哲哉著「靖国問題」感想・記事
東条=小泉って考えてしまうと、なるほど合祀されるのは嫌だなと思います。言ってることの意味が全然わかんないし、自分の事として考えていないような感じがしますし。
どう収拾したらいいかわからなくなっての発言だったとしても軽率も軽率。国家の指導者として失格ですね。
他の方々は別として東条だけを分けすべきかもしれません。
日本っていう国は色々な独裁国家と違って、責任をトップだけに負わせるというムードがない国ですよね。東条も悪かったけど、軍部そのものが体質が・・という事にもなるのではないかと。
個人的には。
もしあの当時生きていたら、私はきっと女子挺身隊に入っていたんじゃないかと思うんですよ。でなければ従軍看護婦とか。いきなり空襲で死ぬよりも戦場で死にたいとか思うタイプですし。
そうしてもし南方あたりで戦死とか病死したとかして・・60年たって「それは無駄死にだった」と子孫に言われたら嫌だな・・・って思います。
ものすごく感情的なものなんですけど、どこかで認めて欲しいとか思っちゃうんじゃないかな。お墓の下で。
数年に一度ですけど、空襲にあって死にそうになる夢とか見るんですよ。私の前世ってそうなのかしら?
何だか、感想・紹介が理屈ぽくなっちゃってます。
この本自体は、もっと“読みやすい”ですから・・
ただ、読み進んでいくと、自然と
「“日本人&日本”て何だろう」
って、考えさせられるから不思議です。
追伸:
ワタシも、この時代なら“竹槍”持ち、突撃訓練に
“嬉々として”参加していたかも・・・
それとも、地下に潜って非合法活動?
柄じゃないな~拷問も怖いし・・
東条さん、別に個人的恨みはございませんし、墓まで
暴くようなことは、故人に対して失礼だけど、
「靖国」に合祀してしまうことは、
『拙い』でしょうね・・と、またしても思います。
だからといって、遺族に今更言いがかりのような取材
をする韓国TVの姿勢には、ウンザリ・・複雑です。
まぁ、結局問題なのは、日本人なりの反省と検証を東京裁判に矮小化させてしまったことにあると思うんですよね。「悪の日本が正義に挑んだからこうなった。よって一億総懺悔」、みたいな。
満州で適当に手打ちして開戦は避けられなかったのか? 途中段階での講和は出来なかったのか?といったところはよく検証すべきだと思います。暴走寸前の陸軍なんて本気で本土決戦何て言っていましたし、310の東京大空襲や沖縄・広島・長崎は防げなかったのか。
東条内閣で行われたインパール作戦自体は失敗でしたが、それはインドの独立へと繋がった。ただ、それは結果論であって、無謀のそしりは免れないとは思います。
東条の評価は種々様々ですが、まぁ、彼は死を持ってその罪をあがなうべきであったろうと個人的には思いますね。ただ、私利利欲に走らず、大東亜会議を開くなど、大東亜解放と共栄への純粋な気持ちはあったんだろうな。
うが、ワタシは、戦争を総体的に書いてある本は初め
てでしたから・・・
しかし、『「一定の枠内で戦えばいい、それ以上、無
益な死になるなら捕虜になれ、そして敵の中にあって
その戦力を消耗せよ」という20世紀の戦争の鉄則は
完璧無視・・軍官僚は精神的に退廃していき、国民は
翻弄されていった』責任は、やはり、日本人自身が裁
判にかけても、東条さんは当然「重罪・死刑」になっ
たのでは?
「この戦争はいつ終わりにするか」を全く考えてずに
戦争を相手に下駄を預けた曖昧な形で、戦争に突入し
て、負けるべくして負けた。
更に、その後始末も、連合国の国際裁判で終結。
その後遺症が今でているのだと思います。
さて,この本は,非常に私の考えと似ているような感じがして大変興味を持ちました。
さっそく,本屋にでも行ってみようと思います。
おかにゃんさんの「太平洋戦争の敗因原因から現代日
本を社会を考える」は、とてもこの本と共通点が
あります。
ワタシは、この保坂さんの本を「日本人論または、日
本社会論」として読みました。
お読みになりましたら、感想を聞かせてください。
おひまなときにでも、また。
わたくしも、おじゃまいたします。
つくづく、ブログのTB効果に感謝ですう。