GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

2006-08-27 04:56:24 | 仕事
約束の7時にレタントンの店に着くと、やはり先方はまだ来ていませんでした。カウンターに座って煙草を吸うのも気が引けるので、厨房に入り顔見知りの板前と話をしていると日本人マネージャーらしき男が来て、ムッとした顔で「ここは禁煙です」。30分ほど外に出て待つことにしました。客が一人出てきてBicyclet と呟きました。駐輪係りが客の自転車に乗って買い物に行ってしまい、彼の自転車が無くなっていたからです。厨房の皿洗いの MAI さんが、直ぐ戻るからと英語で謝りました。彼女が駐輪係り兼ガードマンに頭痛薬を買いに行かせたようでした。

黒色のセダンが止まり、一才になる子供を抱えてDさん夫婦が降りて来ました。3ヶ月ほど会わなかった間に子供は随分としっかりしています。子連れで食事なら込み入った話もされないだろう、と一安心。車はカムリの新車で買ったばかりだそうです。5人乗りセダンは特別消費税が50%ですから、ベトナムでは間違っても買う気になれない車です。たぶん商売は順調なのでしょう。
そんなわけで相手の懐具合を考える必要もないわけですが、店の日本人スタッフのムっとした顔を思い出して、極力安く上げることにしました。ウェートレスにお飲み物は?と聞かれて、迷わず「TRA DA」。刺身の梅に始まり、焼き物、てんぷら、つまみ類、握り寿司、納豆巻き等計29ドル。隣の席のベトナム人は日本酒を飲み、最後はすき焼きまで食べていたので客単価20ドル計100ドル以上の売上だったかも知れません。

Dさんとは6年前、フエで知り合いました。日本語を勉強して日本ファンだったので親しくして貰いました。彼女のお陰でフエでの生活は行動範囲も広がり、不自由もなく過ごせました。当時は僕のことを「お父さん」と呼んでましたが、今は「お兄さん」に格下げです。彼女には20才も歳の離れた本物のお兄さんがいるので、そう呼ぶのに抵抗がないのかも知れません。彼女のお父さんはその20年の間、フエを離れ、解放戦線の戦士となり、戦乱を生き延びて再びフエに戻ることができたのでしょう。かと言って、彼女が特に恵まれた環境に育ったわけではなく、大学卒業後、コネがなく希望する就職先に就けそうもないので日本語を勉強し始めたようです。当時はフェアでない社会への不満なども漏らしていました。

今はすっかりバリバリのビジネスウーマンです。オーストラリアに1年ほど留学もし、英語・日本語が話せて、何よりも人に好かれる明るい性格です。その上、優秀なビジネス・パートナーが伴侶であるところなどもダナンのLちゃんと同じ。ついでに出産後体重を大幅に増やしたところもそっくりです。
一度は請われて彼女の仕事を手伝うつもりでしたが、片手間でできるような内容でもなく、また、今の仕事を任せられる人も居なかったのでできませんでした。きょうもまた同じ話をされたら断るつもりでしたが、その話はニュアンスのみ。

可能かどうかは別にして、他人から仕事に誘われるのはそれなりに気分の良いことです。刺身や寿司も食べたし。黒いセダンを見送って、こちらはバイクで家に向かいました。土曜の晩のハイバチュン通りは賑やかです。タンディン市場の前ではこうこうと裸電球を灯して果物を売っています。奥の方に梨が見えました。カフェのハーさんの好物だとか。「だったらK君が日本から持って来てくれるよ」と軽口を叩いたところ「重いものはお客さんに頼めないし、ここでも買えるのだから・・・」と切り返され、ハーさんの前でベトナム語の達者なK君にそれ以上言い返せないままになってました。値段を聞くと韓国産で1kg50Kドンだそうです。10ドル分のただ飯喰った後だし、と財布を開き、カフェへと向かいました。


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