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通信と放送の融合

2008年01月21日 | 産業

もしかしたら、「通信と放送の融合」という単語に、聞き覚えがない方々も多いかもしれません。

「通信と放送の融合」とは、近年急速に進んでいるインターネットのブロードバンド化や放送インフラのデジタル化等にともない、通信と放送の事業者が相互に技術やサービスを取り入れたかたちで、新しいメディアを作ろうとしている現象を指しています。特にインターネットのブロードバンド化の影響は大きく、通信技術を用いて動画像コンテンツ(ドラマ、ニュース、映画、アニメ等)を配信できるようになったことで、既存の放送電波を使用せずとも、たくさんの動画コンテンツが視聴・提供できるような素地が整ってきました。

最近では、「ニコニコ動画」というサイトで、面白い試みがされています。ここでは、多くの人々が動画コンテンツを見たり、そのコンテンツにコメントを加えたりしますが、それと同時に、そこに集まる人々が動画コンテンツの作り手となって、面白いコンテンツを掲載することで、見る人々を楽しませてくれます。将来実現されていくだろう、いわゆる「通信と放送の融合」のかたちを考える上で、このサイトは、非常に大きなヒントを与えてくれていると思います。

ただし、ニコニコ動画では、絶対に超えられない壁・課題があるため、これがテレビを越えるようなメディアになることはあり得ません。同サービスにおいて、具体的に何が足りなくて、それをどのように解決して「通信と放送の融合」を実現していくべきかについては、機会をあらためたいと思います。いずれにせよ、今まで視聴者だった人々(アマチュアたち)が、コンテンツ制作にも携わることができるというのは、非常に良いことですし、これからの潮流になっていくことは間違いないでしょう。その理由は、以下のようなことに裏付けられます。

①コンテンツ制作技術の発展・普及
 これまで、コンテンツ制作は、完全にプロの領域でしたが、その裾野は非常に大きく広がってきました。
 一番身近なコンテンツ制作技術は、デジタルカメラやビデオカメラかもしれません。昔は、写真やビデオを撮るという行為自体が、限られた人々によって行われるものでしたが、最近では高性能なカメラが安価で手に入りますし、現在のほとんどの携帯電話にカメラ機能があることを鑑みれば、その裾野は全国民的に広まったとみていいと思います。
 それのみならず、音楽や映像の制作技術の発展も目覚しいものがあります。それらは、オーサリングツールの発展や普及に象徴されています。オーサリングツールには、いろいろなものがありますが、例えば、撮り溜めたビデオのシーンをカットし、それらをつないだり、そこにテロップを入れたり、BGMを入れたりといった編集するようなことをイメージされるといいかもしれません。一昔前まで動画像編集には、非常に特殊な機械が用いられており、それが行える場所が限られていましたし、またそれを操作するには、特殊な知識や技能を必要としていたため、極めて限られた人々しか扱うことができませんでした。しかし、今ではPCなどの汎用機器をベースにして、素人でも扱えるようなツールが数多く出ているため、以前は不可能だった質の高いコンテンツを、アマチュアの人々が手軽に生み出せるようになってきたのです。

②コンテンツ配信インフラの整備
 これまでの環境では、せっかく作ったデジタルコンテンツ(例えば自分で撮った写真、自分で作曲して演奏した楽曲、自作のアニメーション等)があっても、これを他者に伝える手段が限られていました。写真はプリント写真、楽曲はCD、アニメ(そもそも制作が大変でしたが、最近ではアニメ制作もできるので)はDVDといったメディアにしたとしても、結局は、その現物を手渡しするなり、郵送するなりの方法を取らなければいけなかったため、配信先の数には限りがありました。
 この状況はインターネット網の整備により、少しずつ変わり始めました。ただし、インターネットが普及し始めた当初では、回線速度の問題等もあり、容量の大きいコンテンツ(特に動画像等)を載せることはできませんでした。
 しかし、ここ10年でブロードバンド環境は広く普及し、また最近ではそれらのブロードバンド環境が、無線技術でも提供されるような状況になってきており、非常に多くの人々を対象に、自作のデジタルコンテンツを配信できる環境が整ってきたと言えます。

③アマチュア層に眠るタレントの存在
 プロは、やはりプロとしての技能を持っていますし、それだけの仕事をしていると思います。しかし、上記2つのような環境変化が起こっているなかで、いわゆるプロではないけれども、多くの人々に支持されるアマチュアが出てきており、実際に彼らには、支持されるだけの才能があると考えます。
 以前、ある音楽プロデューサーの方(TVドラマの主題歌などを担当されたりもします)とお話をしたとき、メジャーデビューする人としない人の違いについての質問をしたことがありますが、それに対する答えは、「才能の問題はあるけれども、最後は運」だそうです。そして、残念なことに才能はあるけれども、「運」が悪く、花咲かないで終わってしまう人々も、たくさんいらっしゃるというお話を聞きました。
 これは音楽に限らず漫画、小説、写真・・・等、あらゆる分野において言えることでしょうし、それらのタレント・才能が、上記2つのような技術革新と環境変化にともない、表舞台に立つチャンスが拡大してきたのだろうと思います。

ただし、これらの新しい技術革新や環境変化が起こっていても、それを積極的に取り入れて、これをテレビに変わるような主流メディアに置き換えるというのは、極めて難しいでしょう。

その理由のひとつは著作権です(もうひとつの非常に大きな理由がインフラを含むシステム全体ですが、それについてはあらためて書こうと思います)。著作権は、これまでのテレビ業界を支えてきましたし、それによって、私たちも数多くの名作に出会うことができたわけですから、これを尊重しなければならないのは、当然のことだと思います。

しかし、上記のような技術革新や環境変化が起こっているなかで、これまでのコンテンツ産業を支えてきた著作権は、新しいコンテンツを生み出すうえでの足かせになる可能性を孕んできたと言えます。この問題は、現在、総務省を中心に議論され、法的整備等の検討がされていますが、なかなかすっきりとした結論が出ていません。しかし、私は早晩、この問題には出口が見つかると思っています。ポイントはトップダウン型ではなく、ボトムアップ型の業界再編成により、自ずとこの問題は解決していくだろうというところです。

どちらにしても、「通信と放送の融合」が、時代の流れであり、そのことで多くの人々がコンテンツを作る喜びと、視聴する喜びを味わえるとするならば、それは法律や制度を越えて、きちんと普及していくことでしょう。

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