降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★新聞を鉛活字&活版で組んでいた頃(44)

2013年11月19日 | 新聞

【11月18日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません 】

つい最近まで、新聞は鉛活字・活版で組んでいたのだよ────後世に書き遺しておこうかな、の第44回。

番外編「CTS始動・前夜編」として
「1990年代初頭、とある新聞社の製作局はこうして活版時代の幕を閉じた」
について、僕自身が忘れないうちに書いておきます、の Part 13。
【 CTS
=新聞コンピューター組み版・編集。1960~70年代、朝日新聞社、日本経済新聞社、日本IBMが主導・開発した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている

▼ 社はCTSプロジェクト前倒しを提示した────

CTS始動まで6カ月。
社側から
「機器搬入など順調に進み、製作局スタッフのオペレーションも向上している。このため、来年4月開始を予定していた計画を一部前倒ししたい」
と提示があり、一部フューチャー面(前もってつくるページ )を活版工程を経ず、すべてCTSで組み上げる、という。
( ちなみに、他紙は既に数回のバージョンアップと端末更新を経て、全面CTS【注・下段】製作中(笑)。
完全な周回遅れだけど、結果的に「最後の活版」に立ち合えたのだから、まあ良かったのかな、と今おもうのであります )

▼ CTS前倒し稼働に、編集局と製作局には温度差があった────

編集局(出稿部・整理部)は
「うん、まあ、追い込み面・地方版などから組む前倒し計画は妥当ですな。バックアップが万全ではないので、ニュース面などでは不測のダウンが怖いからね」
顔文字でいえば→ \(^o^)/ 歓迎

一方、当事者・製作局は
「つ、つ、ついに、わが社も『光と電子の新聞編集』(←だから古いってぇ。このコピーは1980年朝日新聞ネルソン始動のときのもの )の時が来たかぁ........感慨無量なり。
だが30年以上にわたり、新聞をつくり現在もつくっている活字・活版部門はどーなるのだ? 鋳植停止を早めるのか? どーなんだ、そこんとこ」
顔文字でいえば→ (=゜ω゜)ノ 不安増す増す

CTS始動6カ月前、製作局は2グループに移行していた。
・CTS部門=20~30代の第1期オペレーター中心。
記事加工・赤字処理・組みのほか、画像加工や端末管理、ファイル送信作業も。
・活版部門=短期バイト・契約スタッフとして、他社から来られた50代以上の活字組み版経験者のほか、定年を控えた社員が中心。

日々の新聞編集は2工程でつくることになった。
前組み面はCTS製作、
数時間ごとに記事を入れ替えるニュース面は活版製作、
という、とても贅沢な(笑)編集作業をすることになったのだが................長くなったので続く。

【全面CTS=ぜんめんしぃーてぃーえす】
データ量が重い写真や地紋、カット・広告類はとりあえず取り込まず、記事部分だけを組み上げ、印画紙出力(電算写植)した後に手貼りで処理後サテライト印刷工場に電送する、という「パートCTS」が初期にあった。
対して、LDTで記事テキスト・地紋・写真・グラフィック・カット・広告すべて取り込み、手作業と紙工程なしで降版→印刷するのをフルページネーションCTSと呼んだ(社もあった)。


(O_o)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。