常識について思うこと

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名に恥じぬ仕事

2008年08月18日 | 社会

ここ数日、いかにも夏休みらしい日々を過ごしていました。だいぶ日焼けもしましたが、冷房がきいた屋内の施設でゆっくり過ごすというのもありました。そのなかには、映画鑑賞もあったわけで、前から気になっていた「崖の上のポニョ」を見ることもできました。

ところで、この作品については、とても残念な気がしています。率直に言って、この作品を作られた責任者の方に関しては、いまや世間一般で言われているような魅力はないように思いました。

その方が、過去において、素晴らしい作品を生み出してきたことは事実であり、今日、その方は一般的に巨匠という扱いを受けています。私自身、その方の作品のなかで、大好きなものもたくさんあります。「天空の城ラピュタ」は、確実に10回以上見たと思います。独特な世界観ばかりでなく、日本のアニメーションを世界に発信した功労者という意味でも、その方の偉業は間違いないでしょう。

ただ、ここしばらくの間、その方の作品に対しては、ちょっとした違和感を覚えていました。そして、今回の作品が、私のその違和感を決定的なものにしたように思うのです。その方が、巨匠と言われるからには、それに見合うような仕事をしていただきたいと思わざるを得ません。

「崖の上のポニョ」という作品が、ゼロベースから作り上げられたもので、お金も名前もない状態から生み出された作品ということであれば、それなりの評価のしようはあると思います。しかし、今回の作品は、その方が既に巨匠と呼ばれる地位にあって、多くの関係者や協力企業が集まった結果物であると考えたとき、それがあまりにもお粗末に見えてしまうのです。周囲にいた子供たちが、映画が終わった直後に口にしたのは、「これで終わり?」、「怖かった」、「次はポケモンを見たい」といった言葉でした。これは、子供たちに夢を売っていかなければいけないアニメ商売として、致命的な問題指摘であるとも思います。

何がどのように悪いというのは、挙げていったらキリがありませんし、またそういう類の話は、言う側にとっても、聞く側にとっても、あまり気持ちがいいものではないので、ここで細かく言及することは避けたいと思います。

巨匠の名を返上すべきなどと言うつもりはありません。ただ、その名に恥じないような仕事をしていただきたいと願うばかりです。

一方で、「崖の上のポニョ」を見た翌日、プラネタリウム映画で「銀河鉄道の夜」を鑑賞しましたが、これは良かったです。宮沢賢治の原作に基づいて、プラネタリウムらしく「星空」を活かしながら、ジョバンニが旅をしていくストーリーや構成は見事だったと思います。まず綺麗だし、素直に見て良かったと思えました。それから、スタッフやキャストの密度の濃さがすごいです。あらためてインターネットで調べてみると、「原作:宮沢賢治、脚本 / CG:KAGAYA、音楽:加賀谷玲、朗読:桑島法子、ナレーション:大場真人、制作:KAGAYAスタジオ」となっています。これこそプロの業だし、少数ながら、そのプロ集団が、真なる愛情と情熱を注いだからこそ、あの作品が生まれたのだろうと納得がいってしまいます。

今日のような時代だからこそ、限られたお金と時間を、どこに投資するかということについては、ますます真剣に考えていかざるを得ません。楽しむべきコンテンツが、次から次へと湧き出るように溢れてしまっているなか、限られたお金と時間を有効に活かして、ひとつでも多く、そうした素晴らしい作品に出会いたいと思う願望は強くなる一方なのです。

「崖の上のポニョ」が無駄であったとは思いません。同作品のおかげで、あらためて「銀河鉄道の夜」のような作品の良さや大切さについて、きちんと気付かせてもらえました。しかし、そんな評価は、同作品の制作に関わられた方々にとって本望ではないでしょうし、私にとっても、今後とも生み出されるであろう作品に対して、望み続けるものではありません。

今の社会において、きちんと評価を受けている方々には、その名に恥じない仕事をされることを望むばかりです。

《おまけ》
桑島法子さんは、名声優だと思っていますが、「銀河鉄道の夜」のなかでも、やはりその名に恥じない素晴らしい仕事をされていたと思います。

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