常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

日本再生のポイント

2008年02月01日 | 日本

これからの世界において、日本はリーダーとしての役割を果たしていかなければいけないと思います(「世界のリーダーたるべき日本」参照)。しかし、現在の状況だけをみると、その道筋は大変厳しいと言わざるを得ません。

①国家財政
日本の国・地方の債務残高(借入金や政府短期証券を含む)は、既に1000兆円を超えています。財務省の「財務残高の国際比較(対GDP比)」によると、1993年時点で、米国71.9%、英国49.3%である、日本74.7%であった債務残高の対GDP比は、2007年に米国61.8%、英国49.0%であるのに対し、日本は177.6%というとんでもない数字に跳ね上がっている状況なのです。「経済大国日本」は、もはや虚像です。GDPをはるかに超えた債務を抱えている現状は、いつ国家財政が破綻してもおかしくない状態であることを意味しているということを、私たちはきちんと認識しなければなりません。

「世界のリーダーたるべき日本」といったところで、借金まみれの国家が世界をリードできるはずはなく、まずはこうした病的な財政状況からどのように脱却すべきかを真剣に考えなければなりません。

②リーダー不在
国家財政が非常に危機的状況にあるなか、今日の日本にはこれを打開できるリーダーがいないという大きな問題があります。至極当然のことですが、国家の難局を打破するのは、政治家だけの仕事ではありません。財界や各省庁の方々が、一致団結して同じ方向に向かって、各種政策を策定し、実践していくことで克服していかなければならないはずです。

しかし現状では、日本の経済界あるいは政治家の票田となる組織全体が、必ずしも日本の行く末を見据えた活動を行えているわけではなく、そうした組織体を力の源泉とせざるを得ない政治家や政党が、将来の日本のためのリーダーシップを発揮し活動していくのは、極めて難しいと言えるでしょう(国会議員が、国のために本来言うべきことを言えない、あるいはやるべきことができないということがあったとしても、それはその国会議員(政治家)だけの責任や問題ではないと考えます)。

③産業の虚像化
以前「産業の空洞化」という言葉がありましたが、今、深刻化しているのは「産業の虚像化」です。情報通信産業が発達し、日本はこれまでの製造業等の「モノづくり」中心の産業構造から、情報やサービスを中心とした第三次産業に主軸を移してきています。第三次産業を否定するわけではありません。しかし、これに頼りすぎた産業構造あるいは価値観による経済活動は、「産業の虚像化」を引き起こすことに、十分注意を払う必要があります。

とくに近年では、証券市場や金融商品を活用して財を成すケースが多発し、またそれを社会が煽る風潮があるように思います(煽る意思があるかどうかは別にして、結果として煽る結果になっていると思います)。こうした金融手法によって富を築く人々がおり、またそれによって社会が一時的、あるいは局地的に豊かに見えるようになる一方で、見えないところで国家財政は、ますます悪化の一途を辿るという大変な状況を生み出しているわけです。

こうした現状を鑑みて、私はまず、日本は産業の再構築を進める必要があると考えます。日本の産業が復活し、新しい方向性が見えてくれば、それが牽引力(あるいは新しい票田)となって、言うべきことを言い、やるべきことをやる強いリーダーシップを持った政治家(政党、内閣、大臣)を輩出することが可能になるでしょうし、それによって方向性が定まった各省庁からの政策が生まれてくるようになると思うのです。つまり、「強力な産業 ⇒ 強い政治 ⇒ 統制のとれた政策」のシナリオを進めていくことで、結果として、現在深刻化している国家財政のような問題等も解決できるようになると考えるのです。

ところで私は、その日本産業の再構築について考えるとき、具体的な分野として、①製造業、②コンテンツ・メディア業の二つが力点になるのではないかと考えています。「①製造業」については、前述の「産業の虚像化」を食い止め、実業を育てるという意味で、必須であると考えています。具体的に、どの部分を育てていかなければいけないかという点についての説明は、機会をあらためたいと思います(「新しい産業構築に向けて」参照)。

また、もうひとつの「②コンテンツ・メディア業」については、世界に対して日本文化を深く浸透させていくという観点から、必要な事業になると考えています。

パックス・アメリカーナ(超大国アメリカによる世界平和の時代)と言われて久しいですが、この間、アメリカという超大国を支えたのは、(軍需を含む)産業であり、それを基盤においた経済優位性でした。この点は、ほぼ異論を挟む余地はないのではないかと思います。

私はさらに、パックス・アメリカーナの背景には、米国の産業力や経済力と共にハリウッドに象徴されるような「文化力」も強く働いていたのではないかと考えています。米国文化の世界への浸透は、米国に憧れ、学ぼうとする多くの若者を輩出し、世界中から米国の価値観を学ぼうという人々を呼び集めました。また、実際に米国に行ったことがなくても、映画やテレビ等を通じて、常日頃から米国のコンテンツ(ハリウッド映画やミッキーマウス等)に接することで、米国が他国よりも親しみのある国として、世界中の多くの人々から認識されるようになったのは事実だろうと思います。私は、日本にも米国に比肩する、あるいはそれ以上の「文化力」があると思いますし、またそれを積極的に世界に発信していく必要があると考えています。

いずれにせよ、日本が世界のリーダーとしての役割を果たすためには、日本が再生しなければいけませんし、そのための産業復活(あるいは再構築)は必須であろうと考えます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ケンシロウに物申す | トップ | 「四次元の目」で見えるもの »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本」カテゴリの最新記事