「よっぽど、タバコや車の方が危険」
確かに、現状における大気汚染、土壌汚染の状況では、そう評価することが正しいでしょう。今のところ。
タバコにも、放射性物質が含まれていますし、現状の飛散する放射性物質による「確率的影響」と比較しても、健康への影響はタバコは大変大きいです。内部被ばくそのものですしね。
車も、最近では、年間の交通事故死も5000人をきるほど、減ってきましたが、原発によって死亡する人数より圧倒的に多いのが現状です。
しかし、タバコも車も、それを使用・利用するか否かは、おおよそ本人が選択できるものです。
副流煙や巻き込まれ事故の可能性は、当然あるけれど、基本は、自己による選択が可能です。
大げさに言えば、「自己決定権」が一定程度、担保されている。
でも、原発は、それがない/できない。
原発を拒否をしたい人も、原発が有する危険性を共有するしかない。
そこが、全く違うんです!
原発とタバコや車との、安全性や死亡率等々様々な比較は、一定の程度は、合理性があるだろうけど。
でもね。
個人が個人の意思で、いくら拒否しようが、その拒否の意思を実現できない場合と、それができる場合と比較しても、ナンセンスとなる事柄もあるんですよ。
通常発電時の「安全」性をつらつら言い述べられても…。
「だから?だったら、どうなんだ?何が言いたいの?」
「そんなこと今言って、なんか事態が良くなるの?」
「そんなことを言って、一体どういう状況に導きたいの?」
と、私は思うのです。
まあ、その態度は、「原発を推進」することが、一番の目的だとは思うけれど…。
方法論としては、「よくない」と思う。
それは、人の感情をいちいち逆撫でする、原発事故で、まず現在被害に直面している人たち(日に日に増えていく傾向)への、斟酌なき不感症人間の必死の自己肯定作業に見えます。 【つづく】
原発は他の電源よりもはるかに安全?! 了
確かに、現状における大気汚染、土壌汚染の状況では、そう評価することが正しいでしょう。今のところ。
タバコにも、放射性物質が含まれていますし、現状の飛散する放射性物質による「確率的影響」と比較しても、健康への影響はタバコは大変大きいです。内部被ばくそのものですしね。
車も、最近では、年間の交通事故死も5000人をきるほど、減ってきましたが、原発によって死亡する人数より圧倒的に多いのが現状です。
しかし、タバコも車も、それを使用・利用するか否かは、おおよそ本人が選択できるものです。
副流煙や巻き込まれ事故の可能性は、当然あるけれど、基本は、自己による選択が可能です。
大げさに言えば、「自己決定権」が一定程度、担保されている。
でも、原発は、それがない/できない。
原発を拒否をしたい人も、原発が有する危険性を共有するしかない。
そこが、全く違うんです!
原発とタバコや車との、安全性や死亡率等々様々な比較は、一定の程度は、合理性があるだろうけど。
でもね。
個人が個人の意思で、いくら拒否しようが、その拒否の意思を実現できない場合と、それができる場合と比較しても、ナンセンスとなる事柄もあるんですよ。
通常発電時の「安全」性をつらつら言い述べられても…。
「だから?だったら、どうなんだ?何が言いたいの?」
「そんなこと今言って、なんか事態が良くなるの?」
「そんなことを言って、一体どういう状況に導きたいの?」
と、私は思うのです。
まあ、その態度は、「原発を推進」することが、一番の目的だとは思うけれど…。
方法論としては、「よくない」と思う。
それは、人の感情をいちいち逆撫でする、原発事故で、まず現在被害に直面している人たち(日に日に増えていく傾向)への、斟酌なき不感症人間の必死の自己肯定作業に見えます。 【つづく】
原発は他の電源よりもはるかに安全?! 了
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます