杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

主治医K先生

2011年06月30日 | 日記
「Uさん、どうぞ!」 今日は呼び出しブザ-がないので、
看護師さんが診察室のドアを開けて呼んでいる ?

呼んでいるというのは、待合所で多数の患者さんに混じって
順番待ちしていたのだが、適度の冷気と生来の無精者ゆえ、
うつらうつらと舟を漕いでいたのである。

それにしても、久しぶりの定期検査で緊張する筈なのに
何故か、この歳になると神経が緩むのか緊張感が足りない。

「おはようございます! K先生、お世話になります。」
人の良い穏やかなK先生のにこやかな笑顔が久しぶりである、
「Uさん・・・?」 先生と私だけに通じる話題で、
まずご挨拶である。

検査の結果は異常なしだった。

「もう〇〇年に為りましたね、次は〇〇向うにしますかね ?」
と先生 ! 「お任せいたします。」 と私 !
現在活躍できるのもK先生の御陰である、
感謝の言葉を述べて診察室を後にした。

昨日の四国がんセンタ-での検査とK先生診察の一コマである。
生かされる、生かされて、生きて行く。
人の運命は判らない、あの時は、このような生活が続くとは
夢にも思わなかった。

終止符がうたれても仕方のない病状だったのである。
だから、家族には覚悟の言葉を交わしていた、
恥ずかしがりやの人間だが、感謝の言葉も伝えていた。

同じ病気で命の覚悟をしなければならない人の為に、
私が臨んだ覚悟の一端を述べてみたい。

まず、自分を納得させるために、

まだ遣り残した事があるとの後ろ向きの未練は捨てる。

家族、友人知人との別れは、それは辛いけれど !
私よりも、もっと条件の悪い状況で亡くなった人は
どうなのかと、それに比べて自分はまだ良いほうだ、
と努めて前向きに考える。

若くして亡くなった友に比べて、ここまで生かされて
良かったじゃないかと自分を鼓舞する。

現世の人とは別れるが、先に行った両親はじめ友に
会えるじゃないかと希望に変える。

それでも、複雑だったのは !
ひとりで未知なる世界へ向かう寂寥感だけは、それを
覆うのに数日はかかりました。

私の経験では、
音楽の力が大きかった !
特に長渕 剛の歌と、そのバックに流れるドラムの響き、
これが勇気付けてくれました。

なにくそ、負けるものか ! 覚悟をしながらも反面、
元気で家に帰るぞ !?
と自分自身を励ましていた。

隠していた内緒の話をしますとね ?
看護師さんに、犬のMに会いたいとよく言っておりました。
その他の家族の事は云わなかったのにね・・・?

男の強がりでしょうかね。
私の心には、それ以外にも大切な想いが胸に有りました。
未練と諦め、その時は男の責任について考えていましたよ。

ふたたび太陽を仰ぐことが出来た。
しかし、私の痛恨の想いは !
度々、病院へ見舞いに来てくれた兄が、その2年後だったか、
寒い朝、ひとり寂しくあの世へ旅立ったことである。

不憫な人だった、
一度は結婚したものの僅かの結婚生活に終止符がうたれて、
ずっと独身で一生を過ごした。
生あるならば、この兄とは仲良くお茶のみ兄弟で居たかった。

小さい頃は、私が逆に苛めた事もあって、それでも弟を大事に
してくれた人でした。
大人になり不遇の時代が続いた彼の人生は哀れだった。

私を頼り、私を求めた兄でした。
この兄とは、良き余生を一緒に歩みたかった。
彼は家族が無かったので、
私の仏壇の上の額縁に、若かりし頃の写真で収まっています。
好きだった熱いコ-ヒ-を毎朝、差し上げています。

男は切ないですね、人前では泣けませんものね・・・。

「Uさん、そういって貰うとありがたいですね !」
私の感謝の言葉に、K先生は目を潤ませる !
こういう人間関係も有るんですね。 ・・・。。。

                       合掌


里の秋.MP4



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