常識について思うこと

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噛み合わない問答の意味

2008年06月18日 | 歌詞&台詞

先日、観終えた「カレイドスター」ショックを引きずっています。いろいろと好みの問題もあるとは思いますが、私自身、このアニメは本当に名作だと思います(「感動のすごいアニメ」参照)。しつこいかもしれませんが、もう少し、このアニメに関連して書いてみたいと思います。

以下のやり取りは、空中ブランコを使ったアクションで、死の危険を伴うとされる「幻の大技」に挑もうとするレイラが、ステージの精フールと交わした会話です。

フール:「死を恐れないというのか?」
レイラ:「私たちは死なないわ」

このやり取りで、主人公のソラとレイラは「幻の大技」に挑む資格を得て、運命の大ステージに上ります。ここでレイラが、「私たちは死を恐れないわ」と言っていたら、「幻の大技」に挑む資格を得られなかったというのですが、ここが非常に面白いと思うのです。

「死を恐れないというのか?」という問いに対して「恐れる」、「恐れない」ではなくて、「私たちは死なないわ」という、一見噛み合わない答えをしているところが、このやり取りのポイントになります。

「苦しいときほど意地を張れ」等と言ったりします。我慢をすることは大切ですし、辛いときに「辛い」とばかり言っていても始まらないので、「意地を張る」こと自体、悪いことでないと思います。しかし、あまり無理に意地を張るのもどうかと思うのです。つまらない意地は、自分を傷つけるばかりでなく、他人に対しても多大な迷惑をかけることになります。できないことはできないと言わなければいけませんし、つまらぬ意地を張るくらいなら、さっさと諦めるほうがいいのです。

「死を恐れないというのか?」

この質問に対して、「幻の大技」を演じることを決めているレイラが、意地を張っていたとしたら、きっと「私たちは死を恐れないわ」と答えていたように思うのです。「死ぬかどうかは分からない。たとえ死んだとしても、演じなければいけない。死を恐れてはいけない」という意地が、そういう答えをさせるでしょう。

しかし、レイラには意地ではなく、絶対的な自信があるのです。「死ぬなんてあり得ない」、「恐れるとか恐れないとかの次元ではない」という絶対的な自信があるが故に、「私たちは死なないわ」という、一見噛み合わないとんでもない答えになるのだと思うのです。

そもそも「死を恐れないのか?」という質問に対して、それと同じ次元で「死を恐れない」と言っていることが、「死」を意識している証拠でもあるということです。「死を恐れないのか?」という質問に対して、「私たちは死なない」という次元が異なる答えを返すことこそが、死をも超越した絶対的な自信があることの表れでもあるというわけです。

私たちが生きている社会において、いろいろな人々が、いろいろなことを言います。それらが、どういう思いで放たれた発言かは、微妙な言い回しや表現のなかに見出すことができます。何気なく交わされている無数の会話(あるいは無言)のなかに、一人一人の人生観や哲学は潜んでいます。

レイラとフールのやり取りは、極めてシンプルで簡単な会話ながら、そうしたものを包含しているように思うのです。

新しい時代は、本当に真剣に次の社会のあり方を考えている人たちが創造していきます。そして、本当に真剣な人というのは、人々の言動の裏側にあるものを感じ取るアンテナが敏感に働いている人でもあります。それは、今日時点での肩書きや地位で、見極められるようなものではありません。ボーっとしていたら、見落としてしまうような些細な言葉遣いや表現に、それらは潜んでいるのです。肩書きや地位に惑わされない、そういう敏感なアンテナの持ち主同士が共鳴し合い、引き合いながら、次の時代を作っていくということが、私には必然に思えてなりません。

アンテナを敏感に働かせてみてください。噛み合っていない馬鹿げた問答にも、非常に大きな意味が潜んでいるかもしれないのです。

《補足》
敏感なアンテナは、敏感なアンテナと鈍いアンテナとを区別します。
鈍いアンテナからは、どのアンテナも同じようにしか映りません。
感性を研ぎ澄ませ!本質を見極めよ!
その能力は、自分の内に秘められている。

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