常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

命を張る仕事

2008年11月23日 | 社会

元事務次官夫妻が殺害されるという事件がありました。まずもって、こうした行為は正当化されるべきものではなく、いかなる理由があろうとも、殺人行為は許されてはなりません。

ところで、この事件の読み解き方には、いろいろあるとは思いますが、そのうちのひとつとして、年金問題に関わるテロ行為であるという見方がありました。しかし、今朝からさかんに報道されている内容によると、犯人が自首をしてきて、その供述では「保健所にペットを殺されて」云々ということのようです。

もちろん、真相は分かりません。ただ率直な感想を言うと、とても報道されているままの内容だけが、真実ではないだろうということです。人の思考パターンは、極めて多様であると考えるべきです。保健所にペットを殺されて、事務次官経験者を殺害するという思考もあり得ると考えるべきなのでしょう。しかし、そうした思考があり得るとしても、ただ、それが故に今回の犯人の供述を鵜呑みにするという必要もありません。

この事件の背後には、非常に巨大な権力や勢力が関係しており、それらの人々が裏側でさまざまなメッセージを交換していると考える必要もあるでしょう。年金問題は、非常に大きな問題です。そうしたこととも関連して、国家運営の根幹に関わる人々の関与も否定できません。

事件の真相はさておき、ここで被害に遭われた官僚の方々について、考えてみたいと思います。

年金問題を含め、関わった全ての案件について、被害に遭われた方々は、国のためと思って仕事をされてきたのでしょう。逆に、それくらいの信念がなければ、そうした重要な仕事をこなすことはできないだろうと考えます。しかし結果として、年金問題では、多くの国民の怒りを買うことになりました。私自身、もともと年金制度には、大きな疑問を感じていましたが、それは全国民的な規模で決定的となり、「国家詐欺」という喩えが使われるほどに至るのです。もしかすると、そうしうた国民の怨嗟の声が、今回の事件に利用された可能性もあります。そして、もしそうだとすれば、今回の事件は、国民の怒りが引き起こしたとも言えます。

この可能性を考慮した場合、問題の本質は、「国家と国民の乖離現象」にあるのではないかと考えます。つまり、「国家のため」にしたことが、必ずしも「国民のため」にしたことに結びつかないということです。

本来、国家は国民のためにあるのであり、それは今日においても、厳然たる事実であるとは思います。しかし、大きなパラダイムシフトを迎える時代にあって、「国家のため」のことと、「国民のため」のことが、徐々に乖離してしまう現象が起こっているのです。このことは、何となく理解できることかもしれません。そして、もっとも大切なことは、これは時代の流れであり、こうした現象は、時が進むにつれて顕著になっていくだろうということです。今は、何となくでしか理解できないことが、非常に分かりやすいかたちで多発するようになるということでもあります。

こうなってくると、現在、社会において責任ある方々、例えば今回被害に遭われたような中央官庁のトップの地位にある方々は、極めて大変な時期に、ものすごい重責を担っているということになります。それは、もしかしたら、自らの命を懸けなければならないほどの責任を負っているということでもあるのです。国民のためだと思ってやったことなのに、国民に殺されるなど、たまったものではありません。

しかし、この問題の答えは、実に簡単です。自分の頭で考えればよいのです。

これからの時代にあって、国家の仕組みのなかで、ただ与えられた仕事だけに埋没してしまうようでは、真に国民のための仕事はできません。国家の限界を見極めたうえで、真に国民のためになることとは何かを考えればよいのです。国家は、万能ではないのです。制度や仕組みは、古くなっていきます。これからの時代は、国家という大きな箱が、とんでもな壁にぶち当たることを感じ取り、それを理解し、そのことを見極めつつ、真に国民のためになることとは何かについて、自分の頭で考えればよいのです。

先日、ある中央官庁の要職にある方にお会いしました。私の印象では、その方は、こうした時代の流れを読めておらず、相変わらず、現在ある国家の仕組みや制度のみに縛られた発想をされているように見受けられました。同席していた私の仲間は、その方の的外れな発言に対して、「将来的に、きっちり責任を取らせる」と言っていましたが、私は、それはそれで当然のことだと思います。

繰り返しですが、答えは簡単です。想像してみることです。自分の頭で考えるのです。真に求められていることが何なのか、国民のための仕事とは何なのかについて、枠組みに囚われないことが大切です。命を張る覚悟で、考えてみれば、きっと答えは見つかります。

今後、国民のためにやったのに、国民によって殺されるなどという悲劇が起こらないことを祈るばかりです。

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