えみこママのブログ

こんにちは。お元気してますか?いつもいつもエネルギーを分けてくださってありがとうございます。おかげで元気ですよ~。

昨日のこと

2024-09-17 03:53:00 | Weblog
音楽以外のパートを始めたのは62歳から。
いちばん初めのパートは、国分寺の診療所でのヘルパーの仕事でした。

コバちゃんの認知症が進み、92歳で施設に入った2年後あたりだった。
看護師の生徒さんの紹介だったが、ヘルパーの資格を生かそうとして始めた仕事でした。

4年半続けて、コバちゃんが亡くなりそうになった時、夜勤などしてられなくなりやめたのだった。

その頃の看護師の生徒さんが1年ほど前からレッスンを再開したので、その診療所の縮小する話はレッスンのたびにきいていた。

1階が内科と整形外科の診察室と事務所、2階に病棟、3階にはレーザー室とリハビリ室、ら更衣室などがある。トイレは各階にある。
10月から2階の病棟がなくなるとのことだった。
たびたびなつかしいなーと、話はしていた。

パートをはじめたひと月後、その看護師さんが私の音楽仲間の1人をまたそこに紹介して、私はその秀子さんと一緒に仕事をすることになった。
その頃ヘルパーは8人ほどいたが、真面目に仕事をするのは秀子さんと私くらいだった。
真面目というか、綺麗な仕事を心がけた。少なくとも、右手に湯呑み茶碗を持ち左手に汚れたおむつを持ったりしないのが私たちだった。
秀子さんはそこで、12年勤め上げたのだ。

そうか病棟がなくなるのか。
A患者さんは元気?といつも聞くことがあったが、患者さんはみんなほかの施設や大きい病院に入る事になるらしい。

2週間ほど前、秀子さんからメールが来た。
「あの診療所、いつ辞めてもいいくらいに思っていたが、いざ患者さんがいなくなり仕事がなくなると思うと寂しい…」と書いてあった。

「17日にAさんが他の病院にうつるので、Aさんには16日の勤務の日にご挨拶しようと思っている」とも書いてあった。

16日つまり昨日は私も空いていた。

朝10時に家を出て国分寺に向かった。

秀子さんが勤務だからいるのだなと思った。音楽仲間の陽気妃からも脱会してたので、秀子さんとも何年も会ってない。

会えるのが楽しみだった。

昨日は祝日なので診療はないから、2階に上がって看護師に訳を言って挨拶した。
秀子さんには行くと伝えてなかったので、驚いていた。

やっと会えた。

Aさんにも会う?と聞かれ、会わせてもらった。
Aさんは、あの頃よりもっと痩せていたが、お元気そうだった。
あの頃も何も喋らない患者さんだったが、食欲もあり問題なかった。
私はAさんの細い指の手を握った。

この感情はなんだろう。
病室やらいろいろ目にして、じわじわと湧いてきて泣きそうだった。

今後この診療所の診療は整形外科だけになり、看護師も2、3人だけと医師1人だけ。
2階の病室は看護師の休憩場所になったりするらしい。入院患者がいなければ、夜勤も日勤も無くなりヘルパーも必要なくなる。

こじんまりとやっていくのね。

看護師さんと秀子さんにお礼を言って、診療所をあとにした。

夜寝る頃、昼間の秀子さんを思い出した。ともかく真面目な秀子さんだったな。
私は、あの診療所で仕事をすることになった夢を何度も見たものだった。

台所でガタガタと音がした。
私は飛んで行き、暗い中よく見るとゴソゴソ何かが動いていた。

「パパー、パパー、パパー、パパー」と大声で夫を呼んだ。

「台所に何か生き物がいるのよーー」

「うるせーー‼️」

「…………‼️」

「笑笑笑笑笑笑」

夫は、トイレに起きて来た。

「笑笑ごめん、夢見てた」

「夜中にうるせーんだよ」

笑笑笑笑笑笑笑笑


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発表会のあと

2024-07-28 23:50:00 | Weblog
6/16に発表会が終わり、2日後に夫が予定通り入院しました。
初めの1週間の入院は、手術するために、血糖値をコントロールすらため。
そのまま退院して、元々かかっていた病院に転院し翌日に手術でした。

発表会の少し前から、心配というか不安な時があってね。

隣の部屋を見れば夫はいるし、声をかければ返事もするのだが、この夫が病気ということや5年ほど前の夫よりだいぶ年取ったなということや、私自身も身体的にも精神的にも見た目も、5年前とは変わって来たと実感してるためか、老いの不安というものだろうか。

これが、老いの直面だ。

コバちゃんが實おじいちゃんとお別れしたのは、コバちゃんが72歳の時。
「あたし、未亡人になっちゃった」と言っていたな。
私はその言葉に対して「未亡人ていうのは、ほそおもてのうなじの綺麗な美人という感じだと思う。おばあちゃんは後家さんていうのが、いいんじゃない?」と言ったら、怒っていたな。

あの頃のコバちゃんの歳を通り越した私と夫なので、病気などすると考えなくてもいいことで不安になるのですね。

親しくしてる友人2人は、一人暮らしだ。
すごいなと思う。
私は1人になったら、鬱になるだろうな。
だから、夫には、元気でいてもらいたい。

年金だって減ってしまうし、本当にいなくなるのは寂しくて困る。

、ならば優しくしてあげればいいのに、入院中電話して夫が出ると「大丈夫なの?ちゃんとしてるの!?」と強い口調で話す。

喝を入れるみたいに。

夫の入院中は、一人暮らしを謳歌しながら夫の布団、毛布、枕、などなど洗濯して帰ってくるのを待ちました。

そして無事に、退院して参りました。
でも、まだまだ病人です。
生意気な病人。

これからこの暑さの中、そう、これからが勝負です。

なるべく楽しく生きて行きたい。

年に一回、発表会をし、また自分たちのコンサートも年に一回して、福祉施設にて年に4回コンサート開く。

私は教室を準備して待っていれば、仲間たちが集まってきてくれる。少し指導して、おしゃべりして、練習して、お茶を飲んで笑って、お帰りいただく。

私は待っていれば、生徒さんが通ってきてくれる。指導して少しおしゃべりしてお帰りいただく。

私は待っていれば、歌声喫茶のメンバーさんたちが集まってきてくれる。伴奏して指導して、歌って、笑って、話しに花が咲いて、お帰りになっていただく。

私は10分出かけて行って、パートで仕事を4時間してくる。そこに行けばそこの仲間たちが仕事をしているので、私も仕事をして、励まし合って、楽しく笑うこともあり、時間になったら帰ってくる。

私が木曜日は、何か食べるものを用意して待っていれば、子供と孫たちがやってきて一緒にご飯食べて、話して、笑って、帰って行く。

今は私と夫も、元気と言って良いだろう。
娘たちも娘たちの旦那様も元気だし、息子も息子のお嫁さんも元気だし、孫4人元気だし、私の妹も弟も、その家族も元気だし、夫の姉たち夫婦とその家族も元気だし、今はとても良好だ。

夏の暑さはまだまだ続く。
なんとかして、乗り越えたい!
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いよいよです

2024-05-11 20:21:00 | Weblog
5月1日の仕事の時、せかせか仕事をする人と一緒でした。
洗い場の機械の洗剤がいつもより多く出て来てしまい、もう一度洗い直したり洗剤のスイッチを切ったり入れたりしながらやっていたので、食器の洗いおわるのがすこしおくれたことを注意された。
「3時半にパートのみんなが帰ってしまうから、それまでに食器を洗い終わってないとダメなのよ!」と強く言われ。
挙句に無言でそばにきて持って行きたい食器を素手で抱えて持って行かれてしまった。

おっせえんだよー!と言わんばかりに。

その後フォローのつもりかトレーを運んでくれたり、仕事終わりに喫茶部の新人さんに「東條さんにコーヒー入れてあげて」とフォローしてきたが、私は悲しくつまらない気分になっていた。

この歳で、これはみじめ…と思った。

帰りにトイレの鏡で自分の顔を見たら、すごいお婆さんの顔だった。

こんなお婆さんになってまで働いているからいけないんだ、もう潮時、今月いっぱいで辞めよう。
そう決心しながら帰って来た。

なんと、切なく惨めだった。

変なプライドもあるからな。

1日の次の仕事は6日だったから、その時に辞めることは言おうと思っていた。
最近は48歳の若い方も入って来て仕事を習っているので、もう人は足りているだろう。

こんな時は辞めやすいものだ。

明日は仕事という、5日の朝、職場のリーダーから電話が入った。
「お休みのところすみません、○山さんが脳梗塞で倒れて、昨日救急車で運ばれて入院になりました。細い血管の脳梗塞だから手術でなく点滴で溶かしてるらしい。
そんなわけで、7日からのシフトは全取り換えするので、どうしても出勤できない日をラインに送ってください。とのことでした。

昨年は主人のことでいろいろ助けてもらったので、力にならなければ。

辞めるどころじゃない。

ここで入った新人さんに教えていた○山さんが来れなくなってしまったので、昨年入って来た人が新人に仕事を教えることになったらしい。

昨日新人さんと教える人が早番できてるところに遅番で行き、3人で1時間一緒に仕事をしたが、フォーローしあって楽しくできました。

来月は発表会があります。

私の生徒さんもご高齢の方が、歌やピアノやエレクトーンで出演しますが、行き帰りのことなどとても心配です。

それから、夫の入院が決まりました。

先日は私の妹も来てくれて一緒に、先生の話を聞いてくれました。
病院の帰りに、夫が言ううどん屋に寄った。食欲があまりない夫が、肉汁うどんの大盛りを頼みいなり寿司も1つ頼んだ。
食べ切れたが、やっとな感じだった。
これから検査や入院に耐えられるように、食べたくなるような美味しいものを食べさせようと思っている。

昔と同じ気になって大盛りを頼んだが、ふうふう言いながら食べているのをみて、私たちは、歳をとって来たなと思った。

発表会も控えてる中で、夫の入院、手術が決まり、パートの仕事もこなして行くことができるか心配だ。

弱虫になって、老いを感じている。

でも、夫がいる。
子供達がいる。
孫たちもいる。
友人がいる。
音楽がある。
仲間がいる。
仕事がある。
会いに習いに来てくれる生徒がいる。
必要な時は薬もある。
仏壇やお墓には、ご先祖様もいる。
年金もある。

あはっ!大丈夫そうよ。






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講師会議

2024-04-28 17:18:00 | Weblog
6月に発表会があるため、それに向けての講師会議が24日でした。5ヶ月ぶりに皆んなで会いました。
今日は10人でした。

講師は全部で14人ほどだが、肝心の発表会に出る生徒数は32人ほど。

どんどん減っています。

藍屋に11時に集まって、発表会についての取り決めを話し合ったあとは、おしゃべりに夢中になった。
ランチの注文までだいぶ時間がかかるほど、脱線ばかり。

長女の年代の講師たちは、思春期の子供の進路の話に盛り上がり、そのひと回り上の年代の講師たちとそのまたひとまわり上の私たちの年代と一緒になって、体の不調や変化、少しオシャレな話、あとは老後の話で盛り上がった。

大ホールでやった発表会の時の出来事は、強烈な印象とすったもんだや事件を思い出して、これも盛り上がった。嫌な思い出なので、夢中で話したが、とても疲れた。あの時の講師は今何してるかな?

1番年上の講師は渋ちゃん。
私は今朝は8時半に家を出て、皮膚科に行き診察の1時間前について3番目の患者だったから、10時20分には会計も終わった。
社食のパートは水仕事なので、最近手が荒れて発疹ができたりしてたので、薬を処方してもらった。

そして、渋ちゃんに電話した。
「講師会議にはタクシーを予約したの?」
「雨だから歩いて行くので、そろそろ出ようと思ってるの」
「今から渋ちゃんちにいけますよー」
「助かりまーす」と、思った通りの展開で迎えに行きました。

渋ちゃんを乗せてから資料をコピーするためにコンビニに寄ったら、ちょうど良い時間に藍屋に着いた。

変わりなく、講師仲間たちは元気で可愛かった。きゃあきゃあ、ワイワイ、がはがは笑って楽しく癒やされました。

だから発表会はやめられないなと思った。

レジを済ませてもまーだ話が終わる様子がなかったけど、おしまいにして別れた。
渋ちゃんを送ってから、今度は整形外科に寄り、膝痛を診てもらった。
変形性膝関節炎と言われた。

えー、今度は膝なの?ショック😨

いよいよパートがよくないのかな?
いよいよやめ時かな?
いろんなダメ出しをして、すこし悩みながら帰宅。

家の中で杖を2本使って歩いてみたり、足への負担軽減について調べてみた。

夜遅くなってから膝の痛みがすごく軽くなっていたので、正座してみたら、正座ができた。
お風呂でよーく温めて、出てからも痛みはない。

騙し騙し、無理しないで使えばよさそう。

社食のパートの新人さんが決まった。
「30日から来ることになりました。だからと言って東條さんの勤務を減らすことはないですからね」とリーダーの人がおっしゃった。
いつかの店長と同じことを。気を遣ってくださっているのだと、嬉しくなった。

じゃあ、もう少し頑張るっきゃないな。

昨日は家の周りをとことん片付けた。
弟がうちの修繕をやってくれるから、家の周りにあるガラクタを片付けて、歩きやすくした。

網戸や木戸や使わなくなったパイプ椅子、石油ストーブなど引き取ってくれることになった。

もっと整理しないとなー。
70年経つ古民家の我が家、物を減らして軽くしてあげないと可哀想だよね。この家の良さがやっと分かる歳になった。

大事にしようと思います。
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シニアはいいよー

2024-04-18 18:49:00 | Weblog
私は21歳から62歳まで、音楽教室を経営し、エレクトーンとピアノを教えて大勢の講師と楽しくやってきました。

62歳くらいの時まで、まあまあ生徒が多かった方だと思う。

私と同じように自宅に教室を開設していた人もこの頃にはもう教室を辞めてしまっていた人も多い中、うちの教室は生徒がまだいたほうだろう。

コバちゃんが認知症になって、施設に入った頃から、次第に生徒は減ってしまった。
その頃から音楽以外のしごとについた。
しかし音楽教室は、現在も続行中。

病院の看護助手というかヘルパーの資格を活かしたパートは、62歳から4年半。
その後ガストの早朝バイト1年半。調理師の免許もないのに朝のメニューを作っていましたよ。
お客様が1人2人とやってくるのはいいのだが、一気に8人もの集団で来られるとすごく焦りました。

その早朝のバイトの朝は4時に起きて、5時17分の電車に乗りお店のある池袋へ。6時前には店に着いていた。鍵を開けて1人で朝の準備をするのだ。掃除は朝方閉めた人がやっておくことになっていた。

24時間営業のガストだったんです。
朝方5時に閉めた後に私が出勤していくのだった。

6時半に入れば良いのだが、仕事が遅いシニアの私は30分以上早く着いていた。

スープを大きな深い鍋に2つ作り、サラダを大きなバットにいくつも用意してお客を待つ。

朝から時に、駅のトイレに寄ってくるのでバイトが終わる10時半までトイレには行かなかった。
食事を作るから何となくそうしていた。

寒いある日、トイレに行きたくなったので初めて店のトイレに入ってみた。

汚いのに、驚いた。

時間があったので、白いところは白く、すみずみをしっかり掃き掃除し、そこにある洗剤も使っていくらかきれいにした。
10時半からきたバイトの人が「もしかして東條さん、トイレ掃除してくれたの?」
「時間があったので少しやりました、汚くて…」「ありがとうございました」

それから仕事の日はトイレの掃除もした。
そしてそのうちに、みんながきれいに掃除するようになって、私はやらなくなった。

ガストは一年半ほどで辞めて、その次は介護用品の販売の仕事を2年やり、病気になって辞めました。
ヘルパーの仕事もガストの早朝パートも、よく考えるとブラック企業だった。
シニアになってからの仕事は、大変な仕事が多いのだな。

そして最後が、今の社食の洗い場です。

洗い場の仕事が月に6日だった頃は、障害者のグループホームでの仕事もかけもちした。

62歳から12年間に6つの職業を経験したことになります。

どれも楽しかった。

今の社食の洗い場が1番きついな。
それは仕方ない。
始めた頃から10歳以上も歳をとってきちゃったからね。

ピンポーン!

隣のマンションの管理人さんがみえました。
うちの裏の物置きのとこにある木が、お隣に入っているとのこと。切ってもいいですかと言われました。
見たら大変なことになってました。
どうぞ切ってください。と言いました。

木が生えてるところに、くっつけて物置を作ったのは夫らしいなと思いました。
あれから何年も経って、大きく育ってしまっていました。

木だって、可哀想なくらいです。

お風呂場の方にある3本の木もバワーっと育って、お隣にだいぶかかっていました。
2年ほど前に植栽したが、またやることにしました。

それと外に息子が置いたと思われるパイプの棚、これは家の中に入れて、洗剤やらタオルを置く台に使うことにしました。

植栽の枝ゴミはゴミ袋に7個、だいぶ切りました。
ついでに裏庭も整地しました。
小さいお花の苗を買って来て植えました。

頑張ればできるのだが、そのあとにどっと疲れが押し寄せるようです。
すぐに歳を忘れるのが、悪いくせ。

話は変わるが、社食の洗い場に48歳の人が入ったみたいです。私が勤務日数を減らした分、人が足りないのです。

48歳、娘くらいの人だ。

仕事を教える人は、若い人が来てくれてよかったと喜んでいる。

いえいえ、シニアだって良いのだよ。
真面目だし、時間を守る。
でもまあ、どの年代も色々な人がいることと思いますけどね。

シニアでも、みんな何かの仕事をしています。マンションの管理、ファミレスのホール、トイレやビルの清掃、交通整理などなど。
高齢になる程、仕事は少なりますけどね。

シニアは、頑張っていますよー。
ではまたね。




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53年もの長い友人たち

2024-04-08 11:58:00 | Weblog
4月に入ってすぐ、色々な仲間とのランチが続いていました.

2日は、コバちゃんの友達の娘さんとのランチ。この友人は3人の仲間で、2人は娘さん。私はコバちゃんの嫁として、他の2人と親しくさせてもらっている.

7年前の同時期に2人のお母さんとうちのコバちゃんが亡くなり、それから会うことが一度あって、その後は「えみちゃんお元気ですか」と電話をいただくことがあり2度ほどお会いしたが、そのうちコロナになってからは会えないでいました。

1月に約束をしていたが、私が胃腸炎になったりいろいろあった為、2日の日に1人の人と2人で会いました.
考えてみても共通の話題は親同士が仲良しだったことぐらいだが、娘さんの話は聞いていたのでなんとか話はそれなりに盛り上がりました.

3日の日は渋ちゃんの息子さんが日本に帰国したので、お孫さんともどもお会いして、🍕をご馳走になりました。
ピザパーティーに招待されたので、お稲荷さんを作って行ってお土産にしました。
お孫さんはハーフで、綺麗なかわいい男の子2人でした.私たちを前にして、ちゃんと色々な話を聞かせてくれました.ギターが上手で素敵なかわいい男の子2人でした。

私とゆきちゃんで、お返しにエレクトーンやピアノの演奏をしました.

久しぶりに帰国して息子さんは、渋ちゃんが子供のようになっていることを見て、今後の1人の生活に不安を覚えたようでしたが、励ましながらやっていくとおっしゃっていました。

5日は4年前まで西武池袋店での同僚と4人で、サンシャインシティのホテルのランチを楽しみました.最近彼女たちは西武池袋店から撤退した会社を辞めて、就活中ということで、今なら時間があるというので、楽しいランチをしました。

そして7日は、高校のクラス会の幹部会議と名しての集まりでした.男女3人ずつの6人で、銀座のカラオケに集合しました.
みんなに声をかけるクラス会とは別の会なので、気持ちの許せる人たちと、懐かしい話をしあいました。

1週間のうちに四つものランチは、太るのを覚悟しなければなりませんでした.

明日からは太った分をなんとか元に戻せるよう頑張らなければなりません。

今朝大人の生徒さんのレッスンの時、今日は1番下の孫が入学式なので、出かける前に会いにくるかもしれないと話してるところに、洋服とランドセル姿を見せに来ました。

春だな。
新学期の始まりです。
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嬉しい3月になるといいな

2024-02-27 18:36:00 | Weblog
夫の車の運転をやめさせる件は、納得してるしてないに関わらず、穏やかに終わった。と今日確信できました。

案の定軽トラのエンジンはかからなかった。のちにかかったが、ブレーキを踏むと止まってしまうと息子が言っていた。

仕事を任せている弟が昼前に、仕事のものを持って我が家に来てくれた。
軽トラを秘密裏に移動させようと思っていたが、弟と夫は軽トラの移動のことも、息子のジムニーのことも話をしていた。

夫は車の仲間のお世話になっている方のところへ行きたいらしく、そんな話も「ママが都合が良い時に乗っけて行ってくれよ」と言ったりしているから、ああもう決心も納得もしているのだなとわかった。

偉いなー、と思った。

これからは秘密裏に動いたり話したりしなくて済むのは、ありがたい。

胃が痛くならなくて済むなー。

弟は新しいバッテリーを持ってきてくれた。
夫だったら、新しいバッテリーでも箱がシミだらけで汚くしてあると思うが、新しい箱の新しいバッテリーだった。

私は生前の父の道具箱を何度も見たことがあるが、きちんときれいに並べてあった。子供の時に見た父の道具箱も、大切そうに整然と並んでいた。

夫は物の管理も下手だし、大事にしないから見当たらないとすぐ買ってしまう。
だからガチャガチャと同じものがいくつもある。


父は建具大工であることに誇りを持っているように見えた。
その父の息子の弟も、物を大事にする職人である。
弟が乗ってきた車も、きれいに扱っていると思われる車だった。

そこへ行くと夫はなんだろう。
どんな車も汚くベコベコにして…。

あ、また私の悪い癖が。

夫は車の運転を諦めたのだから、悪口はやめよう。

あはは😆

今日の朝、息子のとこの孫に、外で久しぶりに会った。

下の孫が寄ってきて、ハイタッチ🫷しにきた時に「ねえ、ばあば、金曜日にばあばのうちで夕飯食べるの、またする?」と言った。

「うん、するよ。あさっての木曜日ね。ずっとばあばたちがダメだったからごめんね」

と、会話した。

あんなことが楽しみだなんて思ってくれるのかーと嬉しくなった。

可愛いよな。あの子ぐらいだな、ばあばってよってくるのは。もう大きくなると、もう来なくなる。

今のうちですねー。

今日午後から恩師のところに行ってきました。同じ門下の1人が、ヤマハのグレードに合格した話で盛り上がりました。
コツコツと積み上げて、目標を達成したことに敬意を表したいと思います。

私は私なりに、マイペースでボケ防止でもいいから、続けていきたいと思います。

良いことは見習ったり褒めあって、老後の友人関係を楽しんで行きたい。

コロナ前は仲間との練習も毎週やっていましてが、コロナになってからは休みにしたり、月1になったりしてました。
この3月からは、月2にするかとになっています。

3月は、良い月になって欲しいものです。

では、またね。


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寂しい2月

2024-02-22 19:10:00 | Weblog
今月初めに2回パートに行ったあと、夫の胃腸炎がうつったが、職場が食品関係なので検査のキットが送られて来て、冷凍で郵便局本局から送り返すこと3回。

3回目がおとといだった。

昨日やっと陰性の結果が来たので、明日からまた仕事に通います。

思いがけない出勤停止は、応えた。
暇で休めて、ストレスがないのはいいが、ピアノやエレクトーンを弾いたり、自分の四畳半の部屋を片付けてゴミをたくさん捨てたり、いろいろしてもまだ時間が余った。

長女長男や孫にも会わなかったが、事情を話してない友人を何度も訪ねた。

パート先のリーダーの人が、昨年度の源泉徴収票を持って来てくれたり、毎月の検体のものを取りに来てくれたりしたので、音楽教室をやってることもバレてしまった。

内密にしてたのに、駅からの道順を説明するのに最後には「ヤマハ音楽教室の看板があります」…と言わなければならなかったからね。

「あ、音楽教室してたの?」なーんてなにもその人は言いませんでした。

「こんなに休まされて、悶々としてるかなと思って…」とおっしゃって、可愛い苺大福を2つ買って来てくださった。

いつもとても良くしてくださるリーダーです。

仲間たちとの練習や歌声喫茶で、なかまや生徒さんには会っていましたが、痺れを切らしてとうとう長女にメールした。

「たまには遊んでよー」
昨日レッスン終わってから夜来て、3時間居てくれました。途中息子も来て、良かったんですよ。

寂しがり屋だなー、かまってちゃんだなと思った。かと言って、夫はのようなものだしね。居ないより居た方がいいけど、やはり喋れる相手が欲しいのだろうなと思った。

やっと元気出て、明日からまた働けるのが嬉しいです。

今月から魚中心の食事にしています。

今度孫たちが来たら、魚、食べるかな?シャケは焼いてあげたら食べたけど、キンキとかヒラメとか食べられるかな?
魚と煮物にしよう。

明日は職場にご迷惑かけたので、何かお菓子を買って行きます。

では、またね。
元気に頑張ります。
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車の運転の件

2024-02-11 01:03:00 | Weblog
1月の初めはまだよかったのですが、中旬頃から私は落ち着かなくなっていました。
夫に車の運転について、決定的なものをつきつけなければならなくなるのが、嫌だった。

何も運転などさせれば良いではないか、そんなことを弱っている親によくも強く言えるものだとも思った。

親子が逆転する時なのか。

もっと前にも一度あったが、あれ以来だな。
4年前甲状腺がんになり、その手術後に声が出なくなった場合には気管切開します。と言われたあれ以来のすごいストレスだ。
そのため胃がだいぶダメージを受けたようで、積もり積もったストレスに押しつぶされそうだった。

そのX DAYを迎えなければならないこと自体に怒りもあった。
そんなふうに言われる原因を生んできた夫にも怒った。

つまりは私は、自分が可愛いのか?
自分が辛くならないために、みてみぬふりをするとか?

でもなー。

あの不真面目な夫は治らないし、事故を起こさせないことを第一に考えると、言われてるように話をしないとならないから、通らないわけには行かない問題なのだ。

息子と夫はまた、取っ組み合いになるのかしら?

その昔は夫は、コバちゃんとやっていた。
でもそれは取っ組み合いにではなくて、言葉で罵倒し合うアレだった。

コバちゃんも、コバちゃんの親から強い物言いで言われたと聞いている。

連鎖だねー。

コバちゃんは夫に暴力は振るわなかったので、夫も人を殴ることはしない。
結局は、怒鳴られたから怒鳴る。
キレられたからキレるのだな。

さて、急にその日が来ましたよ。

息子にも夫の血が流れてるから心配だ。

息子が夫に話すことになったので、私はすることがあった。

①長女に電話で「これから始まるから来てね」と、言う。

②次女にメールで知らせる。

これで大丈夫!

息子が来て夫に話し始めたが、静かに話している。

初めは静かなんだよな。と思う。

でもずっと静かだった。

夫はちょうど前の晩嘔吐下痢で弱っていたので、それが幸いだったかもしれない。

大声で反戦していたが、おもむろにお風呂に向かい、音を聞いたら入っているようだった。

「1人で泣いているのかしら?」と思ったが、そんな可愛い男ではない。
それで何回も騙された私だ。

家の真ん中の居間に、長女と息子と私で話しながら待っていたが、お風呂から出てきた時にまた何か始まってもいけないし、夫もきまりが悪いだろうからと、2人には教室で話でもしててちょうだいと頼んだ。

夫が戻ってきた時ちょっとドキッとした。
「どう?お風呂良かったでしょっ?」
「あぁ…」  
「ホッ😌」

その後夫は、車の話はして来ない。
と言うか、いろいろあったのです。

まず夫は胃腸炎になった。
夫は「水の飲み過ぎだ。時々こう言うことがあるんだ、じっとしてれば治るんだ」と言うものだから、親切にしていたら、今度は私がうつって具合が悪くなって、辛くて辛くて夜中に息子を頼った。
息子はすぐ、薬や飲み物を持ってきてくれました。

翌日は、這うようにして孫たちが通院しているクリニックに飛び込んだ。
私がもらった薬を、少し夫にも分けてやりました。

あんな辛い胃腸炎を「時々」夫はやっていたのか。子供の時も高校の時も、大人になってからもと言っていた。

胃腸炎の為、私は社食のパート先を休むことになり、さらに胃腸炎がノロウィルスかどうかの検査をしたり、その方が忙しかった。

やっと落ち着いて、明日はゆっくり身体を休めようと思う。

しかしまだ胃が痛い。
あのストレスの分が治りが遅いようだ。
歳をとったから治りにくいし、気持ちも弱ーくなったのね。

数日前、夫は広告を見せてこう言った。
「もとのダイエーでパソコン教えてくれるって、ほら。やってみようかな」

「良いじゃない、やりなさいよー。そのうちジムにも通いなさいよー。ほんとに始めたら良いのよ。パソコン教室のパソコンを使わせて貰えば良いんだし、もし良かったら新しいパソコン買ったって良いのよ」

一件落着。
血の雨は、降らなくて良かった。
ご心配おかけしました。


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丸3年経ちましたよ

2024-01-22 23:51:00 | Weblog
音楽教室以外のパートの仕事を始めて、3年経ちました。3つ歳もとったわけね。

キツい仕事と思いながら、同僚が良い方ばかりなので続いてきました。
最近やっと、もう少し続けていこうかなと思うようになりました。

ゆとりが出て来たのかしら。

夫の喉の放射線が昨年末に終わり、経過観察は防衛医大で診てもらいます。
昨年末滑り込みで一度かかって、今日は二度目の診察でした。

朝9時半から生徒さんが見えるので、家を8時に出て夫を防衛医大に連れていきました。

今まで何でもやってあげていたので、その癖がついていて、診察券を機械に入れるのもやってもらうつもりの夫が1人でやれるか心配でした。
で、30分ほどそばで様子を見ていてから帰って来ました。

レッスンのあと、ウクレレを習いにいき、また帰宅して1人レッスンがありました。

夫は防衛医大から松葉杖で1時間かけて、歩いて帰って来ました。
明日も新所沢の病院に連れていきますが、明日は行きも帰りも歩きでいってきたら?と言ったら、朝は辛いと言うので、行きだけ送ることにします。

こうして病院通いも、近辺はだんだん自力で通院して貰いたい。

夫は車の運転は昨年の6月からしていない。8ヶ月ほど運転していないからと言って運転を忘れることはないはずだが、性格的に、人格的に年齢的に、足の骨折で…といろいろな理由で、運転させていない。
このまま運転はしないほうが安全なのだ。

本人は時々友人に電話で、まだ運転させてもらってない…と話しているが、運転するつもりなのだと思う。そのうち運転させてもらえると思っている。

運転を昔からやってるように、やれると本当に思っているのかな?
やれない筈がないと、思っているのかな。

さあ、これが大変な問題なの。

血の雨が降るんだわ。

歳をとれば、今までやっていたことがやれなくなるとか、やらなくなるとかは仕方ない。受け入れないと。

ところバスというのがあって、本数は少ないが、ゆるやかにあちこち走っている。
65歳以上の人は乗車カードがもらえて、100円で乗れるらしい。
保険証持って市役所に行けば私と夫の分がもらえるはずなので、近々もらってこようと思う。そしてところバスの時刻表も貰っておこう。

こんなことから固めて行くしかないな。

夫は、今日のようにたくさん歩いて血糖値を下げることを考えれば、車の運転などにこだわらなくても生きていけるとは思わないだろうか?

あぁ、血の雨が降るんだわ。

運転したい夫に、どうやったら理解させられるかしら。
何度も車をぶつけたり壊したり、昔から何度か人身事故もやっている。
糖尿で目も悪い、気が立ってるような運転ぶりだ。歳は74歳。どれをとっても危険が見える。

だから、血の雨が降るんだわ。

車の保険が切れるのが、2月なんです。

夫の2人の姉やその連れ合いと会って、ランチしてみようかな。2人の姉にそれとなく話しておいて、やんわりそんな話になるように仕向けて…。

そのあと、血の雨が降るかもしれないが、きちんとみんなで話をすることになる。
子供達を頼るばかりでなく、私も思ったこと聞かれたことは話すことだな。

X DAYは、いつにするかな。

このブログはありのまま書く、赤裸々綴るブログだから。

血の雨は〜乞うご期待。


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