水面日録

フリーペーパー〈面〉編集人のブログです。
意識の水面(みなも)に浮かんでは消える様々なモノゴトを綴ります。

旅する耳。オフラ・ハザからスカタライツへ。

2008-10-16 02:07:38 | 音楽
歌手のオフラ・ハザが亡くなっていたことを、つい最近まで知らなかった。
2000年に逝去、とのこと。

彼女の名前と歌声を知ったのは、いわゆる「ワールド・ミュージック」が流行った頃で、
そのときは何というか、「アラブの歌姫」的な認識しかなかった。

先日、学生にイエメン系ユダヤ人の伝統音楽を聴いてもらおう、と思い立ち、
授業の前日にそのCDを用意したのだけれど、解説書が見当たらない。

曲名リストくらいは見つかるだろう、とネットであれこれ検索をかけているうちに、
オフラ・ハザがイエメン出身であり(これは不正確。→下の追記①)、
たくさんのユダヤ民謡を吹き込んでいたことを知った。

さらに某所で探してみると、
彼女が Tzur Menti という歌をうたっている様子が画面に映し出された。

聞き覚えのある旋律。
上記のCDで、野太い声の男性がオイル缶を叩きながら朗々と歌い上げていた曲だ。
メロディは同じでも、オフラ・ハザの方はぐっとポップなアレンジを施されていて、
まあ、いわゆるエキゾチックなダンス・ミュージック、といった趣である。

決して悪くない。 というか、かなり良い。
繰り返し聴いているうちに、
待てよ、この旋律は他でも聞いたことが・・・と、少し考えてみて、
思い当たった。

ちょうど先月、札幌でライブを行なったとのことでラジオでかかっていた、
ザ・スカタライツの代表曲、Guns of navarone(ナヴァロンの要塞)。

これはまあ、他人の空似のようなものかもしれない。
酷似、というほどではないし。

しかし、スカ(およびレゲエ)の原点にはラスタファリアンの思想があり、
しかもそれが、はるかいにしえのユダヤの伝承の世界に
自らのルーツを重ねる思想であることからすれば、
スカとユダヤ音楽との距離は、意外に近いのかもしれない。
(→下の追記②)

「かもしれない」だけの話で恐縮ですが、
今日はこの辺で。

追記①
 正しくはイスラエルのイエメン系難民の家庭に生まれたそうです。
 42歳で亡くなる頃にはイスラエルの国民的歌手という位置づけだったとのこと。
 複雑な歴史を背に歌っていたのですね。
 何も知らなくてお恥ずかしい…ですが、改めて興味が湧いてきました。

追記② 
 ワタクシ、上の本文を書いた段階ではわかってなかったのですが、
 Guns…はスカタライツのオリジナルではなく、
 もとは同タイトルの映画のテーマ曲だったのですね。 (…あれ? みんな知ってました?)
 こちらを聴くと、特にアラブ的でもユダヤ民謡的でもないようです。 
 ・・・はい、ざんねんっ!
 スカタライツ・ヴァージョンがそんなふうにも聞こえてしまうのは、
 演奏のスタイルのせいですかね。

 ―― さらに訂正・補足すべきことなど、ありましたらどなたでもご教示ください。

posted by 堀マサヒコ

0929―1011

2008-10-14 00:48:26 | 日々の泡
およそ2週間ぶりの更新。

あれこれ思い出すことを書いてみます。

9月29日(月)
スティーヴン・キング原作、フランク・ダラボン監督の映画、「ミスト」を見る。
深い霧の向こうに、いったい何がいるのか。
ガラス張りのスーパーマーケットの店内で、見えない敵の恐怖に怯える人々。
極限状況の中で壊れていく、ニンゲンの理性。
むっちゃ怖い。
そして、怖いだけでもない。
戦慄と魅惑。 すなわち「聖なるもの」の気配。
色んな方向に心を揺さぶられて、
終わったときにはまっすぐに歩けなかった。

10月1日(水)
S市立大学にて初回の講義。
なにか、意外なところで妙にウケたというか、笑いがおきた。
「休まず出席することに価値なんかありません」と言ったあたりだ。
そういうことを言う人が、最近は少ないのかもしれない。
もちろん、出席する価値のない講義をするつもりはない。
というか、そうならないように努力するつもり。当たり前だけど。
「出なきゃ(単位が)ヤバイ!」という授業じゃなくて、
「出なきゃ損!」という授業をしたいのだ。

10月2日(木)
前日に起きた個室ビデオ店の火災をめぐる報道から、色々と考えさせられた。
以前書いた、8月2日の夜のこと。
あの日、ネットカフェの狭い通路で互いに「おやすみー」の声をかけあっていた青年たち。
そのように「おかしな時間におかしな場所にいる人たちの間に交わされる、
日常的で温かいやりとり」が好き、と書いた。
そこにはまさに、彼らの「日常」があったのかもしれない。
今回の火災の被害者には、実際、
そういう日常を過ごしていた人が含まれていたという。
いわゆる「まっとうな」生活をしている人の視点からは見えない現実。
しかし、誰がいったい、そういう現実と無縁でありうるだろうか。

10月3日(金)
H学園大にて三回目の講義。
「暮らしの中の宗教」と題して、日本の民俗宗教について話す。
しかし問題は「日本」っていったい何なのか、である。
それは単数か複数か。
夕方、尊敬する研究者の一人であるF先生から、
あることのお礼としてお菓子とともに最近の論稿が届く。
相変わらず、恐るべきレベルの高さ。
未踏の地だと思って足を踏み入れようとするといつも、
F先生がすでにいらして「やあ」と微笑む。そんな感じだ。
しっかりしなくちゃ。

10月6日(月)
丘の上のO大学にて初回の講義。
履修者数がものすごいことに。
定期試験の採点が今から恐ろしい。
授業を担当している大学をすべてあわせると、
今期の試験受験者は1000人を軽く上回る計算だ。
収入も比例すればいいのに、などとバチ当たりなことは言うまい。

10月11日(土)
深夜、NHKにて「ファミリーヒストリー」という番組を見る。
ルー大柴氏の祖父、そして父の歩んだ人生と素顔を、
彼自身が知らない部分にまで踏み込んで明らかにした内容。
たとえば、父が多くを語らなかった、シベリアでの過酷な抑留体験。
そして、おそらくはその沈黙とともに父の胸の奥深くに仕舞いこまれた、
幼い頃の大切な思い出の数々。その輝き。
悲惨極まりない戦争体験と同様、あるいはそれ以上に語られにくい、
戦中、そして戦前の美しい記憶のかけら。
忠雄さんの話」で記しておきたかったのも、
そういうものだったと思う。

posted by 堀マサヒコ