降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★シュワちゃん作品なんだけど......。

2014年10月31日 | エンターテインメント

アーノルド・シュワルツェネッガー(67)主演「サボタージュ」(デヴィッド・エアー監督、109分、11月7日公開=写真)試写を観た。
うーん。うーん。
この作品、どう言ったらいいか分からないくらいムニャムニャだった...........。
とりあえず言えるのは、
「シュワちゃん、仕事選んだほうがいいのでは..........」


「サボタージュ」ストーリー
アメリカ麻薬戦争で多大な功績をあげてきたジョン・ウォートン(シュワちゃん)は、DEA(麻薬取締局)最強の特殊部隊のリーダー。
8人の部下を指揮し、麻薬カルテルへの奇襲作戦で制圧に成功したが、
カルテルの隠し金1000万ドルが忽然と消え、8人が1人ずつ何者かに殺害されていった。
ジョンと女性刑事が捜査を始めるが、猟奇殺人はさらに拡大していった……(あとは言えない)。
どーする、どーなる、シュワちゃん!


血しぶき、流血、鮮血、惨劇、解剖、内臓、猟奇殺人。
エロとグロがけっこう多くて、血が苦手な僕は目をつぶったり、下を向いたり、天井を見たり
「うへぇ............ちょっとなぁ、早く終わらないなかぁ」
だった。
「そして誰もいなくなった」的サスペンス&アクションなんだろうけど、なにもシュワちゃんが演らなくてもいいのではないだろーか、とチラリ思わなかったわけではございません。

眉やビンのところが白くなるも、相変わらず筋肉隆々なシュワちゃん。
過去のトラウマに苦しむシーンと、特殊チームのボスで見せる渋さがとてもいいのだけど、
〝意外と分かりやすい〟ストーリーと、
何でもかんでもぶっぱなす、あまり上品ではない映像、
ハマる人にはハマるかもしれないけれど(地元女性刑事役のオリヴィア・ウイリアムズさんの理性ある役が救いかも)。

★昭和17年の朝日新聞は凄いなぁ❸

2014年10月29日 | 新聞

ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=当時の政治情勢や世情などは考慮せず、ただ単に
「昭和初期の、鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?」
に注目しました。
紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・讀んだ第33回。


● 凝りに凝った切り込み組み写真に驚いた!
@昭和17(1942)年5月17日付東京版「朝日新聞」復刻版


活版時代の写真鉛板の加工の仕方は、以前書いたよーな気がしますが、
昭和初期の、あまりに凝った写真切り込み(写真)なので改めて書いておきます。

整理部出稿まで
❶写真部から出された紙の印画紙を受け取り、レイアウト(→昭和初期だから、「割り付け」と表現すべきかしらん)を考える整理部面担。
「うーん、何枚も出てきたから、1カ所に集めて組み写真にしちゃおう、そうしようそうしよう」

❷サイズを決めて(*1)
「おーい、庶務さん(*2)、これ、製版部に持っていってくれー」
当時は、指定をするトレーシングペーパーはあったのかしらん。

❸写真凸台サイズと、エトキ(=写真説明、キャプション)とエトキ用凸版をワラ半紙に書き、製作局大組みに出稿。

❹「ふぅ~。バラバラに写真を配置するより1カ所に集めた方がいいよな。ウヒヒヒヒヒ(大組みはノーズロ(*3)だけど)楽勝楽勝楽勝」
と、一服する整理部面担であった。
シュボッ、プハァー。
当時は、編集局内で喫煙OKだったから、ゴールデンバッドか新生か喫ったはず(笑)たぶん。

................長くなったので、製版部編は続く。


(*1)サイズを決めて
例えば写真出稿の場合、
天地30倍・左右ナリ(→天地で決めて、左右サイズはその比率でナリユキの意味)、
あるいは、左右42倍・天地ナリ
など、どちらかで決めて出稿すると製版部は喜んだよーだ。
〝天地左右ナリ〟と出稿した整理もいた(←実話です)が、
製版部からは突っ返された(笑)。

(*2)庶務さん=しょむさん
新聞社編集局内の雑務を行うアルバイト学生くんたち。
新聞綴じ込みや、整理部の出稿、ゲラ配り、切り抜きなど、けっこう仕事はあった(と思う)。
性格と仕事ぶりを見込まれて、編集局採用枠で記者になった人がかなりいた。
昭和初期は「ぼうやさん」と呼んでいたかもしれない。

(*3)ノーズロ
広告が無いこと。
記事を全段組むのは、整理部も時間がかかって大変だが、読者も大変。
なるべくノーズロ面は減らしているけど、広告がなければ仕方ないし。

★昭和17年の朝日新聞を見た❷

2014年10月28日 | 新聞

ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=当時の政治情勢や世情などは考慮せず、ただ単に
「昭和初期の、鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?」
に注目しました。
紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・讀んだ第32回。


● この写真鉛板切り込みは凄いなぁ!
@昭和17(1942)年5月17日付東京版「朝日新聞」復刻版


社説を最上段でブン流している2面=写真
凄いなぁ。大胆だなぁ。
ということは、さておき。
新聞紙面構成で「いいね!」レイアウトといわれる一つに、
「紙面中央にヘソ=黒っぽいものをつくりましょう」
があり、この面は見事に写真を集めていて「いいね!いいね!」なのだ(→大大大先輩整理記者の紙面にあーだこーだ言ってすみません……)。

ビックリしたのは、写真の切り込み。
当時は鉛板だったのに、一枚一枚いろいろ複雑に切り込みを入れて、組み写真を構成している。
これ、すごく手がかかるし、面倒だし、手をケガする(*1)恐れもあるし、なぜここまでやるの?なのだ。
( コンピューター組み版・編集CTSの印画紙出力(*2)の時代なら、画像印画紙を僕たち整理がカッターで切れば良かったけどねぇ )

どうやったんだろう、鉛板で。
................長くなったので、続く。


(*1)手をケガする恐れ
活版時代は、地紋・カット・広告などは鉛板(金属板)だった。
腐食させて凹凸をつくるのだけど、とにかく板が硬い・重い・尖りが危ない、だった。
僕は、やったことはなかった(面倒くさいから、笑)。
整理部先輩が鉛板に糸ノコをギーコギーコ回しているのを見たことがあるが、写真に細工・加工しても、さほど紙面に効果があったとは思えなかった(←こらっ!)。

(*2)CTSの印画紙出力=シィーティーエスのいんがししゅつりょく
以前にも書いたけど、しつこく重ねて書きます。
画像など重いデータがホストコンピューターに取り込めなかったCTS組み版の初期のころは、
記事や見出しなどだけ組み上げて印画紙出力していた(記事だけ組んだので、パートCTSと呼び、すべて取り込んで組み上げたものをフルページネーションCTSと呼ぶ人もいた)。
写真や図版、カットなどは別系統システムでつくり、これも印画紙で出力だった。
組み上げた紙面印画紙に、写真印画紙などを貼り込み、カッターであちこち加工した。
僕は切り貼りが好きなので、割と印画紙出力CTSは好きだったけど。

★昭和17年の朝日新聞を見た❶

2014年10月27日 | 新聞

ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=当時の政治情勢や世情などは考慮せず、ただ単に
「昭和初期の、鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?」
に注目しました。
紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・讀んだ第31回。


● 1倍88活字がびっしりなのだ。
@昭和17(1942)年5月17日付東京版「朝日新聞」復刻版


活字が多い→とにかく記事入れろ!
見出しが窮屈→1行でも多く記事を詰めろ!
写真が少ない→やはり時代が時代だからなのだろう。

広告は2段通し+2段ツキダシ広告+1段中挟み広告(*1)入りの、1ページ15段編成。
1段は、88ベタ活字15字組み(基本行間は44インテルなのだろーか?)。
組んである活字はぜーんぶ手拾い(*2)だから、いつもながら、
「す、す、すげー!超すげー!これ、全文拾いまくったのかぁ!」
と〝!〟(アマダレ)付きで、文選の職人技には驚いてしまう。

なぜ、見出しが窮屈(狭い)なのだろう。
例えば、
主「國際諜報團検擧さる」5.5倍明朝体
袖「内外人五名が首魁」4倍明朝体
アキは2倍とる(1倍インテルを2枚入れる)のが原則だったから、恐らく大組みで
整理面担「記事がものすげー多いし、入れたいから、アキは1倍ぐらいでもいいよ」
大組み工員「あいよ。んじゃあ、1.5倍ぐらいに狭めておくよ。
でもよぉ、早く戦争終わらねーかな、きちんとした紙面つくりたいよなぁ」
だったのではないだろーか。

…………長くなったので続く。


(*1)ツキダシ広告・中挟み広告
通し広告の上、紙面右下・左下に置かれる2段広告が「ツキダシ」、
流れている記事の途中に挟む1段 × 左右33倍ぐらいの広告が「中挟み」(記事中=きじなか、とも)。
僕は、このキジナカ広告が苦手で、改行の前や文章の終わり、ケイにぶつけて置いたら、製作局デスクに
「記事ん中に挟めよぉ~、怒られんの、コッチなんだからぁ~」
と必ず移動させられた。

(*2)活字はぜーんぶ手拾い
全自動モノタイプが登場するのは、昭和36年。それまでは文選工員が2500本近い鉛活字がびっしり入った棚から一本一本拾っていた。
新聞社の機械化第一波とも言われた全自動モノタイプは、幅3センチほどの紙テープに、タイプライターのような入力機でそれぞれの文字をあらわす孔(あな)を開け、
そのテープをモノタイプに読み取らせると鉛活字が出てきた画期的ハイテクシステム(←当時としては、です)。

★「8.15」の新聞を見た❷止

2014年10月26日 | 新聞

ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。


お断り=当時の政治情勢や世情などは考慮せず、ただ単に
「昭和初期の、鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?」
に注目しました。
紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・讀んだシリーズ第30回】


● 当時は新聞1ページ16段編成だったのだのかぁ..........
@昭和20年8月15日付復刻版「每日新聞」


写真右の紙面は、
昭和20(1945)年8月15日付の每日新聞東京版2版②面。
同左の紙面は、
昭和17(1942)年5月17日付の朝日新聞東京版8版①面。
終戦・戦中の紙面が〝時空を超えて〟見開きになっている(*1)
右の每日と、左の朝日の1ページ天地はほぼ同じだけど、組み段に〝差〟が出ているのが分かる。
「8.15」付の每日新聞を倍尺(*2)で測ってみた。

▽1段=每日15字どり13.5倍(朝日=同14.3倍)
▽組み文字サイズ=每日、朝日ともに偏平体だけど、多少朝日のほうが大きく見える。
▽段間=每日1倍(朝日=1倍)
▽行間=ルビ付きで每日、朝日とも組まれているので不明。両紙、この当時は倍数組みだったようだ。
たぶん、本文55、メモ33インテル(*3)ではないだろうか。

僕が測ったのは、刷り寸(*4)紙面。
それを、現代の印刷技術で調整した復刻版紙面だから、さらに微妙にズレが出てくるのだろう。
いずれにしても、
▽刷り寸@每日=1段15字どり13.5倍
▽刷り寸@朝日=1段15字どり14.3倍
ゆえに、
1段14倍組み&16段編成の時代があったのだねぇ!
へぇ~!ほぉ~!初めて見た!知った!
(長々と書いて、これだけかいっ!)

新聞社の大大大大先輩(元編集局長・元代表)に話をお聞きしたとき
「昔はのぉ、1ページ17段組み新聞もあったのじゃ。
(君らの時代の)1倍88活字より、小さい鉛活字もあったはずじゃ………昔の整理部先輩がたはいろいろご苦労されたのぉ、カカカカカカカカカ」
と水戸のご老公風に言っていた。


(*1)時空を超えて見開き
同見開きページは、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊行「激動の昭和史を読む」第8号の「広島への原爆投下・復刻新聞」から。

(*2)倍尺=ばいじゃく
新聞社の編集・製作セクションが使う物差し(スケール)。
各社特注だからか、金属製からプラスチック製まで多彩。古くは竹製もあった。

(*3)本文55、メモ33インテル
インテルは、活版組み版で行間をつくる金属板。
活版時代は55インテルが本文に、サイド・関連・メモ記事には狭い33インテルを使った(22インテルの社もあった)。

(*4)刷り寸=すりすん
整理部は「組み寸」で割り付けを書くが、印刷時にはやや縮んで「刷り寸」になる。
カラー印刷初期、この縮む比率を換算しておかないと、カラーがズレたズレたズレたズレまくった..........。

★「8.15」の新聞を見た❶

2014年10月25日 | 新聞

ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。


お断り=当時の政治情勢や世情などは考慮せず、ただ単に
「昭和初期の、鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?」
に注目しました。
紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・讀んだシリーズ第29回】


● 何回数えても天地16段なのだ....@昭和20年8月15日付復刻版「每日新聞」

凸版横地紋・明朝体袋文字 (*1)
「結終戰亞東大し拜斷聖」
6倍ゴシック・カザリケイ付き見出し ↓
「時局收拾に畏き詔書を賜ふ」
8倍明朝体・柱主見出し ↓
「四國宣言を受諾」
「萬世の太平開かん」
5.5倍明朝体・袖見出し ↓
「新爆彈・惨害測るべからず」

「あの日」の新聞全ページ、初めて見た。
この紙面を編集した、当時の新聞社編集・製作スタッフの緊張感たるやいかばかりや................。

僕には久しぶり(*2)のタテ題字「每日新聞」=写真
發行所は、
東京都有樂町一ノ十一 每日新聞社(東京)
とある。

記事や見出しはさておき(←いいのか!さておいて)、
この1945年当時の紙面と組み版を見た。

先日、大・大・大先輩の新聞社OBのかたと話していたとき、
「戦前・戦時中には17段組みの新聞もあったのじゃ、カカカカカ(←水戸のご老公風)」
とおっしゃっていたが、この1945年の每日新聞、何回何回数えても天地16段組みなのだ。
▽1段=15字どり(文字サイズ不明)
▽行間=不明(55インテルかな)
▽中段=1倍(だと思う)
▽天地=16段編成。ちょうど8段目で折り線がきれいに入っている。

うーむ。
だから、現在使っている倍尺(*3)であちこち測ってみた。
.............長くなったので続く。


(*1)袋文字=ふくろもじ
文字の周りに3Uほどのフチを取って、文字内をシロく浮き出した新聞地紋の手法。
バックに地紋を敷かず、袋文字単独で使うことは、現在もたま~にある。
濃い地紋から文字をただシロく抜くのは「白ヌキ」と呼んだが、新聞社製版部によっては
「同じだよ!」
という製版部員もいたから、ややこしや。
※ U=ユニットの略。1U=11ミルス。8U=1倍=88ミルス。

(*2)久しぶりタテ題字
毎日新聞がタテ題字から、現在のインテリジェント・ブルーのカク題字に移行したのは1991年。

(*3)倍尺=ばいじゃく
新聞社ごとに特注している物差し(スケール)。
編集・製作部で使い、倍数(U単位)・段数・行数・ヨコ字数などが簡単に分かるようになっている。
以前、デスクに
「この倍尺って、いくらぐらいするんですか?」
と聞いたら、
「3,000円! だから、大事に使えよ!
あまりペシペシやってると折れるんだからな! 予備は新入部員にやるんだからな!」
と〝!〟(アマダレ、ビックリマーク)ばかりで教えてくれた。

★指定書は、こう書いた=東京日日新聞編❸

2014年10月23日 | 新聞

【きのう10月22日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。


お断り=当時の政治情勢や世情などは考慮せず、ただ単に
「昭和初期の、鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?」
に注目しました。
紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・讀んだシリーズ第28回】


● 突然だけど、整理部指定書を書いてみた@昭和17年5月17日付復刻版「東京日日新聞」

写真の1面、トップ見出し横にリーダーケイ(*1)囲み5段記事
「大本營發表(十六日午後三時五十分)帝國海軍潜水艦の開戰以来五月十日までに撃沈せる敵船舶累計左の如し」
は、全文倍半(1.5倍活字)で組んである。
同ハコを抱えた前文(リード)は、
6段組み・行間88・ベタ活字(*2)
で組んである。

指定書は書き原(かきげん)右端に糸どめ(だったはず)
だから(?)当時の整理部面担の、指定書を書いてみた。
これ、たぶんB6わら半紙に下記のように書いた(はず)。

「別紙〝大本營發表〟5段5行ケイ巻きハコ抱え、
ベタ88活字、45字どり2折り、
行間88、全6段組み・左右ナリ!」


と朱色の毛筆(*3)か、赤インクつけペンで書きなぐって、製作局に回したのではないだろーか。
上の整理部指定書を訳すと、
「別にケイ巻きハコにしてある〝大本營發表〟を抱えて、
行間88インテル、ベタ88活字を45字どりして2つに折ってちょ!
天地は6段で、左右は、えーとぉ........よく分かんないから〝ナリ〟ね!
でも、左右幅が分かったら連絡くれると嬉しいなぁ~」

...........という昭和初期から数十年たった、僕らが活字組みだった頃。
「おーい、◯面整理。例の前文ハコ、左右◯行だからな。小ゲラもってやったぞぉ」
実際、ハコ・タタミの左右幅が不明な〝ナリ〟指定でも、
わざわざ編集局に上がってきて、連絡をくれた製作局の人がたくさんいた。
やはり、仕事はコミュニケーションが大事だよねぇ(笑)ほんと。
................長くなったので、続く。


(*1)リーダーケイ
新聞社によっては「点ケイ」とも呼んだ〝‥‥‥‥〟のケイ。
全角と二分ケイがあり、活版の頃は、
全角ケイ=2行どり
二分ケイ=1行どり
だったが1980年代以降、基本文字サイズが大きくなり、1行どりになった。

(*2)ベタ活字
しつこく重ねて書きます m(__)m
以前にも書いたけど、局や年齢層によって指す文字が異なることがあった。
▽整理部・製作局の中高年層=1倍88活字(=8U文字)。いわゆる15字組み時代の偏平活字。
▽そうじゃない編集畑=組まれている基本文字サイズ。
といーわけで、話していて噛み合わないことがないわけではなかった。

(*3)朱色の毛筆
今では信じられないけど、習字などで添削に使う朱色&毛筆で、赤字や指定書を出す人も見た。
スラスラっと書き上げ、かなり達筆な人が多かった記憶がある。

★「東京日日新聞」に驚いた❷

2014年10月22日 | 新聞

【きのう10月21日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。


お断り=当時の政治情勢や世情などは考慮せず、ただ単に
「昭和初期の、鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?」
に注目しました。
紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
というわけで、復刻新聞紙面に驚いたぁシリーズ第26回】

● 「1字下げ」の意味は何だろう?
@昭和17年5月17日付復刻版「東京日日新聞」


字下げはメモなのか
この東京日日新聞(写真は2面)だけでなく、当時の新聞によく見られた「1字下げ」。
たとえば、
2倍G2段見出し「ジャバの製紙、燐寸工場操業」
の記事
【スラバヤ十六日發同盟】ジャバ島最大の製紙工場であつたレチエス製紙會社(スラバヤ東南百キロ)はわが軍管理のもとに十六日から操業を開始、また同島唯一のバヤマッチ工場も十五日から操業を開始した
□右両工場の操業開始によつて全(改)
□ジャバ島の各種生活必需品製造(改)
□工場は全部操業の運びとなつた(改)
□わけである
( ↑ いずれの記事にもトメ「。」がない……)

同1字下げ記事は狭い行間の33インテルで組んであり、
メモ・ミニ解説・別稿&別項
的な意味合いが強い。
となると、当時の整理部は、15字詰め原稿用紙(書き原=かきげん)のアタマに赤ペン(*)で、
◎ベタ活字55インテル!
◎以下、1字下げ33インテル!
と大書したのだろう。
へぇ~、ほぉ~。

字下げでも、15文字
1字下げは文字通り
「1文字下げる=1文字あける」
のだから、1文字分の「クワタ」(1字アキ)を拾ってから14文字分組んだはず。
14文字だけど、14倍ではなく、
1字クワタ+14文字=15倍
なのだ。
ちなみに、1980年代からのCTS(コンピューター組み版・編集)では、
「Y2」(→2文字目から文字。Yは縦軸)
指定だろーか。

(*)赤ペン
この当時は赤フェルトペンでも赤ボールペンでもなく、液体インク付けペンだったのではないだろーか。
液体インク壺(ボトル)に、軸つき金属製かぶらペンをつけながら、整理部は原稿に指定書きや手入れをしていたと思う。
僕は、本業新聞社の朝刊仕事の傍ら、週刊業界新聞を副業でやっていた(←時効成立、笑)ことがあった。
ある印刷社の大部屋校正室で1980年代、この液体赤インク壺にペンをつけながら指定している編集者を見た。
ん~? あれぇ? どっかで見た人だなぁ?
と横顔をよく見たら、僕の社の地方版整理部デスクだった。だはははははははは。
だから、1980年代まで〝液体インクつけペン〟整理記者は生存していたのだ(笑)。

★「東京日日新聞」を見た❶

2014年10月21日 | 新聞

【10月12日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。


お断り=当時の政治情勢や世情などは考慮せず、ただ単に
「昭和初期の、鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?」
に注目しました。
紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
というわけで、復刻新聞紙面に驚いたぁシリーズ第25回】

● 1942年には1段15字組み15段編成だったのかぁ。
@昭和17年5月17日付復刻版「東京日日新聞」


東京日日新聞(写真)は初めて見た。
題字は、3段弱43倍ほどで「東京日日新聞」とあり、
大阪毎日新聞社東京支店
東京日日新聞發行所
有樂町一丁目十一番地三
「一部金六銭」と題字下にある。
欄外日付の前に
「紀元二千六百二年」
とあるのは、時代なのか………。

紙面編成
1ページ15段組み(フロント1面で記事13段+広告2段)
1倍88活字15字どり(*1)行間55(*2)
で、中挟み広告(18行)と、左下に2段ツキダシ広告がすでに入っている。
へぇ~。

紙面レイアウト
題字下込み4段で、広告1段(トンボ鉛筆だ!)+1段見出し記事3段流し
→合計8段
この組み方は、大事件のときにタテ題字の新聞が行う手法で、昭和17(1942)年には早くもやっていたんだねぇ。
へぇ~。ほぉ~。

大胆に、上2段で写真をドーンと展開している。
(→エトキがスゴイ! 1.5倍G「好餌求めて出撃する我が潜水艦」。
好餌求めてwwww
写真説明は当時、整理部が書いたのだろーか、写真部が書いたのだろーか……)

続けて、6段見出しをドーン!
地紋凸版「帝國潜水艦開戰以来の戰果」
主見=7.5倍鉛活字見出し「敵船六十五隻(四十四萬余噸)撃沈」
袖見=6.5倍鉛活字見出し「太平印度/兩大洋厭し不撓の敢闘」

写真配置や見出しの作り方を見ると、昭和60(1985)年ごろまでの一般紙レイアウトと基本的にほぼ同じ。
ふーむむむ……………長くなったので、続く。

(*1)1倍88活字15字どり
しつこく、繰り返し書きます。
倍(ばい)は新聞製作で使う単位。1倍は88ミルス。倍半(ばいはん=1.5倍)は88+44ミルスで132ミルス。
1980年代から始まったCTS(コンピューター組み版・編集)では、11ミルスを1U(ユー・ユニットの略)として、
1倍=88ミルス=8U
1.5倍=132ミルス=12U
とした。
記事に使われている1倍88ベタ活字のサイズは
天地88ミルス、左右110ミルス
の偏平体で、1段は1320ミルス(88×15)。

(*2)行間55
行間はインテルと呼ばれた金属板でつくった。55とは「55ミルス」のこと。
ほかに行間は、
メモや短信に使った狭い33インテル(新聞社によっては22インテル)、
段組み前文で使った広めの88インテル
があった。
整理部はゴーゴー、サンサン、ニイニイ、ハチハチと呼んだ。



★百田尚樹さん新刊は400円だった=ブックオフ買い取り編❷止

2014年10月20日 | 新聞/小説

【きのう10月19日付の続きです。写真は、本文と関係ありません。
『止』は分割原稿の〝コレデ終ワリダヨン〟の意味です】
読み終えたり、間違って2冊買ったりした単行本、新書、文庫、雑誌を、近所のブックオフに持っていった。

新刊書店で平積み中の、10月10日に出たばかり
『となりの芝生』(伊集院静さん、文藝春秋・本体1,000円)
でさえ、容赦ない買い取り価格は150円だった。
だははははははははははははは。
ブックオフは、いくらで店頭に出すのか知りたいぞ。

で、9月26日に出たばかりの、大ベストセラー作家の
百田尚樹さん『フォルトゥナの瞳』(新潮社・本体1,600円)
の買い取り価格は?
…………………400円(*1)だった。
まぁ、こんなもんかしらん。
どういうわけか、取次スリップ入り同本が早くも数冊あったのにはビックリした。『永遠のゼロ』と同じように今後、中古本市場に大量に流れ込んでくるだろーから、買い取り価格は抑えめなのかしらん。

▽新書
新書は硬軟大小レーベルが乱立して、対談→新書化一丁上がり!的な初版でおしまい急造本が、とても多い気がする。
だからか、ブックオフ買い取り価格は、一律70円なり。
どんなに新しくても、まぁ、仕方ない。下記のほか、5冊持ち込みました。

・『早死にしたくなければ、タバコはやめないほうがいい』(武田邦彦さん、竹書房新書・本体850円)
→ブックオフ買い取り価格70円

癌死が怖いので、近藤誠先生の一連の著作を読みまくり、
喫煙者なので、ノーと言える科学者・武田先生の著作を読んで膝を叩いている私(笑)。
まあ、結局・薬局・放送局、
各種データにはウラがあるのだ、
どのデータのどこを取るか次第なのだ、
ということかしらん。

・『新老人の思想』(五木寛之さん、幻冬舎新書・本体780円)
→ブックオフ買い取り価格70円

既読感があるはず、日刊ゲンダイ「流されゆく日々」を再編集したもの。
同「流されゆく日々」は、82歳・五木さんのナウを知る資料なり。頑張れ、日刊ゲンダイ。


▽文庫
新書と同じく毎月大量に出ているからか、買い取り価格一律50円。分かりやすい価格設定なり(笑)。
下記のほか、9冊持ち込んでも〆て500円!

・『幻影の星』(白石一文さん、文春文庫・本体510円)
→ブックオフ買い取り価格50円

3.11以後に書かれた作品。同じバーバリーのコートが東京と長崎に出現した、という出だしは良かったのだけど、後半の小難しさには
〝ちょっとなぁ……〟
だった。白石さんはやはり長編の方が面白いと思う。


▽雑誌
以前、書店発売中だった『LEON』(主婦と生活社)が、買い取り20円だったから、ある意味スゴイかも。

・『サライ』11月号、小学館・880円
→ブックオフ買い取り価格50円

あきらかに特製万年筆ほしさでございます(笑)。
サライ万年筆シリーズはけっこう使いやすいものが多いのだけど(*2)
今回の付録カートリッジインクはなぜか水っぽいインク色だった。


(*1)買い取り価格400円
単行本ハードカバーの、これまでのブックオフ買い取り価格最高額(笑)は、
『復活祭』(馳星周さん、文藝春秋・本体1,850円)
の500円だった。

(*2)サライ万年筆シリーズ
以前、丸善万年筆売り場で、イエローのサライ付録ミニ万年筆を持ち込み、
「ペン先がおかしいから直してほしい。何日ぐらいかかるか?」
と無理難題を言っていた、リュックを担いだオジサンがいた。
………ムリです、そこはMONT BLANCコーナーです。