若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

骨髄バンク支援事業 sujibon編(3)

2004年06月30日 | 骨髄バンク支援
(社)浮羽青年会議所の事業で秋吉君がいい質問をした。「ドナー登録が出来なくても支援をする方法はありますか」と。「九州骨髄バンク推進連絡会議」の代表である北村さんの返答は 6/16 のブログに上げたが、そのことについてずっと考えていた。今の僕にできることは?

委員長の長尾君がこの事業計画を出してから協議を重ね、事業を行い、ドナー登録をするまでのなかで、僕は様々な知識を得、考えをめぐらしてきた。今の僕に、より積極的に支援することが何かあるのではないか。

そんな時「ドナー休暇制度」というものを知った。官公庁や一部の企業ではドナーとなったスタッフに有給休暇を与えている、というものだ。これを若竹屋にも導入できないか。早速「九州骨髄バンク推進連絡会議」にメールで問い合わせてみると、事務局の緒方さんから丁寧な返信があった。「日本骨髄バンク」から資料を取り寄せて頂けるとの事。ありがたい。


骨髄バンク支援事業 sujibon編(2)

2004年06月21日 | 骨髄バンク支援
 
ドナー登録自体は健康診断で採血をするときと同様の方法ですぐに終わった。あっけなく。ついでに400CCの献血をしたんだけど、コレ昔と随分変わったんじゃないかな。ベッドの脇下に採血バッグの入った機械があるのだけど、これが「グイ~ン」って音がして腕につないでいるチューブがブルブル震えるんですけど…。コレもしかして吸い取ってるんですか、血…。

ところでドナーカードはその場でもらえるものだと思ってました(献血手帳みたいに)。登録を済ませて何だか妙な気分です。僕のHLA型が合う人がまるで未だ見ぬ赤い糸で結ばれた恋人のように思えてきました。僕の骨髄液も誰かの役に立てればいいのだけど。

骨髄バンク支援事業 sujibon編(1)

2004年06月20日 | 骨髄バンク支援
 
(社)浮羽青年会議所の「骨髄バンク支援事業」を行ってから、心の中でモヤモヤが続いていた。それはあんなに感動した事業に対して自分がアクションを何も起こしていないから。やっぱドナー登録しなきゃでしょ。

ということで行って来ました「献血ルーム・くるめ一番街」。骨髄バンクのドナー登録について大きな誤解があることは、まず登録するのに骨髄採取が必要と思われていること。次に、骨髄採取は背骨におっきな注射をして採るんじゃないかと思われていること(というか僕がそう誤解していました)。それは脊髄採取だっての。

ドナー登録はとても簡単。血液検査をする要領でわずが10CCの血液を採取するだけ。だからついでに献血もしちゃえばいいのだ。さらに適合者が現れる確立はとても低いのだが、適合した場合に採取するのは脊椎からじゃなくて腰骨(正確には腸骨という)から。医療事故も過去にはないし、きちんとした知識があればドナー登録は怖くも何ともないんだ。

さて、久留米市の中心にある商店街のなかに赤十字の献血ルームはある。清潔で明るい部屋の中で受付を済ませ、問診を受けた後に献血とドナー登録をした。献血は昔と随分様子が違うことにびっくり。寝心地のいいベッドの上に横になると、献血をしている間DVDが観れたりする。DVDは結構新しい映画のタイトルが揃ってる。でもわずか20分程度の献血で映画を観る時間はないだろうに???

骨髄バンク支援事業

2004年06月16日 | 青年会議所の十四代目
 
(社)浮羽青年会議所の6月事業として「骨髄バンク支援事業」を行いました。

とても大切なことに気づかされた、素晴らしい事業でした。移植を受けたレシピエント(女性2人)と骨髄を提供したドナー(男性1人)をお呼びして体験談をしてもらったのですが、どちらの話も涙して聴きました。

骨髄を提供したドナー経験者の方が「こんな自分が誰かの命の役に立っている。そう思えるだけで誇らしいです」と語った言葉に打たれました。そう、僕たちが自分の命の意味を考えたとき、「人の役に立つ」ということが大事だと思うから。自分は何の為に生まれてきたのか、それは思春期から僕を捉えて離さない問いでした。若竹屋の14代目に生まれたついたこと、そこにはきっと意味がある、そう信じているから。

骨髄提供を受けたレシピエントの方のお話には、もう涙で前を向いていることが出来ませんでした。僕たちと同年代の女性ですが、急性白血病になったということ。あと半年の命、と言われたけれど運良くドナーが現れた。移植を受けて1年だが、今、もらった命に感謝して毎日を過ごしている。そんなお話でしたが、発病から移植までのリアルな話を時折涙でつまりながら語ってくれました。移植を受けた彼女たちも実はこれから何年生きることが出来るのかはわからないのです。

現在、バンク登録者の数は伸び悩んでいます。夏目雅子を起用したCMで認知は高まっているのですが、まだまだ「登録が怖い」というイメージがあるようです。
「自分自身が登録しなくても、登録しようとしている人や提供しようとしている人の反対はしないで欲しい」この日コーディネータを務めてくださった「九州骨髄バンク推進連絡会議」の北村さんは淡々とまとめられました。